第10話 食事ってさ、そういうこと

「とっても、とってもとっても優しくて情深い人なんです」

「お紅さんは、どうして白様を解放したいんですか」

 政はとても大切なことを知らない。

 それはお紅の気持ちだ。

 そして白様の気持ちも。

「私、私は……昔、白様がこちらにきたとき、きれいだなって思って、そのときはまだ子狸で、なんの力もなくて、あの人が悲しむのをただ見ているだけで……私、どうしても目が離せなかった」

 切実な声で紡ぐ、その思い出はまるで宝物のようだ。朝日が昇り、輝くその一瞬を閉じ込めたように。

「私、あの人のためになにかしたいんです」

 その気持ちに名なんてあえてつけなくて。つけられなくて、けれどお紅は恥ずかしがり屋で引っ込み思案なのに、そんな彼女が政に会いにいって騙すことだって厭わず行動を起こす、それくらいには強い気持ち。

 平塚がえーという顔をしているが、それは無視することにした。

「まずは、情報を集めましょう。そこから全部はじめましょう。あと、一つ、味噌汁を作るのにお願いがあるんですが」

「なんでしょうか」

 お紅がおずおずと恥じらうように見つめてきた。

「作るときは、あなたが作りましょう。全部他人任せはいけないと思いませんか?」

「私が作る? けど、私」

「お手伝いしますからっ」

 猫が元気よく声をあげた。

「猫ちゃん、私、本当に不器用だけど、だ、だいじょうぶかしら」

「だいじょうぶですよー。わたしだってへたくそだったけど、慣れたので!」

 自信いっぱいの猫の声にお紅の瞳がきらきらと、はじめて海を見た子供のように輝いて、緩んだ。

「私、私、白様のためにしてみたいです。料理!」



「で、私の知恵を借りたいと、ここへ?」

「はい。やっぱりこういうのはいろんな人の意見が必要かと思いまして」

「ふふ、そうやって頼られてはいけませんねぇ」

 六角がゆるゆると笑う。

 その唇が吊り上がり、醸し出される色気に政は一瞬意識が遠のいた――いかん、戻ってこい。

 お紅たちと話し合ったが結局、白様についての情報が出てこなかったので政は思い切って今日は外食すると口にした。

 猫はお紅と仲良くなって今日はお泊りしたいというので、平塚と三太に任せてきた。

 どうも移動距離を見る限り、松山市内などは離れていても問題はないようだ。たぶんこれが県外などになると強制力が働く可能性はある。一度試してみる必要はあるかもしれないが

 六角は店からちょうど出ようとしていたところで、政が来ると今から店にいくつもりだというので誘われてしまった。

 お袖はにこにこと笑って、政たちを店にいれてくれた。

 飲み屋らしいカウンターと座敷の部屋で、六角と政は座敷に腰掛けた。先に日本酒とつまみのたこわさが届き、菜の花のおひたしをつつく。

 政はここにきて六角に会いに来た理由を素直に告げた。

 白様について知りたい、と。

「あれは外にいた狐ですが、こちらに逃げてきたクチですよ。九尾の狐については知ってますね? 京都で悪さをして退治されたあいつです。あいつがこっちに逃げてきたとき、あの近くの者が優しくしてくれたのに、あれも律儀に自分の尾の一本を例としておいていった。それがあれの正体です」

「尾なんですね?」

「ええ、尾です。狐にとって尾は命なんですよ」

「命、ですか」

 これまた重いものを出してきたものだ。たかだか一晩だけの恩で命を差し出すとは--と思ったが、それが彼らなのだろう。

「今更なんですが、六角さんからいただいたあれは結構やばいんじゃないですか」

「おや、なんのことやら」

 しれっと笑って流してくる。しかし、以前のさくらと三太の驚愕の顔を思えば、かなりのことのように思える。ここで詰め寄ってもさらりと逃げられてしまう気がするのでぐっと政は我慢した。

「狐はそれから、あそこに居ついてるですよ」

「……六角さんもですか」

「へ。私ですか」

 唐突に話題をふられたことに今度は驚いたように六角は目をぱちぱちさせる。

「六角さんはすごい狸なんですよね? なのに、どうしてここにいるんですか?」

「……私は、」

 口ごもった六角は息を吐いて、言葉を続けた。

「昔、ただの狸だったとき、よく獣のまま木の実を食べてました。こうね、毛に、つくんてすよ。ひっつき虫みたいに。それをぷるぷるっと体をふるって食べるんです。それがね、蕎麦の種で……あるとき、蕎麦を食べてみたくなったんですよ」

 仰ぎ見て六角は微笑む。

「はじめて化けました。人に」

「それで蕎麦を食べに?」

「はい。よくわからないまま化けて、蕎麦を売る屋台に向かって、一杯たべさせてもらいました。ぬるくしてくれというと店主は笑って作ってくれて……たぶん、ばれていたんでしょうが、わざと騙されて食べてくれたんですよ」

 懐かしがる六角はとても幸せそうだ。

 その思いがあるから、彼は蕎麦屋をやることに決めたのかとわかる。

 食事はただ食べるだけじゃない。

 思い出だ。

 そのとき、誰と食べたのか、どんなことがあったのか。

 食べることから逃げていた政にはそれがない。

 素直に羨ましいと思ってしまう。

「食べるということは、そういうことなんですね」

「ん?」

 問いかけるように言われて政は躊躇ったあと

「思い出がある。羨ましいです」

「政さんもあるでしょう」

「わからないんです。ここでうまいものを食べた記憶はあります。それは曖昧で、まだ探していて」

「へぇ、そいつは。しかし、私がいっているのは過去ではなく、今のことですよ。政さん、私の店の蕎麦、うまそうに食べてくれましたが」

「え、あ、はい」

 ずいっと六角が得意顔で近づいてきた。

「蕎麦を食べたら私のことを思い出しませんか」

「え、あ、はい」

 にやーと六角が笑った。

「ふふ、思い出しますよね。思い出しますよね! ふふん」

「……嬉しそうですね」

「そりゃあ、そいつの味を感じて思い出すってことは、私はもう政さんの記憶に、それは、それは深く刻まれたってことでしょう!」

 どや顔で言い切る六角に政はあっけにとられた。そういう考えもあるのかと思ったからだ。

 同時に確かにと納得した。

 今の政にとっては蕎麦の味は六角のことに関係する。

 思えば、今までのひな人形も--ひなあられ。

 刑部狸も--醤油飯。

 彼らは思い出とともにその食べ物を愛していた。いや、大切な人との思い出だから、よりいっそうその食べ物を大事に思い、心を揺るがされたのだろう。

「狐に食べさせたい味、思い浮かびましたか?」

「……けど、白様は白味噌が嫌いだと言いました、甘いのは嫌いだと」

「言葉と本音は違うことはよくありますよ」

 やんわりと六角は言い返す。

「大事だから余計にそれを口にすることが怖いってこともある」

「こわい、ですか」

「ええ。けど、やっぱり味わいたいって心の底では思うんですよ。私も、はじめて食った蕎麦の味、今だって忘れてません。あの味に近づきたいし、また食べたい。けど、きっとそれは叶わないんですよ。あれは私のことを認めて、食べさせてくれた真心だ。自分で作れやしない。誰かが、私のことを思って、作ってくれなきゃ」

「……俺が作ってみましょうか」

 切実な言葉だったのに、つい政はそんなことを口にしてしまった。

 自分みたいな素人が作っても、六角の食べたい味になるわけがないが、けれど六角にはいっぱい助けてもらった。そんな彼が食べたいと願うものを作ってあげたいと思ったのだ。

「政さん……嬉しいですね、嬉しいですね。ふふ、じゃあ、狐野郎に作ったから、私にも作ってくださいね? 楽しみにしてます」

 現金なもので、そういわれると悪い気がしない。

「まずいかもしれませんが」

「一緒に作ればいいじゃないですか。そしたら失敗しませんよ」

 それならひどい失敗はしないだろうと政は思った。

 少しだけ作ることと、食べることの意味がわかった気がした。

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