第11話 思い出の食事
家に戻ると楽しそうな声がした。
なんだと思って政がそろそろと近づいていくと、二匹の毛玉がはしゃいでいた。いや、違う。猫とお紅ちゃんだ。
毛玉のくせにわざわざ着物をつけて布団の上で枕をもってしゃべっている。獣なのに、どうして服を着るんだとつっこみたいが、それは野暮か。それに金色の蝶――さちえもひらひらしている。
「だから、白様を見たとき、本当にきれいで、私、化けられなくなったんです」
「まぁ」
蝶もせわしく舞う。
「私、白様の前では化けられないんです」
お紅が真剣な顔で告げると、猫がきゃーと叫び、蝶も大きく舞った。なんだ、この女子会みたいなテンション。
「今も、化けられなくて、こんな私が会いに行ったらいやな顔をされそうで」
「どうしてですか?」
「それは、……昔、私、そうやって化けられないのに白様のところにいっぱい通い詰めて、白様、ばれちゃったんです。狐だって……そのとき白様が化けていたのは、ある人の奥さんで、そのせいで白様、追い詰められちゃって」
深い後悔の気持ちをお紅は口にする。
「知らなかったんです。人とバケモノの違いを」
人が、人以外を忌避することも。
「白様はそのせいで、その人たちにひどい怪我を負わされて、あそこにいる神様に助けていただいて、そのお礼としてあそこに仕えることを選んだんです。私、それから白様に会いにいけなくなって」
「会ってないんですか」
「会えません。だって、私のせいで白様、追い詰められちゃったから……私のせいで」
苦しくて、たまらないという声でお紅は告げる。
「白様が、あそこにいるのはきっと過去のいろんなことが忘れられないんです。たぶん私のことも嫌っているんだと思います。刑部狸様ほどではないにしろ、きっと過去に囚われてるんです。だから自由になってほしい……たとえそれで私のこと嫌いになって、私を……傷つけても、いいんです」
切実に、祈るように。
「白様が自由になって、幸せなら」
お紅の言葉に猫は静かに目を伏せる。金の蝶は黙って頭の上にとまった。
「私は、白様が好き。たとえ狐で、私は狸でも、あの人がとても好きなんです」
政は黙って後ろに下がり、奥に進むと政の書斎に三太がいた。ちゃっかりパジャマの姿だ。
「あなたは勝手に」
「だって、さちえがいたいっていうし。女子会、楽しそう?」
「……ええ」
政は仕方なく、三太の横に腰掛けた。どこから出したのかわからないがちゃんと二つ布団がある。
「味噌汁、どうしようかと迷ってます」
「そうだね。せっかく故郷の味を作っても、たいした反応なかったんでしょう」
「ええ。それに先ほど……立ち聞きしてしまったんですが、お紅さんは白様といろいろと縁があるんですね」
「ふーん」
「人に化けて、白様は誰かの奥さんのふりをしていたと」
「……それって、狐がこの土地から禁じられた話じゃないの?」
三太がごろんと寝返りを打つと、自分のリュックを取り出して本を取り出した。そこには土地のおはなしというシンプルなタイトルが書かれ、三太はあるページを政に差し出した。
あるところに仲の良い夫婦がいた。その夫婦の妻を殺した狐が、その妻に成り代わり、悪事を働き、それを見破った夫が退治をする。その悪事を見かねた神が、狐を愛媛より追放した、というものだ。
ここにきたときから狐は追放されたという話を聞いていたが、これが大本か。
昔話らしく、詳しいところは省かれているがお紅が話していたものと合致する部分が多い。
白様が、この昔話の狐だとすれば
「白様は、この土地が嫌いなんでしょうか」
「そうだねぇー、こういうの読む限りはさ。けどさ、嫌いならわざわざ、居ついたりしないと思うんだよね」
よっこいっしょっと三太は体を起こす。
「バケモノとかそういうのって土地に居つくんだけど、そこが居づらいとか人から求められなくなったらさっさといなくなるんだよね。神様もおんなじ、奉られなくなったら消えちゃうの。まぁ神様っていうのは分霊とかで本体が消えなきゃ問題ないし、土地の神になる存在とかは必要がなくなればその任が解かれたってことだけだから問題はないんだけどさ」
「そういうものなんですか?」
「そう。つまり、土地っていうのが人の信仰によって力を得て、自分を管理するためのものを必要として、神……つまりは土地神を作るわけ。けど、それも信仰がなくなったり、土地そのものが弱まるといらないから任がとかれるっていうの。うーん、町長みたいなやつだよ。力が強いやつは土地なんかに縛られないから、ある程度その土地との結びつきが強い、ちょっとこう、強いレベルの。つまりは中間管理職みたいなの」
そんな軽いものなのか。いや、軽くはないのか。とにかく下手に中途半端に力があると苦労するのはどの業界でも同じということか。
ただそう話を聞くと違和感がある。
それではまるで白様はいつだって離れようと思えば離れられたのに、わざと、ここに残るために神様にまで仕えることを選んだようだ。自分のことを否定した人間との思い出や迷惑をかけてきた狸であるお紅がいるのに。
恨みつらみだろうか? ――白様からはそんなものは感じられなかった。あれはむしろ
「三太さん」
「なに?」
「自分に関することで後悔している相手がいたらどうします」
「そうだねぇ。仲良しだったら、また仲良くしたいなって思うよ? 状況によるけどさ、許してあげたいもん。ただ自分から会いに行きづらいから待っちゃうかなぁ。だって、自分が行くと責められちゃうって相手は思うからさ、相手が来てくれるのを待つかな。それって相手がちゃんと謝りたい、仲直りしたいって気持ちで来てくれるんだし」
「そういうものですか」
「そういうものだよ。本当は自分から行くのが一番楽だけど、それで相手が後悔していたらさ、無理意地することになるじゃん。だから待つしかないの」
白様はお紅からだと口にしたとき、ひどく苦い顔をしていた。あれは、本当はお紅自身に来てほしかったのかもしれない。
白様は本当はどこにでもていける立場なのだ。京都から逃げたように、自分を傷つけてくる者がいれば、否定されれば、どこだって逃げていける。自由であるから。けれどそんな白様がわざわざ神に仕えてまでここにいる。それは
「白様はお紅さんを待ってるですね」
政は立ち上がるとどすどすと足音をたてて廊下を歩き、女子会している居間の戸を開けた。
「お紅さん、わかりました。白様が」
あ、と政は声を漏らした。
猫とお紅たちがぎゅうぎゅうと抱きしめあっている。獣同士仲の良いことだと思った。
が
「きゃあーーー」
「なにいきなり入ってきてるんですか! 政さんのえっち」
「えっち? 毛におおわれた獣畜生がなにを言って、あいたぁ」
思いっきり枕が顔にぶつかった。痛い。
今朝の食事は気が重かった。
唐突に乙女たちの寝室に乱入してきたくそ男のレッテルを貼られた政は、ぷりぷりと怒っている猫のせいでにぼしと白ご飯という貧しい朝ごはんを迎えることとなった。他のお紅と三太たちには卵焼きを焼いてあげているのに!
そもそも毛で覆われている猫と狸のどこにえっちな要素がある。どこに覗き要素があるんだと弁明したが、それがさらに火に油を注いでしまった。
怒った相手にひたすら謝罪をして、言い訳をしても、ただ怒らせるだけだ。
ということは昨日の夜で学んだ政はただひたすらに黙って食事を受け止めた。
それに、白ご飯はもちもちしていて甘くて噛むとうまい。
にぼしも食べれなくない。
そうこうしていると、そっと味噌汁が置かれた。
猫が横からむすっとして睨んでくる。
「いただきます」
「はい」
まだつんけんした声だが、味噌汁が出てきたのは少し落ち着いたのか。
そっと具を見ると松山あげがはいっている。すすると甘くてほっとする。
「昨日の続きですが、白様はお紅さんに会いたいんだと思います」
「白様が」
朝ごはんを食べていたお紅は手を止め、俯いた。
「会いに行きますか?」
「……怖いです」
ぽつりとお紅は口にする。
「会って、なんて言わせれるのかって思うと」
それは当たり前のことだ。
好きで気にかけていて、自由になってほしい。けど同時に会ってしまったら逃げられないことが怖い。
「……けど、白様が自由になるなら行きます」
「絶対ではないです。ただ憶測ですが」
「はい。けど、行きます。だって、だって、みなさんががんばってくれているから、私も、ちゃんと動かなくちゃ」
決意した瞳でお紅が見つめてくるのに、政は頷いた。
「では、みんなで味噌汁を作りましょう」
「みんなで? 私もですか?」
「もちろんです。あなたが白様のために作るんです。手伝いますから」
お紅は一瞬怯んだ顔をしたあと、それでも拳を握りしめてこくんこくんと頷いた。
まず、味噌汁の具をどうするかということをお紅と決めることになった。ノートを広げて、慣れない手つきでペンをもってお紅はうんうんと唸り始める。いつも食べているものでも、改めて自分が作るとなると困るらしい。
「お味噌汁の具、白様、なにが食べたいかしら」
「狐だから、松山あげとか」
「そ、そうですね。お豆腐は、あ、けど、うーーん」
一生懸命考えるお紅はふと顔をあげて
「白様のお味噌汁」
「何か思い出したんですか」
「たまご」
へ、と政たちは一同に声を漏らした。
「白様、卵が好きだからって、卵をいれてたんです。そうです。卵! 松山あげにはネギが合うけど、私、苦手で、だから卵、卵を……白様の故郷では卵を食べていたって」
思い出したお紅が真剣な顔で猫を見つめた。
「作りたいんです。白様と一緒に食べた卵のお味噌汁っ」
「……作りましょう!」
猫が笑顔で言い返した。
そこからはスムーズだった。お紅は白様の作ってくれた味噌汁をよく覚えていた。まずノートに絵を描いて、一つひとつ、具を決めていく。
買い出しは政と三太が担い、あとは猫とお紅がキッチンに立った。さちえはなにもできないが、それでも心配そうに料理する女の子たちの周りを飛び回った。
お紅はとても真剣に、せっせっと手を動かす。
猫が時折、あれこれと口にして指導するのに何度も頷き、顔をしかめて、手を動かして、はぁと深く息を吐いては、丁重に一つひとつを行っていく。
たかだか味噌汁を作るだけ、のことだがお紅にとってはそれ以上の意味があるのだろう。
それは祈りに似ている。
料理を作ることは、祈りだ。
自分が食べるだけでも、誰かに食べさせるだけでも、命をもらい、口にするそれは。
「出来た」
嬉しそうにお紅が声をあげ、政を見た。
「白様に食べてもらいたいです」
作る前の不安そうな顔だったのが、笑顔になっている。
しかし。
いざ、向かうとわくわくしていた気持ちがなえてしまうのは、当たり前だ。
緊張したお紅は今にも震えそうな顔で、両手に味噌汁のはいったスープジャーを抱えている。
鳥居の前で車を止めると、目に見えてお紅の顔色は悪くなった。本当に平気かと不安になるレベルだ。
あと政は目を開けた。
鳥居の先、桜の花びらが舞い散るなか、真っ白い狐が立っている。
まるで誘われるようにふらふらとお紅が歩いていく。
「白様」
焦がれる声でお紅が口にする。
「お紅」
白様が笑った。とても美しく。嬉しそうに。
「お味噌汁、作ったんですよ。私、白様のために、だから食べて、ください」
「ほんと、仕方のない子ねぇ」
なにもかも許す母親みたいに白様は口にして、お紅の手をとって境内の奥に誘っていく。
神社の階段のところに腰掛ける。
白様の横でお紅は照れながらスープジャーとおにぎりを取り出した。味噌汁だけだとつまらないと猫が口にして、お紅はおっかなびっくり、悲鳴をあげながら握ったそれは形はまちまちだ。
白様はふふっと笑った。
「
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