第9話 言えないコト

 雲の切れ間に、赤い月と黒い月が見える。

 大きな赤い月は兄月あにづき、小さな黒い月は弟月おとうとづき

 あれは双子の兄弟月なんだと教えてくれたのは誰だったか・・・。


「いやあぁ!やめてぇロニエス!」

 組み敷いた女が泣き叫んでいる。

 月影に浮かぶ白い肌は、想像していた以上に柔らかで温かい。

 恋焦がれたその身体に、このままずっと埋もれていたい。


 何をしている?俺は。

 ・・・違う。

 俺は助けようとしたんだ、彼女を。

 違う、違うんだ。


 血の匂い。

 何人もが怒鳴り散らす声。


 ヴァーサンクだって?

 ヴァーサンクは俺が斬った。

 ほらそこに倒れているじゃないか。


 ・・・うるせえよ。

 黙れよ。

 邪魔するなよ。

 俺は今・・・最高に気持ちが良いんだ。


 ああ・・・もう何も堪えなくていいんだ。

 耐えなくていい、我慢しなくていい。


 何もかも噴出して空っぽになった俺の身体。

 そこにどんどん欲しかったものだけ、心地良いものだけを詰めていく。

 食いたかったもの、恐れられる力・・・そして欲しかった女。


 ああ・・・最高だ。

 気持ちがイイ・・・タマラナイ・・・。

 モットホシイ。

 モット・・・モット・・・!


「動かないでロニエス!・・・お願いだから」

 赤く染まったやじりが、俺に向かって放たれた。



「うわあっ!」

 自分の声で、ロニエスは飛び起きた。

 窓の板戸の隙間から朝日が降り注いでいる。


 隣のベッドには、毛布にくるまった見慣れた相棒ファリーの寝顔があった。

「・・・夢か」

 つぶやいて額に手を当てると、ぐっしょりと汗をかいていた。

 ・・・そうだ、ここはネハーコの宿屋だ。

 ロニエスは手の甲で汗を拭う。

 久し振りだ。あの時の事を夢に見るのは・・・。


 日差しの具合から、夜明けをとうに過ぎた時刻だと分かる。

 いつもは早起きのファリーが、まだ眠っているとは珍しい。

 またアマンダの奴が、無理を言って血をせしめたに違いない。


「あのクソ刻印士め・・・」

 口先でののしっても、結局どうにも頭が上がらないのは、年上の幼ななじみというだけでは無いだろう。

 ・・・コレのせいだ。と、ロニエスは左胸を押さえた。


 そこにあるのはアマンダの刻印。

 あの時、噴出したものを戻して押さえ込んで、再び出てこないようにと付けられた、重い蓋。


 ロニエスはそっと立ち上がり、ベッドから一番遠い窓を少しだけ開いた。

 朝の涼しい風が吹き込んで、汗をかいた身体を乾かして行く。


 そこから昨日の広場が見えた。

 市の無い広場はただガランとしていて、通り抜ける人もまばらだ。

 あの騒ぎなど、まるで無かったかのようだ。


 あの時、自分はどうしてもアレの前に立つ事ができなかった。

 斬った程度ではヴァーサンクの暴走は抑えられない。

 武力で制するのなら、気絶するまで叩きのめすか・・・息の根を止めるか。


 そんな事できる訳が無い。

 なりたくてなるものでは無いのだ、アレは。

 自分の知らない遠い祖先の血が、勝手によみがえって暴れだす。

 自分ではどうにもできないのだ。


 ・・・いや、違う。


 あれは快楽なのだ。

 理性を手放し、欲望を解放し、全てが恐れる凶暴に満たされる快感。

 だから近寄れなかった。


 思い出すから。

 湧き上がるから。

 手招かれるから。


 ・・・オマエモ、コチラガワヘ、コイヨ・・・と。


 寝言を唸りながら、ファリーの頭が毛布に潜る。

 ファリーがヴァーサンクの前に出た時、ホッとした。

 ファリーが封じてくれる。

 だから大丈夫だ・・・。

 あの近さでは、ファリーがヴァーサンクに吹き飛ばされるかもしれなかった。

 なのに・・・。


 窓の下から人の声が聞こえる。

 宿を出発する者たちが挨拶を交わしているようだ。

 今日がまた動き始めた。

 ロニエスは相棒を起こすために、窓際を離れた。



 街道から繋がる町の出入り口は、多くの人が集っていて朝から賑やかであった。

 出立する観光客に、貸し馬車屋の客引きが声をかけている。

 乗合馬車の停車場では、御者が出発の合図である鐘を打ち鳴らし、荷物を抱えた者たちが駆け込んでいた。


 大きなあくびをしながら、ファリーはその様子を眺めていた。

 それを、通りの向こうに立っていた、いかつい剣士に笑われる。

 貸し馬車屋の客引きに混じって、同業者と思わしき者たちの姿もちらほらと見える。

 あの剣士も用心棒だろう。

 笑ったのはあくびをした姿か、それとも業種に似合わぬこの風体か。


 ファリーは頬を一発叩くと、背筋を伸ばしてシャンと立つ。

 うかうかしていたら、客を横取りされてしまう。

 ましてここは上客が見込める観光地であり、街道が通る宿場町なのだ。


 ・・・とはいえ、営業はもっぱらロニエス任せである。

 腕っぷしの強さが物を言うこの業界では、か細いファリーが声をかけたところで、相手にしてもらえないのが実情だった。

 それにロニエスの男前な顔は、金持ちの奥方や令嬢という上客を吊り上げるのに大いに役立っている。

 そのためにファリーは、ロニエスに「営業用笑顔スマイルサービス」と「営業用会話術リップサービス」を仕込んでいた。

 このネハーコに連れて来た金持ち夫人も、ロニエスに吊り上げてもらったのだ。


 なので、ロニエスが客を連れて来る間、ファリーはひたすら待つしかない。

 頑張って立っていても頭がぼんやりしてしまうのは、寝不足のせいだ。

 昨夜あれから、アマンダの講釈を延々と聞かされる羽目になってしまった。

 彼女の話は、全てを飲み込む事は到底できないものであり、胸の下あたりで消化不良を起こしている。

 アマンダが帰るのと入れ替わりに、戻って来たロニエスの顔をまともに見れなくて、すぐにベッドに潜ってしまった。

 でも、横になってみたものの、聞いたばかりのあれやこれやが頭をぐるぐる駆け回って、結局、夜明け近くまで眠れなかったのだ。


 性徴期せいちょうきの身体を見られてしまったのがまずかったと思う反面、どこかホッとしている自分が居る。

 胸に抱えた秘密を打ち明けた、ちょっとした開放感だろうか。

 あれでいてアマンダは約束を破らない人だ。

 秘密の相談ができる相手が居るというのは、心強い。


 けれど・・・どうしても話せない事が二つあった。

 それはレスネイル族の秘中の秘。門外不出、最大の秘密。

 その一つは、レスネイル族が性徴期に異性と結ばれると、性別が固定して中性体には戻れないという事。

 そして二つ目は・・・


「あの、もし。魔道士殿は用心棒ではございませんので?」

「はっ、はいっ!」

 急に呼びかけられて、ファリーはあわてて振り返る。

 そこには痩せた男が立って居た。

 歳の頃は40半ばくらいだろうか?灰色の短い髪をきっちりと撫でつけ、同じ色の口髭は丁寧に整えられている。

 鼻筋の通った顔立ちは、すっきりと涼しげで、品が良い。

 紺色の上等な三つ揃いを着こなしていて、上流の紳士である事はひと目で分かった。


 しかし、彼の背後に停まっているのは、およそ不釣合いな幌無しの荷馬車である。

 荷台からはみ出すほどの、大きな長い箱らしき荷が載せてあるのだが、布でしっかりと覆われているので、それが何であるかは判別できない。

 奇妙ではあるが、男の様子から察するに上客であるのは間違いなさそうだ。

 ファリーは居ずまいを正して、できるだけ丁寧な言葉を使った。


「はい、さようでございます旦那様。ぼくは魔道士ですが、相棒はとても腕の立つ剣士でございますので、どうぞご安心下さい」

 すると紳士は、やはり灰色をしている瞳を細めて、柔らかく微笑んだ。

「いいえ、私は魔道士殿にお願いしたい事がございまして、お声がけしたのです」

「え、ぼくに?」

 意外な言葉に、ファリーは目を丸くした。


 とにかく話を聞くために、営業に出ていたロニエスを呼び戻す。

 紳士は自ら馬を引いて、ファリーとロニエスを人気の少ない場所まで誘導した。

「あそこは人通りが多うございますからな。・・・これからお話する事は他言無用でお願い致しますぞ」

 ロニエスとファリーは顔を見合わせる。

 黙っているのが了承の意と受け取ったのか、紳士は話を始めた。


「私の名はトリッチと申します。サムガルヴァ大公国にて、大公殿下付きの執事を拝命致しております」

 サムガルヴァ大公国。

 聞きなれない国名に、ロニエスが「どこだソレ」という顔をファリーに向ける。

「サムガルヴァといえば、大陸の北方にある国ですね」

 ファリーが(ロニエスの為に)補足すると、トリッチと名乗る執事は満足気にうなずいて、

「その通りでございます。北方の雪深き山々に抱かれた国でございます」

 はるか祖国を見やるような遠い目をした。

「お願いしたい事と申しますのは、この荷をサムガルヴァまで護っていただきたいのです」

「サムガルヴァまでですか!」

 ファリーの声が大きくなる


 このネハーコの町があるのはジェミニード大陸の東側だ。

 ここから北方のサムガルヴァまでは、とても・・・というか、かなり遠い。

「馬車で行くとなると・・・ひと月、いえ、ひと月半くらいかかりますよね?」

「げっ、すげぇ遠いじゃねえか!」

 ロニエスがやっと驚く。具体的に距離を把握できたらしい。

「いえ、ざっとふた月はかかりましょう」

 サラリとトリッチが訂正した。

(・・・いや、だからさ、長くなってるし。)

 ファリーは心の中でトリッチに突っ込む。


「あのぅ、一体その荷物は何なんですか?」

 半分は興味、半分は断る理由が欲しくて、ファリーはトリッチに尋ねた。

 トリッチは荷に掛けてあった布を一気に引き抜いた。

 現れた物に、ファリーとロニエスは目を見張った


To be continued.

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