第8話 ファリーとアマンダ
アマンダは理解し難い光景に思考が付いて行かない。
レスネイル族に性別が無いのは知っていた。
今日だって、実際にこの手が少年のような胸を確かめていたのだから。
なのに今、目の前のファリーが
「どういう事なの、これ。レスネイル族は性別を持たない代わりに、魔族中で最も高い魔法能力を持っているんじゃないの?」
狼狽がアマンダの声に現れている。顔をそむけたままファリーは口を開いた。
「ぼくたちレスネイルは、生涯の中のある一定期間・・・つまり、その・・・子供が作れる年齢になると、今まで隠れていた男女の性別が、身体に現れるんだ。しかも夜の間だけ。これを
「は・・・」
初めて聞く話にアマンダは混乱する。
レスネイルの血を扱う者として、知見があったという自負が崩れたからかもしれない。
だが、丸まったファリーの背中が小刻みに震えるのを見て、頭の中が一気に冷めるのを感じた。
「・・・悪かったわ。手荒な事をして」
落ちていた服を、その細い肩にそっと掛ける。
ファリーがふるふると首を振った。
騒ぎに驚いて、壁の棚に避難していたググが、アマンダの肩へと戻ってきた。
その頭を軽く撫でて、アマンダは椅子に座り直す。
落ち着いて考えてみれば当然の事だ。
レスネイル族とて、ヒト族との間に子を成してきたからこそ、ヒト族のなかに突然レスネイルの子が生まれたりするのだから。
このファリーのように。
・・・と、そこまで考えてアマンダは首を傾げた。
「・・・に、しては、魔法院の魔道士たちは随分と中性的ね。今日の魔道士だってレスネイル族でしょう?青い髪をしていたわ」
今日の魔道士とは、アマンダを同道させた青いローブの事だ。
魔法院に勤める魔道士の多くは、レスネイル族なのだ。
レスネイル族はヒト族と変わらない風貌だが、ヒト族ではあまり現れない髪の色をしていた。
ファリーの髪も一見黒いが、実は暗い緑色をしている。
「性徴期が終わると元の中性体に戻って、もうそのまま性別が現れる事は無いんだ。あの人たちはもうその時期を過ぎているんだろうね」
服を着終えたファリーは、チラリとアマンダを見た。
「・・・できれば内緒にしてほしいんだ、今の話。レスネイルは自分たちの身体の事を公にするのを嫌う。魔法院に知られたら詰問されかねない」
「・・・なるほどね」
アマンダはため息まじりにうなずいた。
「ロニにも言わないで」
「え、一緒に寝泊りしていて気付いてないの?あのバカは」
「そうと分かって平然としていられると思う?あのロニが」
逆に問われて、アマンダは頭をかいた。
さっきの自分の狼狽振りを思えば、あの単純思考の男が大騒ぎしない訳が無い。
「分かったわ。話したところであたしに何の利点も無いしね」
肩をすくめて見せて、アマンダは血液を流した型を引寄せる。
「ありがと」
ファリーは新しいカップにお茶を注いで差し出した。
ググが
「全く、今日は人魚の事といいレスネイルの事といい、驚く事ばかりだわ。ただのヒト族のあたしには付いて行くのが精一杯よ」
疲れ気味の溜息を深く吐いたアマンダは、作業を再開する。
弾力のある粒となった血液を型から外し、取り出した矢の
終わると、次の矢にも同じ事を繰り返した。
「・・・ねぇファリー。昼間の人魚の話だけどさ、王様が金山と交換したのは死んだ人魚だったのよね?」
「そうだよ。だから貴重だったんでしょ」
冷ましたお茶をググに与えながら、ファリーが答えた。
「という事は、やっぱり死体というか、人魚の肉を腐らせないで保存する方法があるのよね。その文献とやらには載ってなかった?」
「載っていたら、普通に本物の肉が売られているだろうねえ、闇取引だけど」
「そうだったわ・・・」
愚問とばかりに、アマンダはペチリと自分の額を叩いた。
手持ちの矢の先が全部赤くなると、残った粒を空いた瓶に詰め戻す。
アマンダは同じ作業を他の瓶にも繰り返した。
「・・・あ!例えば凍らせてしまうのはどう?氷結の魔法を使うのよ」
名案とばかりに顔を上げたアマンダに、ファリーは皿のクッキーをつまんで見せる。
「もし仮にここに人魚の死体があって、今、それを腐らせないようにぼくが氷結魔法をかけたとするよ。そしたらぼくは、このクッキーを食べ終えたらすぐに、魔法の重ね掛けをしないとならない」
つまんだクッキーをパリポリとかじる。
さして大きくもないそれは、あっという間にファリーのお腹に収まってしまった。
「・・・そんなに?」
「もっと腕の良い魔道士なら、もう少し時間を置けるかもしれないけどね。それにしたって、何日も持続させられる訳じゃ無いさ。溶けない氷なんて無いでしょ?」
と言って、ファリーはお茶に口を付けた。
「じゃあ別の魔法よ。封魔みたいに持続するやつがあるのかもしれない。・・・あ、腐らせない護符があるんじゃないかしら?すっごく強力なやつが・・・」
グイグイと話を引っ張るアマンダに、ファリーは大きなため息をついた。
「・・・ねぇ、アマンダは刻印士でしょう?魔族の血肉を使って魔法薬を作る
ファリーの問いにアマンダは一瞬、目を見開く。
しかしすぐに力を抜いて、
「不老不死の身体なんて、魅力的じゃない」
と、言った。
「えっ・・・まさかそれ、信じているの?」
驚くファリーに、アマンダは「ふふっ」と笑う。
「ファリーは
長い脚を高く組み直す。栗色の長い髪を指で絡める仕草は何とも艶やかだ。
永遠の若さと美しさか・・・。
確かにアマンダの口から出れば、うなずける気もするけど・・・。
そう思いながら、ファリーは新しいクッキーをつまみ上げた。
「ちょっと、食べてばかりいないで同意しなさいよ。ファリーも女の子でしょう?」
バキッとクッキーが半分に折れて、落ちた。
「・・・ねえ、本当にロニエスに黙ってていいの?あなたが女の子だって事」
アマンダの瞳が、
「だっ、だって・・・ロニは女の人が苦手だから・・・」
「分からないわよ。だってアイツ、以前は女の子が嫌いじゃなかったんだもの」
「えっ・・・」
ファリーの声が硬くなる。テーブルに落ちたままのクッキーを、ググが咥えて行った。
「ロニエスは頭は鈍いけど顔は悪く無いでしょ、女の子は黙っていなかったわよ。娯楽の少ない田舎の村だったから、恋愛絡みしか楽しみが無かったし。本人だってまんざらじゃない様子だったんだから」
「へ、へえ・・・」
アマンダから語られるファリーの知らない頃のロニエス。
二人が同郷の幼馴染みなのは承知の上だ。
聞きたい知りたいと思うのに、やけに胸がチリチリするのはどうしてだろう。
「まぁ、ごく普通の男の子だったわね・・・15歳になるまでは・・・」
あっ、と、ファリーは声を出しそうになって下を向く。
15歳の時、ロニエスはヴァーサンクとして初覚醒したのだ。
詳細は知らないが、それだけはロニエスから聞いていた。
そのヴァーサンク化した彼を封じたのが、当時、刻印士になったばかりのアマンダだったという事も。
「・・・アイツの身体には、あたしが刻んだ印しか付いてない。あれから、一度も再覚醒してないって事なのよね。大したものだと思うわ。用心棒だなんて危ない商売してるのに。ファリーの力がいかに大きいかと思うわ」
それがお世辞ではなく、アマンダの素直な言葉であるのはファリーにも分かった。
だからこそ何だか照れくさいようで、彼女の顔をまっすぐに見られなかった。
「だからぁ、ファリーの出方次第ではロニエスの女嫌いも治るかもしれないわよ」
はた、と上げたファリーの目に、妖しい光を宿すアマンダの
「で、出方次第って、何をどうするのさ」
たちまちアマンダの紅い唇がニタリと引き上がる。
「教えて・欲・し・い?」
椅子を引寄せてアマンダが近づいてくる。
ファリーは自らの
すっかり満腹になったググが、テーブルの上でころんと丸まって、大きなあくびをひとつした。
To be continued.
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