おれだけの君でいて
卯野ましろ
おれだけの君でいて
「一昨日ね、買い物中にスカウトされちゃったの」
「えっ、スカウト?」
休み明けの朝、ひとみから衝撃的な言葉を聞いた。ちなみに、一昨日おれは空手の合宿中だった。
「スカウトって、芸能界の?」
「うん。しかも結構、有名な事務所で……」
「うわマジか! すごいな、ひとみ!」
「そ、そうかな……」
こういうとき、ひとみは必ず恥ずかしそうな反応だ。その照れている姿は何度も見てきたけれど、かわいいから毎回ニヤニヤしてしまう。
「やだ、笑わないで……」
「あ、ごめん! バカにしているつもりは全然ないんだ」
「大丈夫。それは分かっているから」
「そっか、ありがとう。それで返事は、どうしたんだ?」
「今のところは保留にしているの。私は断りたかったんだけど……お母さんと、お姉ちゃんが『もう少し考えてみたら?』ってノリノリで……」
「なるほど。その気持ちは分かる」
ひとみは性格も顔もかわいくてオシャレで努力家で上品で……。それに何でもできる。芸能界へ行けば、間違いなく重宝されるだろう。
「でも私には無理だよ。この後ろ向きな性格じゃ、あんな厳しい世界に飛び込めない」
「いや……それは、やってみないと分からないぞ?」
「……?」
おれの答えが意外だったのか、ひとみは目を丸くしている。それでも、おれは続けた。
「せっかく選ばれたんだし、そのチャンスは生かすべきだよ。これを機に、色々な経験ができるだろうし。おれはチャレンジした方が、ひとみには良いと思うけどな」
「……そっか」
「まあ、おれの意見だから。その答えは最終的に、ひとみ自身が決めることだよ」
「うん、そうだね。ありがと」
ひとみは困り顔。もしかしたら、おれは彼女に寄り添うべきだったのかもしれない。しかし変に合わせても、それはひとみに対して失礼だ。これに関しては、正直な意見を言うのが正しいと思う。
「わー! すごいね、ひとちゃん!」
「そうかぁ~。ひとちゃんも、とうとう見つけられちゃったんだぁ~」
「どうかスターになっても、うちらを忘れないでね……」
スカウトされた件について、友達にも相談することにした。でも彼や家族のように、みんな私とは真逆の考えらしい。
「……私は、断るつもりなんだけどね……」
「嘘でしょ? 勿体なーい!」
「そうだよ、ひとちゃんなら生き残れると思う!」
「うんうん。まずはモグラで成功して……」
まさか、もう私の人生を考えてくれているとは。
「あ、分かる! ひとちゃんモデルもグラビアもできるよね!」
「できないよ。私、体に肉割れができているから……水着とか無理じゃないかな」
私は中学で柔道部を引退してから太った。頑張ってダイエットして痩せたけど、それで肉割れができてしまったのだ。だからグラビアなんて厳しいだろうし、やりたくない。
「えー、ある程度は大丈夫じゃないの? グラビアがダメだとしても、モデルなら楽勝じゃない?」
「女社会、怖いな……」
「そっか。それで中学では男しかいない柔道部を選んだぐらいだしね……あ! 元柔道部っていうのもギャップがあって良いじゃん!」
「高確率でマネージャーと思われるっていうエピソードトークもあるしね!」
「男をバンバン投げ飛ばしていたという武勇伝も!」
もう彼女たちは、私が芸能界へ行くことを前提に話を進めている。
「おーい、ひとちゃーん!」
私が黙って話を聞いていると、隣のクラスの友達が来た。
「あ、おはよ。どうしたの?」
「見てよ、これ!」
なぜか興奮気味の彼女は、私たちに自分のスマホを向けてきた。見せてくれたのは……。
「わあ、かわいいネイル!」
「きれー……」
「これ、ひとちゃんがやったんだよね?」
「そうだよ! この前やってもらったの!」
みんなは彼女が撮った写真を見て、目をキラキラさせている。一週間前、私は「ネイルお願い!」と頼まれた。そのとき自分でも上手にできたかなぁ、と思ってはいたけど……。
「これがSNSでバズったの! 見てよ、二万いいねだよ!」
「きゃー、すご!」
「ひとちゃん、もうプロ並みだよ!」
次から次へと信じられないことが起こり、私は困惑している。一体、この流れは何なのだろう。
「ひとちゃんはSNSやっていないの?」
「全然やっていないし、やりたくない」
「えー、やれば良いのに」
「フォロワー絶対エグそう」
「一気に有名人になるよね、ひとちゃんのセンスは」
「うーん……」
私の日記なんて誰も興味ないだろうし、意地悪なコメントが怖くてやりたくない。ネットは本当に恐ろしい。ちょっと間違えただけで、たくさんの人から容赦なく攻撃される。私がそんな地獄に耐えられるわけがない。
「ひとちゃん、インフルエンサーになる気もない?」
「うん。私のせいで、誰かの人生がおかしくなっても嫌だし」
「……そこまで考えちゃうの……?」
あれだけ楽しそうだった仲間たちの顔が凍ってしまったが、それでも私は素直に頷いた。
「ひとちゃんは優しいからなぁ」
「確かに。ガツガツしていないから、ちょっと芸能界とかキツいかもね」
「お淑やかキャラもナイスだとは思うけど」
「引き出しも多いしね」
「何? ひとちゃんが芸能界?」
「あ! あのね……」
隣のクラスの友達に、みんなが私に代わって説明し始めた。それを聞いた彼女の意見も、私とは違った。
「ところで、ひとちゃん」
「何?」
「
「あ、近岡はね……」
「やっしー、お前バカじゃねーの!」
「……は?」
朝から友達に暴言を吐かれた。おれは何でバカと言われたのか。
「
「ああ、その話か」
あの件で、おれがバカと思われる要素はないはずだが……。まあ原因が分かるまでは、黙って聞こう。
「やっしーってイケメンなのに、たまにポンコツだよな!」
「どうして止めなかったんだ。彼女に芸能界なんて勧めるなよ!」
おれの意見まで知られているとは。おれがバカと言われた理由は、それか。
でも何がバカなのだろう……。
「いや、せっかくのチャンスを手放すのは勿体ないかと……」
「何がチャンスだよ! やっしー、お前すげぇ後悔するぞ!」
「……後悔?」
ひとみじゃなくて、おれが?
「あー、もう! どうして武道やってんのに鈍いんだよ!」
「おい、さっきからひどいぞ。おれ、そこまで言われるようなことしたか?」
「しているぞ! 良いか? お前はな……」
「優士、今朝の話だけど……」
放課後、私はスカウトの件を再び優士に話した。
「あっ! どうするか決まった?」
「……? うん」
なぜか慌てている彼を気にしながら、私は言葉を続けた。
「やっぱり断るよ。友達にも相談したけど、私のメンタルじゃ厳しいから」
「そっか……それは良かった」
「うん……ん?」
安堵している彼に驚いた。私を思って、あんなに芸能界を勧めてくれたのに……。不思議に思っていると、優士が話し始めた。
「朝は、ひとみにとって良い経験になると思って、あんなこと言ったけど……」
「うん?」
「おれ、気付くのが遅かった。ひとみがスターになれば、おれだけのひとみじゃなくなるってこと」
「え……」
朝はイキイキと自分の意見を出していたのに、ちょっと弱々しくなっている。
何があったの?
私、変なことしちゃったのかな……。
「おれ……偶然ひとみたちの話を聞いた友達に怒られたんだよ」
「え、怒られたの! 何で?」
「本当に大切なら、ひとみを手放すような真似をするな。そして、ひとみに寄り添えって」
「そんな……」
「ごめん。余計なこと言ったり、考えがブレブレだったりで。何より、嫌だったよな。やりたくないことなのに、それをやってみたらって言われて……。おれは本当にダメな奴だ」
「そんなこと全く思っていないよ!」
二人きりだったからか、大きな声が出てしまった。そんな声なかなか出ないから、彼も私もビックリだ。
「ひとみ……」
「優士は私を思って、意見を出してくれたんだから……そんな風に自分を責めないで」
それと似たようなことを、いつも私は彼に言われている。説得力はないかもしれないけど、大切な人に自責の念に駆られて欲しくない私は、その思いを伝えた。
「それに私には優士しかいない。絶対に離れたくない。ずっと優士の隣にいたい……」
「優士……」
おれは隣にいる彼女の言葉を遮った。ひとみが愛しくて我慢ができなくなり、つい抱き締めてしまった。
「ひとみ」
「な、何?」
「おれは、ひとみが思っているよりも弱くて情けない人間なんだ」
「そ、そんなこと……」
「ある。そんなおれだけど……ずっと、ひとみの側にいても大丈夫か?」
「それは私の台詞だよ。私みたいなのが優士の隣にいて良いのかなって、今でも思うことあるもん」
「……そっか。おれたち結構、似ているのかもな」
「……そうなのかな」
そのとき、ひとみが顔を上げた。おれを見つめる両目は潤んでいる。視線が合うと、お互い赤面してしまった。もう何度も同じ状況になっているのに、たまにドキドキさせられる。
うん、おれたち似ているな。
そういうとこ。
同じことを思ったのか、ひとみもおれを見て笑っている。そして二つの唇が重なった。
ああ、やっぱり似ている。
キスシーンが終わり、また二人は笑い合った。
おれは幸せ者だ。
だから、おれだけの君でいて。
どうか、おれだけの君でいて。
そして、おれは君だけのおれ。
おれだけの君でいて 卯野ましろ @unm46
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