第5話 またまたへんなのに

 

 思えば、杉山――今でこそ犬山には笑顔であれこれと無茶を口にして、それは無理ですときっぱりというと笑ってじゃあ、変わりのを頼むと丸投げしてくるが、はじめて会ったときはむすっとして大変扱いつらいおじいさんだった。中高年の機械関係は苦手というタイプで、いくら専門用語を重ねてもわからなくて怒鳴ってくるか、不機嫌な顔をしてくるという人だったので、政は言葉を選んで、出来るだけわかりやすく、何度もかみ砕いて説明していった。時間はかかったが、それでも会社に導入するプログラムを仕上げたときは

「あんたに頼って正解だった」

 と笑ってくれ、それから彼は知り合いに政を紹介してくれて、かなり客層が広がった。

 しかし

 どれも杉山の知り合いなので、機械に疎いところがあった。

 杉山も機械音痴なので、出来たプログラムにたいして定期的に点検と一緒にわからないことを聞かれてはフォローケアをいれたりもしていた。


 確認のあと、杉山といった顧客たちに連絡とフォローその他をすべてすませるのに一時間近くかかってしまった。

 が

「はやい、一人で十人前の仕事してるぞ、こいつ」

「このままプログラムバグの確認もやっちゃいそうだな」

「働きすぎじゃない?」

「さすが先輩」

 褒められているんだが、いないんだが、今日はまだ休みなので仕事をするつもりはないのだが

 湯本が今にも泣き出そうな顔で

「さすが犬山くんっ……すごいっ」

「いえ。引継ぎをきちんとしたつもりでしたが、漏れがあったのは俺のミスなので」

「そういう謙虚なところもほんとしゅき、ここにいて、ずっとここにいて、四国に渡したくない。やだ、いかないで」

「もう俺の移動は決定したことでは」

「だめだめ、こんな働ける犬山くんをとるなんてひどいっ」

「湯本さん、ご乱心すぎませんか? ちょ、矢野さん、止めてください」

「みんな思ってることを代表していってくれてるんだよ。だからありがたく、その愚痴と言い分は聞いておけ。てか、いきなり四国にいきやがってよー。ほんと、相談とかしろよ、俺、お前と同期でダチだと思ってたのに」

 矢野が腕組みをして睨んできた。

 確かに同期入社している矢野はちょくちょく声をかけてくれたし、結婚式にも出てくれた。離婚したときは憤慨してくれ、上司とのやりとりの際もさりげなくフォローをいれてくれた。

 会社の巻き込んだ離婚相談――妻が不倫していると直感したとき、相談して離婚の助けをしてくれたのは矢野だ。

 彼がせっかく穏便に終わるように不倫の証拠集めに探偵を雇うことなど提案してくれたのに、上司だと知って、その日のうちに穏便に終わらせる計画を破棄してオフィスで慰謝料を払ってもらうぞと怒鳴ってしまったのは人生のなかでも一番軽率な行動だったと反省している。

 離婚騒動のあと、そのまますぐに有給を使って休みをとったせいで矢野にあのときのことを謝っていない。

 思い返すと顔から火は出ないが、申し訳ない気持ちになる。チャンスを作って謝罪をと思っているとちょいちょいと横腹がつつかれた。

「今夜あいてるか?」

「え」

「食事は無理でも飲むのはいいだろう」

「あ、はい」

「じゃあ、ラインするわ」

 矢野が小声で口にするのに政は頷いた。

 がりっと腕が痛むのに見ると、猫が睨んできている。

 何が言いたいのかと思ったが、言葉にしてくれないとわからない。あとで聞こう。そんなわけで予定していた時間よりもやや遅れて総務課に行くと、

「犬山さん、遅刻とは珍しいですね」

 受付にいた尾田――黒髪に、きっちりとした制服姿の女性だ。彼女はなにかとよく会う。有給の手続きもしてくれた。

 事情を話すと、ああと納得された。

「犬山さんが抜けるっていうのはきついですからね」

「そうでしょうか」

「自覚ないんですね。犬山さんくらいですよ、きっちりとした経費の書類を出してくれるの。ああ、他の人もきちんとしている人はいますけど」

 含みのある言い方だが、それについては政は黙ってまとめてくれていた書類を受け取った。

 ここらへんは家に帰ってから確認しよう。

 そうこうして疲れて会社をあとにしようとしたら十二時をまわっていた。

「なにか、食べましょうか」

「ですねぇー」

 二人揃って疲れた声になっていた。

 それもそのはずだ。

 朝につまんだあと、何も食べずに過酷な移動と仕事――これはほぼ押し付けられたともいえるが、やってしまったのだ。

 本当はもっとゆっくりする予定だったのだがと予定が狂ってしまったことに政は小さなため息をついて歩みを進める。

 ふと気が付いた。

 何を食べるといいんだ。

 東京で生まれ、育ったくせに政は食べ物屋を知らない自分に気が付いた。なんせ、長くも短い人生で、食べ物を嫌っていた時期が長い。おかげさまで何を食べていいのかまるで見当つかない。

 猫も土地勘がないため何がなんだかという顔だ。こういうときは政がリードしてやるべきなのだが

「憑き物筋とは珍しい」

 声に政は振り返った。

 人込みだというのに、その男と目が合った。

 着物姿の男は目尻を緩めて軽やかな足取りで近づいてくると猫をしげしげとみる。今は人に化けていないので見えるはずがないのに。

「憑き物筋は四国のものだろう。こっちに来るとは珍しい。それも猫とは化け猫かな?」

「……見えるんですか」

「ああ、私は……ね」

 含みのある言い方に、思わずよく聞く霊媒師といった類のやつかと身構えた。こういうやつは詐欺やらすると聞いている。

「ああ、呪いから憑き物筋になった……これはまた業の深いことをしたものだ」

「あなたは」

「見ればわかる」

 それだけで政は理解する。

 これは本物というやつだ。

 しかし、だからといって

「安心するといい。私はほぼ趣味でこういうことをしているので金はとらないし、どうこうすることもない。ああ、ただ……大変おなかがすいている」

「え、あ、はい?」

「キミたちもそうだろう? 私たちの気持ちは今一つのはずだ」

「は、はぁ」

「ということで、これもなにかの縁、一緒に食事をしないかね」

「どういう縁なんですか、あなたはたかりですか」

 ついストレートに口にしていた。

 横にいる猫が政さんっと咎めてきたが、金はとらないというが、こいつはどうもたかりにしか見えない。

「うむ。たかりか、しかし、たかってなにがわるい!」

「え」

「私はおいしいものが食べたい。キミたちも空腹、ならば問題ないだろう」

「問題あります。俺はあなたの名前を知らないのに」

「では、ヒラと」

「え」

「ヒラさんと呼んでくれ。さて、ちょっと歩くと私の行きつけの店がある、さぁ、行こう。今すぐ行こう」

 などと歩き出してしまった男に政はあっけにとられた。

 これはついていくべきなのか。

 強引すぎるし、展開が急すぎて何も言えない。

「政さん、どうします」

「……詐欺なら全力で逃げます」

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