第三話 Dear My NearFriend

 1


 もうどれくらい走っただろう。息も絶え絶えになりながらもまだ足を止めようとは思えなかった。気が付けばあんなにも綺麗に輝いていた夕陽は雲に隠れてしまっている。

「ごめん……ごめんね……」

 絶えず口から漏れる謝罪の言葉。どれだけその言葉を口にしようとも彼女に伝わる筈が無い事なんて頭では理解しているけれど、それでも私はその言葉を口から零すのだ。


 それからしばらく走り続けていると頬に一滴の水分が落ちた。目から零れたものでは無いその水分が雨だと理解した頃には、段々と周囲の音を消し去るようにしとやかに雨が降り始めてきていた。

「最悪……」

 今日の天気予報は晴れのち曇りだったはず。だから傘の用意なんてしている訳もなく、強さを増していく雨に打たれながら熱されていた身体が段々と冷えてゆくのを実感し始める。

 そんな時にふと一つの遊具が目に付いた。それはあの夢の、十年前の出来事の舞台とも言えるドーム状の遊具。どうせにわか雨だろうと高を括り、私は一時的な雨宿り先にそのドーム状の遊具の中に入り込んだのだった。


 2


 しばらく彼女を追うために走り続けること十数分。ようやく私は彼女の家へと辿り着く。朝、彼女を起こすために何度か家の扉をノックすることが日常となっていたが今日ばかりはいつもとは違いインターホンを鳴らす。

「はい、市ノ川ですが……って菜穂ちゃん?」

 お母さんは最初こそ畏まってはいたものの、私の姿を確認したのかそんな素っ頓狂な声を上げながらインターホンから声が消えて数秒。家の中で慌ただしい足音が聞こえ続けている。

 それから一分ほどが経っただろうか、家の玄関扉が開き、ドアの隙間から彼女が顔を出し様子を伺っていた。

「あの……ごめんなさい、乃恵帰ってきてます?」

 彼女のその動作に合わせて私が問いかけると、不思議そうな顔をしながら彼女は、

「まだ帰ってきてないけど……菜穂ちゃんと一緒じゃないの?」

 そう言い放ち、私を見つめていた。

「え……わ、わかりました。ちょっと予定あって帰り一緒じゃなかったんです」

「珍しいわね、まあ帰ってきたら連絡入れさせるわよ?」

「ありがとうございます……!一応私もう少し探してきますね!」

 それだけ言い残し、家から去ろうとすると、

「ちょっと待って」

 と、お母さんが私を呼び止めてくる。

「どうしました?」

「ほら、雲出てきて雨降るかもだから……傘持っていきなさい」

 そう言って私に傘が差し出された。

「ありがとうございます!」

 彼女からそれを受け取り私はまた走り出す。乃恵が何処に行ってしまったのか検討もつかないけれど、それでも私は走ることを止めなかった。


 3


 小学生の時は大して窮屈にも感じなかったこの空間も、成長してしまった今となっては立ち上がれば天井に頭をぶつけてしまいそうだった。

 外の雨は止みそうもなく、ドームに打ち付けられた雨粒の音だけが内部に反響し、決して落ち着けるような状況ではなかったが、それでもしんと静まり返っているよりは幾分か心が楽な気さえするほどに孤独を感じていた。だがその元凶も自分自身だと言うのだから救いようがない。

 段々と冷え始めた空気から身を守るように膝を抱き寄せる。雨から身を守る為にこんな狭い場所に居るのにも関わらず、手の甲に落ちる水滴だけはいつまで経っても止むことはなく、とめどなく濡らし続けていた。


 もう明日から彼女は私の家には来ないだろう。何せ私は決して表に出すべきでは無い、彼女に伝えてはいけなかった事を面と向かって伝えてしまったのだから。彼女のあの返答に困り果てた表情が目に焼き付いて離れない。

 私達の関係やこの幸せな生活の終わりがこんなにも早い物だとは思っていなかったから、まだ私はそれを受け入れられずにこんな現実逃避を続けているのだ。


 不意にあの日のことを思い出す。十年前、私が彼女に救われ、彼女が私のヒーローとなったあの日の事だ。

 だが彼女はもう私のヒーローでは無いのだ。あの日になぞらえて今、助けてと叫んだとしても誰も来るはずもない。そんなことは分かっているのに私は、

「助けてよ……ヒーロー……」

 そう、か細く震えた声で助けを求めてしまった。誰も助けになんか来ず、絶望だけが私を襲うだろう。だが私の耳に届いてきたのは予想を裏切る物音だった。

 こちらに駆け寄る足音がひとつ。

 嗚呼嘘だ、そんなわけが無い。私が作り出した都合のいい幻聴だ。そう私の心内で何かが叫ぶ。

 それでも、それから直ぐに私の目の前に現れたのは……。


「なに……してんのよ……こんな雨降ってる中……!」


 肩で息をしながら私を見詰めてそう言い放つ、私が恋焦がれたヒーローの姿だった。

 唐突な出来事に何も答えることも出来ず、唖然としながら彼女の方を見ていると、ゆらりとその身体を揺らしながら私の元へと近寄ってくる。

「なんで……ここに……」

「乃恵が……!答えも聞かずに何処か走り去っていったから……、必死で家行ったり、探してたのよ……」

 未だ息も絶え絶えな彼女は、私の目の前へとようやく辿り着く。

「ねえ……乃恵……」

 呼びかける彼女の声は、息の荒さにかき消されそうなほどか細いものではあったが、それでも私の耳に強く届く。

「……うん」

「……さっきの答え今からでも遅くないかしら」

 その声に私の体は酷く震えた。それはきっと寒さのせいではない、不安や恐怖から来るものだ。だがそれでもなあなあに終わるくらいならば面と向かって否定される方が後味が悪くは無いだろう。覚悟を決め私は、

「全然遅くないよ……聞かせて貰ってもいい……?」

 そう答えると彼女は目を瞑り、それから数秒程経ってようやく息が整ったのか、目を開き私を見詰め始めていた。

「ありがとう……。それで……確認したいの、乃恵が言った言葉は、私に……その……友情としてでは無く恋愛としての意味で好きって言ったのよね?」

 その言葉に胸が締め付けられる。だがそれでも私は、

「うん」

 と、そう頷いた。

「分かった……、私……ね?すぐに答えは出せなかったけど、その分色々考えたのよ。乃恵が私を好きって言ってくれたこと、私だって乃恵の事が大好きだし、だからこそ毎日乃恵を起こして、毎日一緒に居る。でもね……」

 言葉に詰まる彼女に私は何も言えず、ただただ彼女を見詰めていた。

「私と乃恵の好きって言葉は、きっと違うもの……だと思う」

 嗚呼、分かっていた。分かっていたんだ。こうなることは。

 彼女にどんな顔を見せればいいのかもわからず目を伏せ、ただただ地面に落ちてシミを作る涙の粒を眺めている。

 彼女の深呼吸の音が聞こえた。きっとこれから最後の言葉が私に伝えられるのだろう。聞きたくはなかったけれど、震えながらも彼女の声に耳を傾ける。

「だからどう答えていいかわからなかった。だけど私、よく考えて気付いたのよ」

 そう言って泣き続けていた私の肩に手が置かれ、恐る恐る彼女の顔を見る、その顔は予想に反して慈愛に満ちた笑みに見えた。

「私達の関係の名前が、友達だろうとも恋人だろうともきっと変わらない、だってそうでしょ?」

「へ?」

 彼女の口から放たれた一言は予想外過ぎる物で、私はなんの思考も介していない素っ頓狂な声を上げてしまう。

「毎朝乃恵を起こして、毎日一緒に登校して、放課後はたまに遊んだり一緒に下校して、休日だって一緒に過ごしてる。もし私達の関係の名前を変えたとしても何も変わらないんじゃないかなって」

 そう言いきって何処か満足気な彼女の顔を見て、ようやく呆けきって何も考えられなくなっていた脳内が活動を再開した。

 変わらないも何も、関係性の名前から何から何まで全て変わると思うのだが……。

 いや、確かに行動自体は何も変わらないのかもしれないがそれにしたって……。

「……ふふ……」

 気がついた時にはもう私の口からは笑みがこぼれていた。先程まであんなにも絶望していたと言うのに、そんな空気感すらも全て壊してしまう程に彼女の一言は衝撃的だったのだ。

「えっ、ちょっ笑わないでよ!?これでも真剣に考えたんだけど……」

 慌てながら私に抗議する彼女の姿を見て、余計に抑えの利かなくなった笑いが込み上げてくる。

「ご、ごめん……いやでもしょうがないでしょ……滅茶苦茶真剣な顔で訳わかんないこと言ってるんだもん……笑うなって方が……」

「だってそうじゃない!?今更付き合いましたー!ってなっても進展も何も、最初から終点でしょ!?」

 私の言葉を遮るような声。その必死さから出たパワーワードに思わずまた私は吹き出すように笑ってしまう。申し訳ないが完全に先程のシリアスな展開は何処かに消えてしまったらしい。

「はは、分かった、分かったって。大丈夫ちゃんと理解は出来てるから……。あー……なんか、これで菜穂さんと会えなくなるんだ……とか考えながら泣いてたのが馬鹿みたい……」

「そんなわけないじゃない、私は……乃恵が必要としてくれてる間はずっと一緒に居るつもりだったわよ……」

 そう答える彼女は少し寂しそうに見えた。

 その言葉に彼女の全てが詰まっているのだろう。私が必要とする間は……、か……。

 なんだかようやく彼女の今まで見えていなかった部分が、成長の度に隠されて来た本心の部分が見えたような気がして、嬉しさから段々と口角が上がっていく感覚を覚えた。

「そっか……、ねえ菜穂さん。菜穂さんが言ってた事って今更恋人になろうとも親友のままだったとしても何も変わらないから今まで通りで良いんじゃない?って事だよね?」

「え?ええ、そうね。大方それで合ってるわね……」

 ようやくここで予想は確信へと変わった。彼女はまだ自身の気持ちに名前をつけられていないだけなのだと。

「それじゃあさ……、菜穂さん。親友のワガママ聞いてくれない?」

「私に出来ることなら」

 こんな状況だと言うのに彼女は即答した。何だか私が悪い事をしているような……いや実際そうなのだけど、彼女の良心につけ込んでいるような気がして気が引けたが、それでも私はもう止まれない。

「うん……、ありがとう」

 これから私は狡く彼女にお願いするのだ。彼女が自身の気持ちに気付けないのならば、ゆっくりとでいいから、彼女が自覚するまで隣で寄り添い待つだけだと。

 これは、彼女がその答えに辿り着くまでの一歩目。

「ねえ菜穂さん、これからも毎日私の家に来て欲しいな」

「ええ」

「大学も一緒の所に行こう?」

「いいわよ」

「そしたら部屋借りて一緒に暮らしたいな」

「楽しそうね」

「社会人になっても、おばちゃんになっても、おばあちゃんになっても一緒に居てよ」

「当たり前じゃない」

「ねえ……最後のワガママ」

「何かしら」

 一つ息を吐いた。こんな事を言うのなんて初めてだから、恥ずかしさのせいで頬が熱くなる。それでも躊躇わず私は、

「キス……してよ」

 そう、伝えて彼女の目を見詰めた。

「……それは……」

 あまりにも予想外だったのだろう。彼女は視線を泳がせながら黙り込み数秒。ようやく答えが出たのか私の目を見詰め返すと、

「……わかった、いいわよ」

 そう言って私の我儘に応えたのだ。心臓の鼓動は早鐘を打ち続けていた。それが伝わらないように、ゆっくりとした動きで彼女の頬に触れ、それから何の抵抗もない彼女の方へと顔を寄せて唇が触れ合う。

 柔らかくて温かい感触が唇に触れていたのは数秒程度だっただろう。それから私達は離れ、痛いぐらい高鳴った心音を耳に感じながら顔を見合わせる。

「ねえ……菜穂さんは今更名前が変わっても私達は今のままで何も変わらないって言うけどさ……こんな事までしてるのに友達なの?」

 意地悪な笑顔を向けながら彼女に問いかければ彼女は私から目を逸らし、

「そうよ」

 と、答えてそれから何も言わなくなった。

 きっとそれは照れ隠しだろう。何せ彼女の頬は私と同じくらい赤く色づいていたのだから。

 嘘つき、と聞こえないほど小さな声で呟いて私は彼女の手を取る。彼女もまた驚き震えながら、私が繋ごうとした手を取り絡ませた。


 今はこれでいい。たとえ彼女が私達の関係を親友だと表していたとしても。それでも私は彼女の傍に居るのだから。

 いつか彼女が自身の気持ちの変化に気付き、関係性の名前を親友から違う何かに変える時が来るだろう。その時お互い笑って泣いて、もう少し早く気付けばよかったと抱き締め合えればそれでいいじゃないか。


「乃恵」

 唐突な彼女からの呼び掛けに驚きそちらを見ると、未だ私の方は向かず、ドーム状の遊具の壁側に目をやりながら彼女は、

「そろそろ帰りましょ。雨止んだみたいよ」

 そう言って私の手を引いてくる。

「そうだね……そろそろ帰ろっか。雨やんで良かったぁ」

 彼女と共に遊具から出て、手を繋いで二人で歩く帰り道。十年前のあの日と変わらない光景がそこにはあった。


 4


 夢を見た。十数年前のあの日から今まで続く幸せな夢を。二、三度瞬きをしてから寝返りを打って横を向けば、隣に寝ていた彼女が私の起床に気付いて頭を撫で始める。

「乃恵、おはよ。早く準備しないと講義遅れるわよ」

「うぇ……今日一限からだっけ……」

 忘れないでよ、だなんて言いながら笑ってベッドから降りる彼女の方に手を伸ばせば、それに気付いて私の手を引き上半身を起き上がらせる。

「おはようのちゅーして?」

「はいはい」

 間髪入れずに彼女が私に唇を重ね、一秒にも満たない時間で離れていく。

「足らないんだけど……」

「乃恵の場合、キスを足りる位したら今度は単位が足らなくなると思うんだけど」

 唸りながらも、実際の所間違えてはいないので渋々私はベッドから降りる。

 早いところ準備をしよう。それから時間ギリギリまで彼女に甘えていればいいだろう。寝起き故の倦怠感の中そんなことを考え私は着替えを始めた。


 私達の関係はまだあの日と変わらないままだけれど、ゆっくりと前進はしているのだと思う。これから何年何十年と続くのだから焦ることも無い。


「乃恵ー!朝ご飯作ったから早く食べちゃって!」

「はーい!今行くから!」


 そんな彼女の声に答え、私はリビングへと駆けて行った。


 Dear My Near Friend


 この幸せな生活が、私達のこの日々が、いつまでもいつまでも続く事を願います。

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寄り添うフリージア 宇ノ花LABO @unohana_labo

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