第6話 人魚の噂

 店主と思しき男は、調子の良い笑顔を見せる。

「それじゃあ、とっておきの品を見てもらわにゃあなるまいよ。大きな声じゃ言えないがね、人魚の肉が手に入ったんだよ」

「えっ!」

 ファリーとアマンダが同時に声を上げた。


 店主はその驚きぶりを噛み締めるように頷いて、背後から瓶詰めをひとつ取り出した。

 色付きガラスで中は透けて見えないが、特に厳重な封が施してあるようでも無い。

「人魚の肉?人魚なんて食えるのかよ?」

「このバカは放っておいて、早く現物を拝ませてちょうだい」

 ロニエスとアマンダのやりとりを笑いながら、店主は何の躊躇ちゅうちょも無く瓶の蓋を開ける。


 中は水で満たされていて、そこに肉の塊が浮いている。

 顔を近寄せると磯のような匂いがして、肉に魚のような鱗がびっしりと付いているのが分かった。

「小せぇな。それにあんまり美味くなさそうだ」

 ロニエスは顔をしかめて、つまらなそうに呟く。

「にいさん、こいつは不老長寿の薬で、一口食べれば刃も立たない身体になるって寸法だ」


 刃も立たない身体・・・。

 店主は気を引こうと言ったのだろうが、ロニエスとファリーは揃ってうんざりとした表情になる。

 刃も立たない肌を持つドロフ族を相手に苦戦したのは、つい昨日の事だ。


 だがアマンダは真贋しんがんを確かめるように、瓶の中のものに真剣な眼差しを注いでいる。

「この水は何なの?真水じゃ無いわね」

「海水だよ。人魚が棲む南方の海のね。こうすると肉が腐らないんだよ」

 店主の説明に、アマンダは「へえ」と感心する。

 ファリーは小さく溜息をついて、早々に核心を突いた。

「それで、その肉をいくらで売ってくれるのさ?」

 店主はクイクイと指で招く。

 三人の顔が近づいたところで、金額をそっと披露した。


「げっ、高っ!それだけありゃ、もっと美味い肉をたらふく食えるぞ」

 まず飛び退いたのはロニエスだった。

 だが隣に立つアマンダは、値段が妥当と踏んだのか、腕を組んで瓶をじっと見つめている。

「あー、やっぱりぼくらには高すぎる買い物だ。ロニ、アマンダ、行こう、行こう」

 ファリーはロニエスとアマンダの腕を掴むと、引き止めようとする店主を振り切って、足早に店を離れた。


「ちょっと待ってファリー。確かに高い買い物だろうけど、人魚の肉なのよ」

 腕を引かれながら、アマンダは名残惜しそうに遠のく店を振り返る。

 ファリーは足を止めてアマンダを見上げた。

「本物の人魚だったら、あんな値段で買えるもんか。100年くらい前、どこかの国の王様が、人魚の死体一体と領地の山ひとつを交換したって、文献にあったよ」

「山なんか貰って嬉しいのか?俺は美味い肉を山ほどの方が良いぞ」

「あはははは、ロニらしいね。でも、その山が鉱山で豊富な金脈を持っていたとしたら?」

「黄金を産む山が代金か・・・」

 声を上げたのはアマンダの方だった。

「誇張の分を差し引いても、こんな市場で売られて良い代物じゃあないわね」

 驚きを通り越してあきれた、という顔つきでアマンダは肩をすくめる。

 ファリーは笑って頷いてから話を続けた。


「不老長寿なんていうのは眉唾まゆつばだと思うよ。人魚の肉なんて、手に入れるのはまず無理だから、そういう話になってるんじゃないかな。人魚は海で死ぬと、死体は溶けて無くなってしまうから」

「溶けて無くなる?・・・じゃあもし、陸に上がって死んだらどうなるの?」

 アマンダが信じられないという顔つきで、ファリーに質問する。

「すぐに腐ってしまうんだ。それがものすごい速さで、半日もたたずに骨まで腐り落ちるらしいよ。・・・まあ、そもそも人魚は海以外では生きられないから、陸なんかに上がっては来ないけどね」


「・・・やっぱり噂はガセネタなのかしらね」

 ポツリと漏らしたアマンダを、ファリーが見た。

 その視線を受けて、アマンダはきまり悪そうに話し出す。

「南方の海岸に人魚の死体が上がった、っていう噂を聞いたのよ。それもすぐに誰かに持ち去られたとかで、魔法院が探しているって。・・・だからまぁ、ちょっと気になっていたの」


 なるほどね。

 ファリーはやっと得心した。人魚流行りの理由はそれだったのか。

 偽物とはいえ、人魚の肉を一日のうちに二度も見る事は滅多に無い。

 つまりはその噂に便乗しているのだ。もしかしたらあのどちらの店の主も、本物と信じて仕入れたのかもしれないが・・・。


「ところで、あなたたち今夜もここに泊まるんでしょう?」

「あ、うん。そうだよ」

「じゃあファリー、今夜ひと稼ぎしない?・・・料金、上乗せしてあげるわ、よ」

 たっぷりと艶を乗せた目で見てくる。

 するとロニエスがその視線から護るように、ファリーとアマンダの間に身体を入れた。


「・・・何よロニエス」

「お前はファリーに無理させるからな。この前もそんな事言って、こいつの足腰立たなくなるまでやりやがったじゃないか」

 ロニエスはきつい目をして、年上の幼なじみを見下ろした。


「大げさだよロニ。・・・うん、いいよアマンダ」

 にっこりと了承するファリーを、アマンダはロニエスを突き飛ばしてムギュッと抱きしめる。

「それでこそあたしの可愛いファリーだわぁ。・・・大丈夫よ、痛くしないからねぇ」

「く、苦しいよう、アマンダ」

 またも豊満な胸の間に挟まれたファリーは、バタバタともがいた。


 何とか顔を出したファリーの視界に、目に鮮やかな青いフードが飛び込んだ。

 屋台を回遊する人波の中、こっちに向かってやって来る。

 ファリーの頭の中で、昨日の記憶が急速に再生された。


「忘れてたっ!この町、魔法院があるってドロフが言ってたんだ!」

 そうだ、自分はここの魔法院に差し出されるかもしれなかったんだ。

「そんな事、言ってたっけか?」

 ロニエスがきょとんとした顔をする。

 ・・・うわぁ、記憶自体が無くなってるし。


 青いフード付きのローブは魔法院の魔道士である証だ。

 明るい青色は、人込みの中でもよく目立つ。

 二人ほど見えるそれは、どうやらファリーたちを目指しているようだ。

「魔法院ですって?・・・ググ、行って」

 ググは主人の意を解して、すぐにアマンダの肩から空へと飛び立った。


 魔法院とは、ジェミニードにおける魔物や魔法を含め、魔道に関する事柄全般を監督統括する機関の事である。

 ググのような魔獣を連れ歩くにはさまざまな規制があり、本来こうして気ままに飛ばして良いものでは無い。問いただされると何かと面倒だった。


 ・・・ぼくの方はもっと面倒だけどね。

 ファリーは近くの屋台へとロニエスを誘導し、そのまま店の影に身を隠す。

 人魚の瓶詰めを出していた店は、あわててそれを隠したが、青いローブの人物たちは、全く気にも留めずに前を通り過ぎた。

 アマンダは両手を腰に当てて堂々とそれを迎える。


「ヴァーサンクを封じた刻印士こくいんしはあなたですか?」

 成人の男性にしては、高めの柔らかい声だ。

 フードからちらりと見える髪は、ローブと同じ青い色をしている。

「だったらどうだっていうのかしら?」

「魔法院まで来ていただけますか、お聞きしたい事があります」

「今ここで聞いたらどう?何でも答えてあげるわよ」

 アマンダは両腕を組んで、目の前の魔道士を見据えた。

「いえ、魔法院でお話をお伺いします。ご同道を」

 魔道士は穏やかで丁寧な口調の中に、拒否を許さない強引さを匂わせる。

 アマンダは大げさな溜息をひとつ吐くと、

「分かったわ、行きましょう」

 そう言って魔道士たちに付き従った。


「・・・行っちまったよ」

 アマンダの後ろ姿を見送って、ロニエスがボソリと呟く。

 それは意外にも心配そうな声だった。

「大丈夫だよ、アマンダは正式な認定証を持つ刻印士だもの。・・・すぐに帰ってくるさ」

 自分に言い聞かせるように言って、ファリーは空を見上げた。

 雲ひとつ無い青空に、小さなガーゴイルが円を描いて飛んでいる。


「ググ!おいで!」

 ググはまっすぐに下りてきて、差し出されたファリーの腕に止まった。

「ぼくたちと一緒にアマンダを待っていようね」

 喉を撫でられて、ググは気持ち良さそうに目を細める。

 行き交う大勢の人に紛れて、すでに青いローブもアマンダの姿を見えなくなってしまった。

 そしてまた、店の売り声や客たちの楽しげな話し声が、ファリーたちを包んでいた。


To be continued.

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