【KAC202211】雑草系魔法使いの幸福!(お題:日記)

 私がナリクと結婚して、十六年の月日が経った。

 養父である辺境伯が変わらず元気なので、ナリクも変わらず研究所勤めだし、私も変わらず魔術師の仕事をしている。

 元平民の私が社交界で「雑草娘」と揶揄されているのも、相変わらずだ。

 結婚前と、大きく変わったことと言えば――娘が生まれたこと、くらいだ。


 十四歳になる娘のエルーナが「何か隠してるでしょ?」と言ってきたのは、二人でくるみパンを焼いている時だった。


「お母様、お父様とエルに隠し事があるでしょう?」


 魔法薬調合室でパンを焼く時は、エルーナが何でも話をしてくれるように人払いをしてある。作業中ずっと上の空だったのは、話を切り出すタイミングをうかがっていたのに違いなかった。


「エルーナ、何のことかしら?」

「……時々、真夜中に出かけちゃうやつ。あれ、どこに行ってるの?」

「えっ?」


 思いもよらないことを言われて、うっかり大声を出しそうになった。確かに私は月に一回、従者を連れずに山奥の湖へと出かけている。

 満月の夜、月の精霊とお茶会を開いているのだ。


 魔法使いである私は、結婚前にとても悩んでいることがあった。

 私はナリクとの間に、子を持つことを望んでいた。しかし魔力持ちの女性は妊娠すると、魔力を胎児に吸われてしまう可能性がある。魔力は一旦枯渇すると、もう二度と回復することはない――愛する人の子を産み育てるのか、魔法使いとして一生を送るのか。どちらも簡単には選べずに、延々と悩み続けていた。

 そんな時、ナリクの実験によって、月の精霊ルアが現れた。

 ずっと私の魔法を補助してくれていた彼女は、これ以上ないくらいに好意的で、何があろうと自分が魔力を送ると言ってくれた。ルアがいなければ、間違いなく私は魔力を失っていた。エルーナは膨大な量の魔力を湛えていて、偉大なる魔法使いのヒズールク様を彷彿とさせるほどなのだ。

 満月の夜のお茶会は、その時に彼女が希望した「対価」だ。ハニーケーキをたっぷり用意して、月明かりの下で真夜中のパーティーをする――約束をしたあの日から、ずっと続けてきた儀式。

 しかし私もナリクも、真夜中の外出の理由を「天体観測」だということにしている。もしも精霊の力を借りたなんて話が広まれば、世界中が大騒ぎになってしまう。なにしろ魔法使いにとっての大問題が、全て一気に解決するのだから。

 しかし本来、精霊は人間の前に出ることを好まない。ルアと私のケースはいわば奇跡のようなもので、人間の方から精霊へこれを強要するようになってしまったら、精霊は人間から離れてしまうかもしれない。

 それを知ったナリクは迷わず研究をお蔵入りにして、決して他人に広めないことを誓った。知っているのは口の堅い親友夫妻だけだ。せめてエルーナが秘密の重さを理解できる年齢になるまでは、このまま「天体観測」で押し切ると決めている。


「お父様と天体観測だって言ったでしょう?」

「どうして満月の夜だけなの? ハニーケーキは何の為に焼いてるの?」

「お父様の研究に必要なのよ」

「月の精霊はハニーケーキが好物、それはもうみんな知ってることじゃない!」

「好物を調べているわけじゃないのよ。研究内容はおいそれと話せないの、わかるわね?」

「わかんないよっ!」


 完全に機嫌を損ねてしまった我が娘は、冷ましていたくるみパンをひとつ掴むと、頬を膨らませて部屋を出て行ってしまった。

 困った。これが噂の「反抗期」なのかもしれない。


 そういうわけで、エルーナが三日も口をきいてくれないの――親友のリーシャとお茶をしながら、とりとめもなく愚痴をこぼすと、リーシャはなぜか嬉しそうに手を叩いて「エルちゃんも大人になったのねぇ」なんて言い始めた。


「どこが? むしろ子供返りじゃない?」

「あら、親への反抗は自立心の芽生えですわ! それに比べてうちのアルヴァったら」

「アルヴァ君はいい子じゃない」

「いい子過ぎるから心配ってことも、あるんですのよ?」


 確かにそうかもしれない。リーシャの息子のアルヴァーン君は、エルーナとひとつしか違わないのにすごく落ち着いていて、大人の言うこともよく聞く利発な子だ。

 父親のセルヴァーン様がこの国の王子である以上、躾の行き届き方も違うのだろう。意地っ張りなところがあるエルーナも、アルヴァ君の前ではすっかり素直になってしまう。


「リーシャ、ちょっとアルヴァ君を貸してよ……エルーナの機嫌が直るまででいいから」

「アルヴァと話をさせるより、ナリクの方がよろしいのではなくて?」

「そう?」

「フィアナ、あなたきっと、不貞を疑われてましてよ。ナリクからきちんと否定して貰いなさいな」

「ぶっ」


 思わずカモミールティーを吹き出しそうになった私を見て、リーシャはクスクス笑いながら「そういう恋愛歌が流行っているのですわ」と言った。


「望まない結婚の末、恋人が義理の兄となる悲恋を歌っているのですけれど、その一節で『満月の夜に会いに行く』というのがあるのです」

「あー、じゃあディリーク様との仲を疑われてるのかしら……」


 ナリクの兄であるディリーク様は、家名が第一の方なので、元平民の私へは未だに当たりが強い。可愛らしいところもあるし、悪い人ではないのだけれど……彼と私が不貞だなんて、天地がひっくり返ってもありえない。おそらく向こうだって私など願い下げだろう。

 頭を抱える私を見て、リーシャはますます楽しそうに笑った。ひどい。


「わたくしが言うのも憚られますけれど、多感なお年頃ですからね?」

「そうね、リーシャも妄想すごかったもんね」

「うふふ、だってフィアナったら、物語のような身分違いの恋を叶えてしまったんですもの! 籠の鳥が憧れてしまうのは、当然の成り行きではなくて?」

「幼馴染の王子から熱烈に求婚された人が、何か言ってる!」


 昔話に花を咲かせるうち、不安はどこかに消し飛んでいた。

 リーシャはいつもこうやって、私が前を向けるようにしてくれるのだ。


 帰宅するとメイドのマリエラさんが駆け寄ってきて、急いで一緒に来てくれという。言われるままについて行くと、なぜか私の部屋でナリクがエルーナを叱っているところだった。

 エルーナは泣きじゃくりながら「ごめんなさい」を繰り返しているけれど、ナリクはしかめっ面のままだ。


「ああフィアナ、帰ったんだね。ほらエルーナ、お母様へ謝りなさい!」

「その前に! これはいったい何があったの!?」


 何が起こったのかもわからないまま謝られても、許すも許さないもあったものじゃない。エルーナは泣きじゃくっていて話にならず、ナリクへ視線を向けると大きな溜息を吐いた。


「……エルーナがね、フィアナの日記を読んでたんだよ」

「日記?」

「ああ。学生時代のものから昨日のものまで、余すところなく読破済みだ」


 うそでしょ、と口から漏れた。顔から火が出そうだった。

 私は学生時代から、ずっと日記を付けている。使った魔法の記録が主な内容だけど、日常のこともたっぷり詰まっているものだ。つまり、ナリクに片想いをしていた頃のことも、全く会えないまま文通していた間のことも、婚約している時の悩みも――ルアのことも、なにもかも、全てを読まれてしまったわけだ。

 ナリクは本気で怒っていて、エルーナは今にもくずおれてしまいそうだった。


「いくら親子とはいえ、勝手に内面を暴くようなことをしてはいけないよ。エルーナだって、私に日記を読まれたら嫌だろう?」

「だって、お母様が隠し事をするから……」

「どうして隠さなきゃいけなかったのかは、日記を読んだのなら、わかるね?」

「それは……うん、わかる……お母様、ごめんなさい!」


 エルーナは叫ぶように謝り、そのままわんわんと泣き始めた。


「ごめんなさい! お母様、お父様のことすっごく大好きだった……!」

「そ、そうね」

「ディリークおじ様は嫌な人だったあぁ!」

「そこは黙ってて頂戴」

「エルね、置いて行かれるのが嫌だったの……お願いお母様、エルも一緒に連れて行って……!」


 エルーナの本音を聞いて、私は目が覚めるような思いだった。

 喋れないくらいに幼い頃は「夜中のことだから」と置いて行った。ある程度大きくなると「他言されたら困るから」と置いて行った。だけどもう、置いて行く理由は何もないのだ。

 今度の満月には、エルーナも連れて行ってあげよう。

 彼女のおかげであなたは生まれたのよと、ルアを紹介してあげよう。

 たっぷりのハニーケーキを用意して、ナリクにハーブティーを淹れてもらおう。

 ああ、リーシャたちを誘ってもいいかもしれない。きっとエルーナは、アルヴァ君にも同じ景色を見せたいはずだ。


「エルーナ、ずっと内緒にしててごめんなさい……今度の満月の日には、あなたも一緒に行きましょうね」


 うん、とエルーナは素直に頷いた。


「ねぇ、お母様……エルも、精霊に好いてもらえるかしら?」

「もちろんよ。あなたはね、生まれる前から愛されてるの」

「じゃあエルも、お父様やお母様みたいな魔法使いになれる?」

「ええ。あなたはきっと、すごい魔法使いになるわ」


 それは親馬鹿などではなく、魔法使いとしての本心だった。月の精霊に愛されて生まれ、お日様の匂いがする魔力を持つエルーナは、たぐまれなる癒し手になることだろう。しかし、それが幸せなことなのかは、彼女の選ぶ道次第だ。

 ああ、この子の行く末が、どうか幸福なものでありますように!

 どんなに強く踏まれても、決して願いを諦めない、雑草みたいな私だけれど――今はただ、娘の幸福だけを願っている。エルーナさえ幸せならば、私もナリクも幸せなのだ。


「エルーナ。お父様も私も、心からあなたを愛しているわ」

「うん、わかってる、それはもう、わかってるから……」

「日記に書いた言葉なんかより、もっともっと愛してるのよ?」

「わ、わかったってばぁ……!」


 照れて俯くエルーナを、力いっぱい抱きしめた。

 お日様のいい匂いがして、祝福するような光の粒が、ほんの一片ふわりと舞った。


(了)

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