第7話 おいえにつきました

 幸いというか、季節としてはまだ夏でなかったことがよかったのか、少しだけ埃臭い我が家は、たいして変わり映えしていなかった。

 ただ松山でのことが濃厚すぎて、十年ぶりに帰ってきたような感覚に陥るのは、

自分のものだけを置いた我が家はなんとも殺風景だからだ。ソファに、テーブルといった生活に必要なものはすべてそろっているが、そのどれも必要だからと買ったもので政の趣味や好みといったものは一切ない。なんせ幸子が選んだものだし、政には趣味らしい趣味といえは柔道やウォーキングぐらいしかなく、あとは自分の部屋に仕事の本をため込んでひたすら読んでいた。

「あ、寝室、ベッドが一つですねっ」

 油断も隙もなく猫が探索しているのにリビングのソファの横に荷物を置きながら政は答えた。

「ええ、まぁ。けど、妻とは別々のベッドでしたよ」

「え、そうなんですかっ」

「仕事でときどき遅くなることもあったから、そういうとき、一緒のベッドだと睡眠の邪魔をするのも酷かと思いまして」

「うーん、政さんらしいおへんじですねぇ。そういうのは、さみしくないようにぃとか、なんとか一緒に」

 ぴこぴこと耳をせわしく動かしながら猫が滔々と語るのに政は眉を寄せた。

「けど、俺は、あなたが俺の布団にはいってくるのは困りましたよ」

「うっ」

「松山の家にいたとき、毎日、毎日、俺が寝たのを見計らって、布団にはいってきてましたよね?」

「ううっ、てか、起きてたんですか」

「俺は眠りが浅いタチなのでだいたい気が付きます」

「あ、あぎゃあああああ」

 目つぶしを食らったかのように猫が両手で顔を覆ってごろんごろんと床を転がっている。なんなのだ一体。

 そんなに照れるなら人の布団の中に入ってこなければいいのだ。毎晩、布団を敷いて、いざ寝入ったあたりで見計らったように背中に暖かみがあたるのだ。あれで気が付かないほうがおかしいというものだ。はじめは布団の上からの重みに、ああ、猫だな、と思っていたが、二週間過ぎたあたりから大胆にも布団のなかにもぐりこんできたのだ。背中にぴったりとくっついてうにゃうにゃと言っている猫に、まぁ、いいかとほっといたのだ。

 そこではたと気が付いたのだ。

 自分が寝がえりを打ったら猫を潰すのではないのかと思い至り、まずいと思うと不安やら恐怖やら、これは指摘して出ていってもらおうかと思ったら、猫はすやすやて寝ているし――振り返ってこっそりと寝たら本当に猫よろしく、丸まっているので、政はこっそりと猫のことを腕のなかにいれて寝ることにしたのだ。春先の寒い夜はほどよくあたたかい。それにふわふわした毛に、ぷにぷにの肉体はなかなかに心地よいのだ。猫は毎朝、やだ、政さんの寝相かわいいなどとつぶやいていたのもばっちりと聞こえていた。眠りが浅いのだ――ここでそれを口にすることはやめよう。なんとなくいたたまれない。

「うううう。え、じゃあ、あの女のは」

「離婚したその日に彼女の荷物はすべてトラックに詰めて渡しました」

「わぁ、容赦がないのです」

「浮気するような人のものをおいておきたくなかったんです」

 きっぱりと政は言い返した。

 これについてはあんまり後悔はない。元妻と元上司をとことんまで追い込んだのはすっきりした、ただ会社を巻き込んでしまったことについては申し訳ないとはやはり思う。

「しっかし、あの女、なんなんでしょうねえ」

「なにがですか」

「どうして現れたのでしょうか」

「さあ」

 小首を政は傾げた。

「そもそも、どうして、俺がここにいるのがわかったのか」

「うにゃ」

 あまりにもタイミングが良すぎたことに政が考え込んでいると、スマホが震えた。

 見ると矢野から時間と店を書かれた短いメッセージが届いていた。

「すいません。同僚が今夜は飲もうというので」

「いってらっしゃあい」

 最後まで言い終わる前に猫はにこにこと笑って手をふってくれた。

「いいんですか」

「なにがです?」

「飲みに行くの」

「お仕事の人でしょう? つまりはお仲間さんじゃないですか」

「ええ、そうですが」

 先ほど幸子相手に怒り狂っていたとは思えないほどの柔軟な態度に政のほうが肩透かしをくらった気分だ。

「なんですか? え、いっちゃいやーとか言えというのですか? 言いませんよ。だって、お仕事の人でしょう? それが男、女、子供、年寄りは関係ないです。仲間となる人とはきちんとお話してごはんを食べたほうがいいですよ」

「そうですか?」

「そうですよ。銀さんも、お仕事していたときはちょくちょく同僚の人を家に連れてきて飲んでましたしぃ」

「祖父が」

「ああいうのいいですよねぇ。私は好きですよ」

 ああいうの、というのが政には具体的に想像がつかない。

 なんせ、食事は嫌いだったし、父は同僚を家に招くことはないったし、母も同様だ。思えば食べることから縁遠いから、そういうことからも遠のいていたのかもしれない。

「だからいってくるといいですよ」

「はい。気を付けてきます」

「あい。お酒でのあれやこれはかき捨てではなくて、一生涯残る恥ですよっ」

 猫が背中を押してくれたので、政はすぐに着替えて財布と鍵をもって家を出た。

 

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