第3話 はじめまして お嫁さん①

 すっかり遅くなってしまった。

 名残惜しそうな兄弟と別れ、社へと耀ひかりは急ぐ。

(今日の姉様のようすは変だったから、早く帰りたかったのだがね。)

 思い出すのは、双子の姉であるあかりの態度だ。任務に出かける耀を見送る燈は、何か言いたげにこちらを見つめていた。

『おや、どうかしたかね? 姉様。』

 そのくせ、耀ひかりが水をむけると、慌てたように首を振ったのだ。明らかにおかしい。

『……う、ううん。何でもないの。……行ってらっしゃい、耀ひかりちゃん。気をつけてね。』

 だから今日は早く帰ってあかりの隠し事を問いただそうと思っていた。それなのに。

 任務の帰りに、【亡者】に襲われた兄弟を見つけるなど、運がいいのか悪いのか。

「……姉様、」

 結界を抜け、社へとたどり着いた耀ひかりは、いつものように帰還のあいさつをしようとして、違和感に気づいた。

(静かすぎる……?)

 黄泉比良坂よもつひらさか。生死のはざまにあるこの社に住むのは、耀ひかりあかりだけではない。下働きや巫女見習い、巫女や神官……五十人は下らなかったその住人が、一人も見当たらないのだ。

「誰か、いないのかね?」

 声をあげ、辺りを見回す。だが、返ってくる声はひとつもない。いったい、何があったのか。

 ガサッという音と共に、茂みが揺れる。

「姉、様……」

 顔を輝かせた耀ひかりが振り向いた先にいたのは、あかりではなかった。

「ほう? この社の者は皆殺しにしたはずだったが、まだ生者がいたとは。」

 茂みを揺らしてその場に現れたのは、見知らぬ男だ。だが里の者ではない。身にまとう着物が明らかに違う。男の着物はあまりにも高級で、だからこそすぐにわかる。

 整ってはいるものの性格の悪さがにじみでている顔にニタニタと嫌味たらしい笑みを貼りつけてゆっくりとこちらに近づいてくる。

 あごに手をやり、愉快そうに笑みを浮かべた男が、耀を見下ろす。じろじろと眺め回すような視線をむけられて、耀ひかりは苛立った。

「誰だね? 皆殺し? ごとはほどほどにしたまえ。」

 社に住まう者は、おさの家柄である耀ひかりあかりには劣るものの、ある程度の神通力を持つ。そのへんの【亡者】相手に負けるわけがなかった。

 耀ひかりにらみつけられた男は、気分を害するでもなく肩をすくめた。

「私の言ったことが正しいかどうかは、すぐにわかる。……ふふ、君の泣き顔が今から楽しみだよ。」

 最後に付け加えられた言葉だけ、うっとりとした声音で告げられたことに耀ひかりの背筋がゾクリとあわ立った。

 この上なく気持ちの悪い男だ。鋭く舌打ちして、耀ひかりは社の中へ歩き出す。

「これ、は……」

 男の予言通り、社には【亡者】に襲われたのだろう、体の一部を食いちぎられた遺体があった。

「これを貴様がやったのかね?」

 後ろからついてくる男に殺意をこめて耀ひかりは問う。が、男は耀ひかりの殺意をものともしない。

「そうだと言ったら?」

 面白いおもちゃを見つけたといわんばかりに、男の紅い唇が弧を描く。

「知れたことではないか!」

 こちらに伸びてきた男の手がふれる前に、耀ひかりは桜吹雪の描かれた扇をかざした。

「代償を、」

「残念だ、遅い。」

 ニヤリと笑った男の手が伸び、耀ひかりの腹部を殴打する。衝撃で耀ひかりの体はそのまま庭に吹き飛ばされた。

「……くっ、ぅ」

 転げ落ちたのは社へとつづく回廊からだったのに、まるで山頂から叩き落とされたかのような痛みと衝撃。

 ありえない速度で詰められた間合い。人間離れした膂力りょりょく

(この男、人間ではないというのかね……?)

 見た目は人間だ。だが、能力が比べ物にならない。歴代の姫宮家のなかで最高の神通力をもつ耀ひかりが、全く歯が立たない。

(舞う暇などない。ならば、捧げることができる代償はひとつ。)

 きつく唇を噛みしめ、耀ひかりは決めた。代償に、己を使うことを。

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