第5話 はじめまして お嫁さん③

 桜の花びらが収まったとき、そこにいたのは美しい顔立ちをした男だった。高い位置でまっすぐな黒髪を束ね、腰には立派な刀を差している。よし、と内心で耀ひかりは拳を握りしめた。

(なかなか強い神を降ろせたようだね。やれやれ、これならば姉様も安全、)

 男はゆっくりと閉じていた目を開くと、満面の笑みを浮かべた。

拙者せっしゃ吉野よしのと申す。よろしくお頼み申すぞ、嫁御殿?」

 ……扇がなかったせいで、儀式が失敗したのだろうか。耀ひかりは痛む頭をそっと押さえた。

「さて、嫁御殿にいいところを見せるまたとない好機、利用させていただく!」

 きらきらとムダにまぶしい笑顔をふりまきながら、男ーー吉野は腰の刀を抜き放った。

 だが、男はよけようとすらしない。それどころか、口元を袖で覆って、くつくつと笑う。

「まさか、扇なしで神を降ろすとは……やはり、気に入った。ますます欲しくなったよ、耀ひかり。」

 甘くとろけるような口調なのに、むけられた笑みに耀ひかりはぞっとする。

「面白いものを見せてもらった礼だ、今日はお暇するとしよう。」

 振り下ろされた吉野の刀が男に触れるより先に、ゆらりとゆらいで男の姿は蜃気楼しんきろうのように溶けて消えた。


「む、逃げられてしまったか。」

 残念そうに肩を落とす吉野に聞きたいことは山ほどあった。だがそれよりも、

「姉様……!!」

 血まみれで腕の中に横たわる、あかりの容態のほうが、耀ひかりにとっては重要だった。

「生きて、いるのかね……?」

 意識はないようだが、穏やかな呼吸が聞こえる。そのことにほっとした耀ひかりは、ようやく吉野を振り返った。

「なぜ、私を生かしてくれるのだい?」

 神に何かを願うなら、代償がいる。それはもちろん、舞であったり、歌であったり、宝石や貨幣でもかまわない。

 だがーー神に捧げた対価が戻ってくることは、まずありえない。

(あの時、私は自分自身を代償に捧げた。それは、姉様を助けるのと引き換えに、私がにえになるということ。)

 本来なら、神降ろしが成功した時点ですでに耀ひかりの命はない。にもかかわらず耀ひかりが生きているのは目の前の吉野のせいだ。

 質問の意味がよくわかっていないのか、吉野はきょとんと首をかしげる。

「うん? なぜ拙者が嫁御殿を殺すことに?」

「いや、君は神なのだろう? ならば、私の願いを叶える対価として、私の命を受け取るのではないのかね?」

 お互いに何かが食い違っている気がして、耀ひかりは吉野と顔を見合わせた。

 しばらく考えこんだあと、あ、と吉野が手のひらを叩く。

「我が身の全てと引き換えに、と嫁御殿は言っていたであろう? 拙者、嫁がもらえるものと思ったのだが……。」

 

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