アルステリアの魔術師 -The beautiful eye-

ねこもち

第1話

彼は、この世の魔術師であった。


 中心部に摩天楼が聳え立つ、大都市アルステリア。

 その一角にある夜カフェでのアルバイトを終えた、一人の男が店の裏口から出て来る。

 「ふー、疲れた」

 店の制服からシンプルなパンツとシャツ姿に着替えた彼が荷物の入ったリュックを背負い直すと、裏に止めておいたクロスバイクを走らせて、そこから十五分程度の場所にある住宅街の自宅へと進んでいく。

 軽快にペダルを回すと、透く様な肌に良く似合っている濡鴉羽色ぬれからすばいろの髪が頬をさらりと撫でていく。

 彼の名前は、ノル。

 十八歳の学生であり、アルステリアの魔術師であった。


 「今日は週末だから混んでたなー、居残り頼まれるとは予想外だったな」

 バイクを走らせながら、さっきまでの接客を思い返す。普段の二割り増し位の人手で、閉店時間までバタバタだった。お陰で締めの作業が遅くなり、いつの間にかシフトの終了時刻から延びてしまっていた。時給はしっかり頂くので、構わないのだが。

 「遅くなったし、ちょっと早く帰るか」

 ノルはそう言うと、ペダルを踏み込んでいた足を止め、前を向いたまま集中する。

 すると、タイヤの回りにすうっと小さな風が纏わりだしたかと思うと、しゅるしゅるとタイヤを高速で押し始め、先ほどよりも車体は軽快に進んでいく。

 それはこの世界ではポピュラーな、風の魔術だった。


 この世界では、大昔から誰もが魔術を使う事が出来た。小さな火を起こしたり、そよ風を吹かせたり。ただ、殆どの人はそれほど大きな事象を発生させるような力は無く、日常生活に使われる程度の物だった。

 しかしどの分野にも才能という物はあるもので、生まれ持った魔術的な資質が非常に高く、通常よりも大きな力を発揮できる者達が存在する。彼らは様々な形で世の中に貢献しており、そのような者達が現在「魔術師」と呼ばれている人々に当たるのであった。

 特殊な力を持つ者がなぜ生まれるのかのメカニズムは全く分かっていないが、それ故に魔術師は皆、自分の稀有な力に誇りと義務感を持っている。

 過去にはそれを使って良からぬ事を企てた者も居ない訳では無かったが、魔術が当たり前に存在する世の中だからこそ、その様な輩への対応も当然整備されていた。世界各国の治安維持部隊には対魔術師用のマニュアルがきちんと存在していたし、中には軽犯罪に手を出す愚か者も居たが、すぐさま取り締まりが行われて来た歴史が在る為、この現代で魔術を使って犯罪を行なおうという気を起こす様な人間は皆無であった。

 そうやって昔から人々は少しずつ、魔術と共に歩む世の土台を築いて来たのだ。


 眩しい都会の喧騒を抜け、落ち着いた闇の中にぽつぽつと街灯が浮かぶ公園に差し掛かる。ノルはその付近でクロスバイクを降り、公園の入り口付近に停めて中へと入っていく。

 ゆっくりと歩く彼の、深い海底を抱いている様な藍色をした右目を、月の柔らかな光が照らし出す。

 両目ともではなかったのは、彼の前髪が残りの左目を覆い隠しているからだ。


 ふと立ち止まり、ノルは自分の両の掌を見つめた。

 「……」

 少しすると、手の上にキラキラとした粒が漂い始める。

 段々と粒の一つ一つが複雑な立花に形成されて行くと共に、すうっとした冷気が立ち上って来る。そのうちに冷たく煌めくもの達が両手で抱える程に増えて来ると、それらを一気に空中へと解き放った。

 冷気が辺りに散らばっていき、初夏の夜に晒されていた体温が心地よく落ち着いて行く。

 「ふぅ、ちょっと休憩」

 冷えた空気の辺りをゆるりと巡る。


 ノルが今使った物こそ、魔術師の使う魔術だった。

 通常、風水火土の基本的な四大元素魔術であれば、普遍的に使用されている。しかしそれ以外の氷や大気、光などの魔術は、資質の高い魔術師にしか扱えない物だった。

 そんな魔術を冷房代わりに使うノルは、明らかに魔術師としての能力が高かった。

 魔術師とは通常大人の肩書きだが、現在学生をやっているノルは、数年前に開催された魔術大会以降、魔術師としての活動を始めた。準優勝という優秀な成績を収めた彼に、魔術研究所への協力という仕事の打診が来たからだった。

 魔術師の絶対数が少ない為に幼年期の魔術師の研究も容易では無いので、それはノルに来るべくして来た話でもあった。

 自分の知らない色々な技術が身につけられる事を欲していた、彼にとっても願っても無い申し出であり、この話を受けた時には二つ返事で快諾した。


 研究所に通い出すと、ノルは狙い通りの成果を手にしていった。魔術の訓練は専門家に見て貰えるし、研究所内では様々な魔術を目にすることが出来た。それによって自分の技術をどんどん磨いて行ったのだ。今使った氷の魔術も、温度に関する魔術を使っている研究員を見ていた時に思いつき、自己流で特訓したものだ。これは使える様になったのをまだ研究所には明かしていない、ノルお気に入りの魔術でもあった。


 そんな忙しい日々を送る最中にカフェでのアルバイトも始めたのは、今しかそれが出来ない事に気付いたからだ。高校の卒業後は益々魔術師としての仕事が増えるだろう。そうなれば、副業などしている時間は無いのは目に見えていた。その為、例え我が身が忙しくなろうとも、今の内に普通の仕事、というのを体験しておきたかったのだ。

 「うーん、カフェバイトも結構続けて来られたよな」

 二束のわらじを履きこなしている自分は、贔屓目に見ても良くやっていると思った。

 「魔術を使うと精神疲労が凄いから、こっちのバイトがいい気分転換になってるからかな」

 今勤めているカフェは学校帰りに通いやすいから、という理由だけで決めたのだが、案外いいバランスが取れていたのかもしれない。

 「楽しかったけど、そろそろ……辞めないとな」

 月の光を受けていた瞳を伏せ、思案に耽る。


 彼は普通のカフェで普通にアルバイトをしていたが、その間も魔術師としての悩みをずっと胸中に秘めていた。

 残り続けている棘を抜く為には、彼を取り巻く環境を一変させてしまうような行動を取らなければならない。そうしないといけないと理屈では理解しているのだが、まだ十八歳の少年が下さなければならない決断としては、それはとても重い物であった。

 だが、いつかはやらねばならない。

 そんな思いがずっと堂々巡りとなって、今の彼の大部分を占めていた。


 「はぁ……」

 数回目の溜息の後、行き場のない歩みを止め、ぐっと腕を伸ばした。

 「ここまで来たら、あとは思い切るしかないんだよな」

 前を見据え、自分でも確認する様に呟く。

 「何回悩んでも、結局やるべき事は……変わらない」

 海色の瞳を細めて、夜天を仰いだ。彼の繊細な指が、髪で隠れている左目へと落ちる。

 「兄貴……」

 きゅぅ、と唇を引き締めた後、

 「決めた事は、親父には言うべきだな」

 と独り言つと、置いていたクロスバイクへと跨り、夜の帳を纏いながら残りの帰路を進んでいった。


 「ただいま」

 玄関を閉めて声をかける。奥から母親がやって来た。

 「ノル、お風呂は?」

 「向こうでシャワー借りたから要らない」

 「そう、分かった。早く寝なさいね、明日も学校でしょう」

 靴を履き替えたノルは声をかける。

 「親父は?」

 「まだ起きてる、急ぎの仕事を片付け終わって、リビングで休んでるよ」

 「分かった」

 母親は二階の自室へと戻っていった。

 ノルは洗い場でリュックを下ろし中身を洗濯機へ移すと、父親のいる場所へと向かった。

 「……ただいま」

 「ああ」

 ソファで読書をしていた父親は、振り返らずに返事をする。

 ノルはダイニングテーブルの傍にあったグラスへ水を注ぎ、スツールへと腰掛けた。

 「親父、ちょっといいか」

 「何だ」

 返事があったので続けて話し出す。

 「もうすぐ例の大会がある。俺は……出るつもりだ」

 「……そうか」

 「……」

 「……」

 少しの沈黙。

 口を開いたのは父親だった。

 「お前なら……間違いない結果を残せるだろうな」

 「……ああ」

 「いつなんだ」

 「来月、十五日の土曜」

 「……そうか」

 「うん」

 それが終わると、また沈黙が落ちていく。

 ノルは立ち上がり、

 「バイト疲れたからもう寝る、おやすみ」

 とだけ言うと、最後まで顔を見せなかった父親の後頭部を一瞥して、自室へと戻って行った。

 (やっぱり……来るつもりは無いか)

 予想はしていたが、実際に自分で確認してしまった途端、鉛色の空気が胸に流れ込む。

 元から父親はノルが大会に出る事を反対していた。少し前までは、あんなにノル達に魔術の指導をしていたというのにだ。

 しかしその変化には勿論理由があった。そしてそれには、ノルの兄が関係していた。

 

 兄の名前は、レヤ。ノルの双子の兄弟だった。

 双子だが、レヤとノルの見た目はあまり似ていなかった。顔の作りは同じなのだが、レヤの髪の色は蜂蜜みたいに淡く柔らかい金色をしていて、眼は炎を閉じ込めた様な揺らめく赤色を持っていた。レヤは父、ノルは母に、それぞれ似ていた。

 一緒に生まれて育ったが、今は一緒には居ない。そうなった原因が、正にノルがこれまでずっと思い悩んできた事だった。

 部屋に戻ったノルはベッドに寝転ぶと、自分の兄がまだこの家に居た頃の事を思い出し始めた。

 

 魔術師の才覚は血筋によらない。だからこそ、その力は貴重な物なのだ。

 父と母も魔術師ではない。しかしノルとレヤの双子は、結果的には二人とも魔術師だった。双子の魔術師というのは相当に珍しい事例であり、ノルの家は近所で有名どころか、大都市アルステリアでも他にはお目にかかれないような一家であった。

 父と母、とりわけ父親が生まれた二人に魔術師としての未来を見出してからは、当然としてその為の教育を施してきた。そうして二人の子供に対して平等に接してきたつもりだったが、ノルが秘めている魔術師としての可能性に、本人も気付かない内に惹かれてしまっていた。

 その変化は僅かな物だったが、敏感な子供が分からない筈もなく、ノルはレヤから段々と、そして一方的に嫌われていってしまった。原因を兄に聞いても沈黙しか返って来ず、父親に聞いても分からないと言われてしまっては、小さいノルには理解のしようがない事だった。だからお兄さんのレヤが好きだったノルは、自分が気付かないうちに兄に何かしてしまったのではと思い込んだのだ。

 訳が分からないまま兄に嫌われて行ってしまったノルは、訳が分からなかったが故に出来るだけ自分を抑えている事しか思いつかず、それが彼を段々と自己表現が苦手で物静かな子供へと成長させる事になってしまった。

 少しずつ、歪な形になってしまった双子の兄弟。

 そんな二人が初めての魔術大会に出場したのをきっかけに、事は起こった。

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