第7話 秘めごと
夕闇が迫り東に二つの月が昇る頃、アマンダはロニエスとファリーが泊まっている宿に帰ってきた。
・・・そして・・・
「・・・んっ、ちょっ・・・アマンダ、ぼくもう無理だよ・・・ダメだよぉ・・・」
「もう少し・・・もう一回だけちょうだい、ね」
「あっ・・・ダメって言ってるのに・・・そんな・・・」
昨夜と同じように、窓という窓の板戸を閉め結界を張り巡らせて、完全な密室となった部屋から、くぐもったかすかな声が漏れている。
中では、昼間の約束が果たされているのだ。
ロニエスはとっとと公共温泉へと追い出されてしまい、ファリーとアマンダ二人きりの秘めごとが行われていた。
「あぁ・・・ダメだよぅ・・・もう・・・」
「ファリー・・・いい子ね、力を抜いて・・・そう・・・もう少しだから・・・」
アマンダの長い指がファリーの短い髪を撫でる。
汗ばむほどに握っていたファリーの手が、ゆっくりと開かれた。
「・・・よしっ、これでおしまいよ、ファリー。ご苦労様」
自分の腕から注射針が抜かれるのを見届けて、ファリーはテーブルに突っ伏した。
「あうー、クラクラするよう。もうダメだって言ったのに、欲張りなんだからなぁ・・・」
「ごめん、ごめん。ほら、これ飲んでちょうだい。お菓子もあるわよ」
アマンダはポットからお茶を注ぎ、蜂蜜をたっぷりと溶かした。
鼻をくすぐる甘い香りに、ファリーの顔が起き上がる。
テーブルの上にある大皿には、ケーキやクッキーが山盛りにされている。
昼間の市では甘いものを食べられなかった。
ファリーはごくりと喉を鳴らしてから、まずは温かいお茶で失われた水分を補給する。
一口含むと、蜂蜜の甘さと香りが身体に染み渡った。
アマンダは注射器の中味を小瓶に移した。
ファリーの血液で満たされた小瓶は全部で4個。
同じ数に1枚足して、5枚の銀貨をファリーの前に置いた。
「まいど」
それを大事にポケットにしまってから、ファリーは皿の上のケーキに手を伸ばした。
「ググもおいで。一緒に食べよう」
飛んできたググにケーキの切れ端を差し出すと、指のある前脚で掴んで器用に食べ始めた。
その様子を見ながら、アマンダは傍らで道具を並べて、血液の加工を始める。
レスネイルの血液には強い魔力があり、魔法の補足剤として
特に封魔に関しては威力を発揮するので、刻印士には欠かせないものだった。
「・・・で、魔法院で何を聞かれたのさ、アマンダ。ずいぶん時間がかかったじゃないか」
花型に抜かれたクッキーをかじりながら、ファリーが聞いた。
「まあ、あれよ、『魔法院さしおいて、刻印士ごときが出しゃばって封魔とかしてるんじゃねえよ』って事を言いたかったんでしょ、まわりくどかったけど」
「何それ。自分たちは警備兵に先を越されたくせに、随分と勝手だね」
口を尖らせるファリーを軽く笑いながら、アマンダは取り出した薬液を血液に垂らして振り混ぜる。
「ここの魔法院は設置されて日が浅いそうよ。観光客を狙った魔族がらみの事件が増えたので誘致したんだって。地元の人たちにはあまり認知されていないみたい。そもそも魔法院なんて、魔道や魔族に関わらない人たちには馴染みが薄いから、ここの住民にとっては、武装した警備兵の方が身近で頼れる存在なんでしょうよ」
魔道や魔族に関わらない人たち・・・か。
お茶のおかわりを注ぎながら、ファリーはアマンダの言葉を胸の中で繰り返した。
「初覚醒だったのよ、あの子」
聞かれるでもなくアマンダが話し出した。
「家の屋根から落ちて大怪我をしたらしいの。その手当ての最中に覚醒したみたい。あたしが行った時には、すでにあの子は逃げ出した後で・・・村の人たちで制しようとしたのが、かえって被害を大きくしていたわ。初覚醒は何より覚醒した本人が大混乱するから、すぐに刻印しないと周囲も本人も傷が深くなるばかりなんだけど・・・補足するのに時間がかかってしまって・・・」
魔道や魔族に関わらないで暮らせない事はない。
そういう一生を過ごした人は大勢いるだろう。
けれどある日突然、思いがけずその道に引きずり込まれてしまう。
今日のヴァーサンク化した少年も、その家族も故郷も。
ファリーはお茶に映り込む自分を見つめた。
そして・・・自分も、
現在、ジェミニードに存在する魔族のほとんどは、人間・・・ヒト族との混血によって生まれた者たちである。
はるか昔、人間と魔族はジェミニードの大地の支配を巡って争い、人間が勝利した。
滅びに瀕した魔族たちは、種の存続のため人間との間に子孫を残す事を選択する。
長い年月、魔族の血は次第に薄められて、身体や能力に現れなくても、その情報だけは確実に血統に残り、世代を超えて受け継がれていた。
つまり、両親祖父母すべてがヒト族であるにも関わらず、突如として魔族の特徴を持った子供が生まれてしまう。
現在のジェミニードに暮らす魔族たちの多くは、こうして誕生していた。
だが、生まれた時にはその特徴が何ら現れず、成長してから血が目覚める魔族がいる。
狂人種と呼ばれるヴァーサンクが、それであった。
そのきっかけとは、命の危機。
それも血を継いだ男性のみが、少年と呼ばれる期間に死に直面すると、ヴァーサンクとして覚醒するのだ。
「・・・ねぇ、アマンダ。あのヴァーサンク化した男の子は、魔法院に引き渡されちゃったの?」
聞かれて、アマンダは作業の手を止める。
カツカツと、ググがケーキを啄ばむ音だけが部屋に響いた。
うなだれたファリーの白いうなじが、アマンダの目に入る。
「・・・あたしの仕事は封じたら終わりだから、後の事は分からないわ」
言ったが、ファリーは何も言わない。
仕方なく、アマンダは再び手を動かし始めた。
振り混ぜた血液を、小さな丸い粒のたくさん付いた型に流し込む。
ヴァーサンクとして覚醒した者は、魔法院に出頭、または連行しなければならない。
一旦覚醒してしまうと、再度、再々度と覚醒を繰り返してしまうからだ。
あの状況で、魔法院があの少年を見逃すなど、まず考えられない。
それはファリーが一番良く分かっている事だった。
・・・そして、魔法院に引き渡された後、何をされるのかも。
「もう!ファリーが悩んだって仕方無いでしょ、元気出しなさいよぉ」
うなだれるファリーの背中に、アマンダが抱きついた。
無防備な腋の下から前へと回された手が、ファリーの薄い胸板をまさぐる・・・はずだった。
「・・・えっ?」
アマンダの手は、そこにあるはずが無いものを握っていた。
ハッ!とファリーの身体が強張る。
アマンダはそのまま、ファリーの服の裾を掴み上げた。
「やっ、やめて、アマンダ!」
むしり取られた服の下から、膨らんだ胸が弾み出る。
ファリーは自分をかき抱いてそれを隠すが、丸い華奢な肩、まろやかな背中から腰に繋がる曲線は、女性のそれであった。
「・・・どうして?だって昼間はそんなの付いてなかったじゃない・・・」
アマンダは呆然として言った。
「ロニには言わないで!お願い、黙ってて!」
泣き出しそうな叫びを上げて、ファリーは身を屈める。
アマンダは理解し難い光景に思考が付いて行かない。
レスネイル族に性別が無いのは知っていた。
今日だって、実際にこの手が少年のような胸を確かめていたのだから。
なのに今、目の前のファリーが
「どういう事なの、これ。レスネイル族は性別を持たない代わりに、魔族中で最も高い魔法能力を持っているんじゃないの?」
To be continued.
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