第5話 刻印士

 兵士たちの緊張が緩んだ瞬間、

「うわぁぁぁっ!」

 悲鳴を上げたのは警備兵の方だった。

 立ち上がったヴァーサンクに首を掴まれ、高々と持ち上げられている。

 ヴァーサンクの様子は、先ほどとはあきらかに変わっていた。

 身体じゅうの筋肉は更に盛り上がって、ヒトの姿すら逸脱しそうな勢いだ。

 目には怪しげな光が宿り、全身から蒸気のようなものを発している。


「魔力が見え始めた・・・まずいな・・・」

 呟いて、ファリーは顔をしかめた。

 他の警備兵たちが果敢に応戦するが、やはりさっきとは違って、いとも簡単に蹴散らされ倒されてしまう。

 持ち上げられていた兵が口から泡を吹いて、ぐったりとなった。


 ファリーは意を決して、ヴァーサンクの前に出る。

 この惨状におどり出た若い魔道士に浴びせられるのは、喝采や歓声ではなく、叱りつけるような怒号ばかりだ。

 ファリーはひるむことなく、目の前で杖を横に構えた。

「邪悪なるものよ、神の光に追われ地の底へ・・・」

「待ちなっ!そいつはあたしの獲物だよっ!」


 えっ?

 呪文を遮った声の方を振り向く。

 距離を置いて、やはりこの場にはそぐわないだろう、若い女が仁王立ちをしていた。

 風にひるがえる長い栗色の髪。

 豊満な胸元を覆う上衣は短く、くっきりとくびれた胴体を陽光に曝している。

 丸みのある腰に下がる巻き布の切れ込みから魅惑的な脚線が覗いて、右手には自動弓クロスボウ、左手には矢を携えていた。

 その頭上を鳥のようなものが飛んでいる。


「あれは・・・」

 ファリーは杖を収めて場を譲った。

 ヴァーサンクが女に向かって大きく吼える。

「そうイキリ立つんじゃないよ坊や。おねえさんが優しく宥めてあげるからね」

 左手の矢でヴァーサンクを指し示すと、やじりで空に何かを描いた。

「神聖護符」

 その軌跡を目で辿って、ファリーが小さく頷く。

 その矢を弓につがえて、女は猛るヴァーサンクに狙いを絞る。


「邪悪なるものよ、神の光に追われ地の底へ戻れ。ラ・クフル・マウジカノチア!」

 赤い唇から紡がれた呪文を受けて、矢はまばゆい光を発しながら、ヴァーサンクめがけて飛んで行く。

「ガァアアアッ!」

 肩口に突き刺さった矢から染み出した光は、みるみるとヴァーサンクの全身を包み込む。

 直視できないほどの強い光に焼かれ、ヴァーサンクの苦悶の叫びが広場にこだました。


「・・・った」

 目を細めて見守るファリーの呟きに応えたかのように、光は徐々に小さくなってゆく。

 すっかりその明るさが鎮まった時、そこに倒れていたのはいかつい筋肉を纏った魔物ではなく、まだ顔に幼さを残す少年だった。


 女は恐れる素振りも無く彼に近づき、肩に刺さった矢を引き抜いた。

 するとその部分に黒い紋様がサッと浮き出て、すぐにまたかき消える。

 その紋様はロニエスの胸元に浮き出たものと同じであった。


 ファリーは泡を吹いて倒れている兵に駆け寄り、すぐに回復魔法の呪文を唱える。

 ほどなく兵士の目が開かれた。他の兵士たちも、周りの者たちが助け起こしている。

 怪我人を運ぶ戸板も持った者も見えた。きっと医者の手配もされているだろう。

 ファリーは安堵の息をつく。


「ファリー!誰かと思ったらファリーじゃないの!」

 いきなり何かが背中に飛びついてきた。

「相変わらず可愛い身体しちゃってぇ。美味しそうなんだ・か・ら」

 回された両手がファリーの薄く平たい胸をまさぐる。

「ア、アマンダ・・・久し振りだねぇ」

 ファリーは絡みつく腕を解いて振り返った。

 ヴァーサンクに矢を放った女、アマンダが婉然えんぜんと笑っていた。


「ググ、ぼくだよ、降りておいで」

 ファリーが空に向かって声をかける。

 するとはるか頭上を飛んでいた鳥らしきものが、降りてきた。

 だがそれは鳥ではなく、コウモリのような羽とくちばしはあるものの、身体は大きなトカゲのようで長い尻尾があり、額から一本角が生えている。

「久しぶりだね、ググ」

 ググと呼ばれた魔獣は、ファリーの差し出した両手の上で、指のある前脚をそろえて小犬のようにお座りをしてみせる。


「ファリーも元気そうね。うんうん、血色も良くて何よりよ。ところで・・・」

 アマンダは首を巡らせて辺りを見た。

「あの顔だけの独活うどの大木は?一緒じゃないの?・・・あ、もしかしてとうとう捕まったとか?」

「えっ、あの・・・」

「それじゃあファリー、あたしと組もうよぅ。おねえさんが昼も夜も面倒みてあげるからさぁ」

 アマンダは正面からギュッとファリーを抱きしめる。

「わっ・・・ぷ」

 豊満な胸に顔が挟まって、ファリーは息もできない。


「おい腐れ刻印士こくいんし。ファリーを窒息させたらてめえも絞め殺すぞ」

 頭上で響く凄んだ声に、アマンダは両手をパッと放す。

 開放されたファリーは、大きく口を開けて空気を吸い込んだ。

「はぁ・・・ん。相変わらず身体も態度も無駄にデカい男だわねぇ」

 アマンダは顔だけ振り向いて、声の主を見上げた。


「ロニ!どこ行ってたのさ、心配したよ!」

 叱るようなファリーの言い様に、ロニエスはバツが悪そうに頭をかいた。

「いや、お前がアレの前に出るのは見たよ。だから俺も出ようと思ったんだけど、このトカゲ鳥が飛んでるのが見えたんで、じゃあアマンダが居るはずだっ・・・」

 ゴンッ!と鈍い音が響いて、ロニエスの頭から小犬ほど大きさの石像が転がり落ちた。


「・・・っ痛えええぞ!このトカゲ鳥!」

 石像は地面に落ちる直前に生体に戻ると、パッと羽を広げて舞い上がる。

「ググはガーゴイルだよ、ロニ」

 肩に乗ってきた石像・・・ググを撫でながら、ファリーが言った。

「ガーゴイルってのはもっとデカくて館の番をする魔獣だろうよ。お気楽に空を飛んでるチビ助はトカゲ鳥で充分・・・って、痛えよ、コラ!」

 石像をまともに受けて痛む頭を抱えているロニエスを、ググがさらに嘴でつつく。

 トカゲ鳥と呼ばれたのが、よほど気に障ったようだ。


 ガーゴイルは自在に石化できる魔獣だ。

 魔道士などの使い魔となる魔獣で、石像となって主人の留守を護り、敵が侵入すると生体に戻って撃退するというのが常道だが、ググはまだ小さく、小犬ほどの大きさしかないからか、主人のアマンダが一緒に連れ歩いていた。


 ふと、ロニエスはアマンダがじっと見つめているのに気付く。

「・・・何だよ?」

「ふう・・・ん。いまだにあたししか知らない身体なのねぇ、あんたは」

「き、気色の悪いコト言うなよな」

 あからさまに嫌な顔をして、ロニエスは身震いした。


 アマンダとロニエスは同郷の幼ななじみだ。

 ふたりとも故郷を離れて久しいが、旅の空でうっかり再会してから、こうしてたびたび行き逢うようになっていた。


 とりあえず騒動が収まったとみて、警戒していた買い物客たちも再び店を巡り始めている。

 賑やかな雰囲気が広場に戻りつつあった。

「いやぁ、ねえさんは若いのに腕っこきの刻印士だ。おそれ入ったよ」

 パンパンと手を叩きながら褒め口上を並べてくるのは、やはり魔法関連の品物を売る屋台に立つ男だった。

 さっきファリーが見たのとは別の店だが、品揃えの胡散臭さは似たり寄ったりのようだ。

 それでもアマンダは近寄って品物を眺めだす。


 刻印士とは、神聖護符を刻印して魔を封じるのが主な仕事である。

 全てを自らの魔力で行う魔道士と違い、様々な魔法道具を使うので、商品が気になるようだ。

 ロニエスとファリーも、それに付き合う形で店をのぞいた。

 店主と思しき男は、調子の良い笑顔を見せる。

「それじゃあ、とっておきの品を見てもらわにゃあなるまいよ。大きな声じゃ言えないがね、人魚の肉が手に入ったんだよ」

「えっ!」

 ファリーとアマンダが同時に声を上げた。


To be continued.

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