第2話 序

「神、様……?」

 どこから現れたのか、月を背に立つ彼女はこれまで兄弟が見たこともないほどの美人だ。腰のあたりまで伸びたつややかな夜色の髪には月を模した銀色の髪飾りが輝き、人形のような顔立ちと彼女のもつりんとした雰囲気も相まって、まるで月の化身のようにさえ見える。

 思わず兄が神と呟くほどに。

「ァァァァ、あァ!!」

 新しく現れた少女に、化け物は爛々らんらんと目を輝かせた。餌が増えたくらいにしか思っていないのだろう。

 それも当然だ。巫女装束の少女は見た目には一切の武器を持っていない。ただ、鈴のついた扇を手にしているだけだ。

「に、逃げないと!」

 はなから勝負にならないと感じた兄はあわてて少女に声をかけるが、ちっとも相手にされない。ちらりとこちらを振り向いた彼女は安心させるように笑みを浮かべて。

「さて、少々下がってくれるかね?」

「え?」

 少女の言葉遣いはまるで大人の男のようで、思わず兄が耳を疑っているあいだに、それは始まった。

 ちりん、ちりん、と鈴の音がする。扇が翻り、鮮やかな緋色が舞う。

「わー、きれいだねぇ、兄ちゃん!」

 さっきまであんなに怖がっていた弟はすっかり落ち着き、それどころか手を叩いてはしゃいでいる。

「きれいだ……。」

 だがこの光景に見とれていたのは兄も同じ。あまりの美しさに、声を忘れるほどだ。

「ぐ、あァァァ!!」

 ひらり、ひらりと舞う少女に、化け物の腕は当たらない。何度追いかけてもかわされ、化け物は苛立たしげに地団駄を踏む。

「ああ、ァァァ」

 くるり、と。それまで少女を追いかけていた化け物がいきなり向きを変えた。その先にいたのは、

「兄ちゃん、どうしよう、こっちくる!」

 難を逃れたと安心しきっていた兄弟だった。逃げなくてはと思うのに、体が動かない。

「だから下がれと言ったではないかね。」

 やれやれと言いたげに肩をすくめた少女の扇が、化け物の腕を止めていた。

 化け物が少女に腕を振り下ろしたせつな、鈴の音が鳴る。

「ーー代償を、ここに。」

 少女の声があたりに響くのと同時に、化け物へと雷撃が落ちる。

「すごい……!」

 化け物は、すっかり丸焦げになっていた。

 顔を見合わせた兄弟は、きらきらと目を輝かせた。

「すごいね、お姉さん!」

「助けてくれてありがとう!!」

 少女にお礼を言おうと近づいた兄は、ふと化け物の残骸に目をやり、息をのむ。

「えっ、体が……!?」

 さっきまで動いていたのに、化け物はもうどこにもいない。黒い煙が一筋、夜空へと登っていっただけだ。

「ねえ、お姉さん、あいつは?」

「ああ、あの【亡者】ならもうあちらに帰ったから心配はいらないとも。」

 【亡者】、それが化け物の名前か。

「ねえ、お姉さん、うちに寄っていってよ。お礼したいし。」

 弟が少女の手をひき、さかんにねだっているが、少女のほうは困り顔だ。

「すまないが、私は早く戻らないと……、」

「ええぇ! やだ!」

 駄々をこねる男を叱りつけ、兄は頭をさげた。

「こら! お姉さんが困ってるだろ! あの、ありがとうございました!」

「うむ、気をつけて帰りたまえ。ではな。」

 ひらひらと手を振って、少女はどこかに消えていった。

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