第9話 あの人は、
猫が決意した瞳で見つめてきたのに政は瞬いた。
どうして、というよりも、なぜかすとんと猫らしいなという気持ちになった。
「許してあげたいんです。だって、あれは、その」
もじもじと言いづらそうな猫を政はじっと待った。待つことは苦痛じゃない。むしろ、急かして、ちゃんと言いたいことを聞けないほうが怖いと思った。
こんなにも自分の気持ちを吐き出したのも、相手を知りたいと思って待つのも、はじめてのことだ。
「きっと、お紅ちゃんは、白様が好きなんですよ。だからこんなことをしたんです」
「好きだから?」
「ええ、好きだから」
念を押すように猫は口にする。
「好きだから、他人のことを騙しても、白様に幸せになってほしいと思ったんだと思います」
そんな、勝手なと言いかけて政は口を噤んだ。
好きな人がいて、好きな人のため、自分の全部を差し出したい。そのためなら汚れ役だってやってみせる、という強すぎる思い--褒められた事ではないが、少しだけわかる。
猫の名を探して、彼女を自由にしたいと思い、怒りだって感じて怒鳴ってしまった自分にお紅のことを悪く言う資格はない。
もし、猫の名前がわかるとしたら自分も同じことをした可能性がないわけではない。
「わたしは、政さんが好きですよ。だから、きっと政さんが同じような立場だったら、わわたし、きっと同じことをします」
そんな風に真っ直ぐに、健気に、認めないでほしい。
自分を騙した相手を許すその強さが眩しく見えてしまう。
「だから許してあげてって、ふわぁ」
政は猫を両腕だ抱きしめていた。
ふわふわと頬をくすぐる毛の優しく、あたたかいことに安堵として、甘えるようにして息を吐いた。
「わかりました。許します」
「政さん」
気遣う猫の言葉を政は遮った。
「だって、あなたが許すっていうなら、俺が許さないわけにはいかないでしょう。まったく馬鹿みたいな気分です。けど、困りました。いやだと思わない自分がいるので」
ふふっと笑って政は猫を見つめる。猫が目尻を緩めて尻尾をふってくれた。
「よかった」
「あなたは強いですね」
「単純に政さんが些細なことでぷりぷりしているのを見ているのかいやなだけです」
つんけんとした言い方をしてくる。それも、なんだか可愛いと思えるのは猫だからだろうか、それとももっと別の何かがあるのだろうか。
「というか、そろそろ離れてください。もふらないでください」
「もうちょっと」
「もう、わたしともふり、どっちが好きなんですか」
政は動きを止めて沈黙した。
「えーと」
「政さん……」
猫が静かに軽蔑したまなざしを向けてきたのに政は明後日の方向を見上げた。
お紅の住まいは、椿神社の端っこにある樹のなかだ。
そこに小さな祠がある、というのは松山で暮らしている者にとってはわりと有名な話だ。
しかし、松山に暮らしてまだ一か月もたたない政はまったく知らないことだ。ここはすでに松山に暮らしてベテランの三太に助けを求めるしかない。
一応、ラインを知っていたので連絡をとると、すぐに三太はマウンテン自転車でやってきてくれた。
事情を説明すると
「えー、許すの、いいの?」
呆れた顔をされた。
「俺がもっと注意をすればよかったことなので」
「それは、政さんたちの人が良すぎると思うんだけど? だってお紅は嘘を口にしたんでしょ。っていっても、政さんたちがそうしたいっていうならいいけどさー」
ぶつぶつとあれこれと口にしてくるが結局は教えてくれた。ついでに一緒についてきてくれるともいうのだから三太は人がいい。
椿神社はこちらに越したときにはじめて挨拶をしにきた場所だが、改めてくるとやはりとても立派で、地元の人たちに慕われているものだということがよくわかる。
「こっち、これこれ」
三太が慣れたように樹までは案内してくれた。
「小さい」
のぞきこんだ政の第一印象はそれだ。
確かにお紅も小さいが、こんなところに暮らして大丈夫なのか。
「うひゃあ」
声がしたのに見ると、巫女さん姿のお紅がいた。
「ど、ど、どうして」
「あなたに会いにきたんですか、その姿は」
「わ、わ、わたし、ここで巫女をしているので」
お紅がおろおろして、縮こまる。
六角も含めて、確かにみんな狸たちは人の社会に溶け込んでいると口にしていたが、巫女をしている狸とは新鮮だ。
まじまじと政が見ていると、お紅はますます縮こまってしまう。
「政さん、見つめていたらお紅ちゃん、変化とけちゃうんじゃないの」
「政さん、美人だからってなんですか、その目は」
呆れた三太とむすっとした猫の声に、あ、と政は我に戻った。
単純に狸の巫女というのが珍しいと思っていのだが、見つめられているお紅は半泣き状態だ。
「すいません。無遠慮でしたね」
「い、いえ、いえ、いえ、それで、なんで、しようか」
「怒鳴ってすいませんでした」
そう口にしたあと、政はもう怯えさせたくなくて、頭を下げた。
「え、あ、あの、どうして、頭をあげてください。だって、私が、私があなたにひどいことをしたから、あなたは怒るのは、当たり前で、え、っえっと、えっと、あの、私」
潤んだ声でお紅が言葉を続けようとして、嗚咽が聞こえた。
政が顔をあげると、お紅がぼろぼろと泣き出している。
「ごめんなさい~。嘘ついて、だまして、ごめんなさぁい」
「ちょ」
人が見るような場所でそんな泣かれては誤解を招くと焦る政にお紅はえんえんと泣き出してしまい
「だって、だって、白様に笑ってほしかったの。私~~、ごめんなさぁい」
まるで子供みたいに泣き出すお紅の尻尾がぽんとあらわれ、耳も現れる。
さすがにまずい。
「お紅ちゃん、落ち着いて」
ずだだただだぁと小石を駆け抜ける音がしてはっと顔をあげると、シンプルな白と青の袴姿の男が
「うちのアイドルのお紅ちゃんなかすんじゃねぇよーー! 天誅!」
思いっきり飛び蹴りをくらって政は気を失った。
「すいません、まさか、憑き物筋の方とは思わず」
「ひく、ひく、ごめんなさい、ごめんなさい~」
「あ、いえ」
政は土下座よろしく頭をさげる男――平坂続とその横で泣いているお紅に苦笑いした。
飛び蹴りをくらって意識をなくしている間にひた波乱あったらしいが、その点はつっこまないことにした。ただ平坂の整った顔に猫のひっかいたあとやら殴り合ったようなあとがあるので、なんとなく察した。
暴れただろう猫と三太はしれっとした顔をしている。
「顔をあげてください。俺は平気なので」
「あ、はい。しかし、本当に申し訳ない、お紅があんなに泣くのははじめてで、おお、泣くなよ」
「だって、だって、平塚さんがけがしちゃったぁ」
「俺は平気だからねぇ」
お紅がひくひくとしゃくりあげるのに平塚がでれでれと笑ったあと
「ここは、建物のなかで、ゆっくりお休みください。お茶も出しますね」
平塚はいそいそと茶を出してくれたのでありがたくいただくことにした。
「憑き物筋を知ってるんですね」
「もちろん。というか、むしろ、こういうところは大概、あなたがたのような方と付き合いがありますからね」
「そういうものなんですか」
「憑き物筋も神の一つ、といえばよいのか……古くから存在する方であるということは存じておりますし、ここらへんは神もそうですがバケモノとの付き合いもありまして、私たち平塚一族は、お紅さまの護衛するために生まれた一族なんです」
「護衛、ですか」
「はい。お紅さまは、椿神社に住まい、その加護をいただいているため、繁栄と福を呼ぶことから狙われるので、それを守るようにと言われ、代々お仕えさせていただいているんです」
平塚の説明にほぉと政は感心の声を漏らした。
ようやく落ち着いたらしいお紅は縮こまって、ちらちらと政を見つめている。
「私、そんな、すごいものじゃないんです。ただずっとここを縄張りにしていて、神様も私がここにいてもいいって言ってくれて」
もじもじとしているお紅は恥ずかしそうに両手で顔を覆った。
「だから、その、ごめんなさい」
「別にもう怒ってませんよ。先ほども言ったように許したいと思って」
「ひどいことをしたのに?」
ちらりとお紅が伺い見てくる。
「猫が、許すと言ったので」
「え」
驚いたようにお紅が猫を見る。猫はにこりと笑顔を浮かべた。
「好きな相手のためについついやってしまう悪事はわかります。私も政さんが白様だったら、やったと思います。だから許します」
「……猫ちゃん」
お紅は茫然とした顔で猫を見たあと、俯いたあと、顔をあげてはにかんだ。
ぽんと変化が解ける。
頭に椿の花を飾った狸に猫がにゃあと声をあげて二頭身の猫の姿に戻る。二匹が拾って前足を合わせてにこにこしている。
「お紅ちゃん、友達ができてよかったねぇ」
ハンカチを取り出して平塚が感動しているのに、政は小さくため息をついた。まあ、これは、これで
「いやいや、何もかも解決したみたいな顔してるけどさ、白様に味噌汁、作るんでしょう。どうするの」
三太が呆れた声でつっこんできたのに、その場の全員が目を点にした。
「え、あの、まだ作ってくれるんですか?」
「はい。そのつもりですけど、ねえ政さん」
「作るつもりだったんですね」
予想はしていたが
「まあ、のりかかった船なのでいきましょう。最後まで」
「ふわ、ふわわわっ」
お紅が声をあげて尻尾を膨らませたかと思うと、顔をつっこんで、ふわわぁと叫んでいる。
「これは、お紅が一番うれしいときの反応。よかったねよねかったえ」
平塚が言いながらスマホで連写しているのを政は見逃さなかった。
「まぁ、政さんと猫ちゃんのコンビだとそうなると思ってたんだよね。で、白様ってどういうやつなのか、ここで情報共有しない?」
三太の言うことは最もだ。
「ぜひ、俺は知らないので」
とすでに協力するつもり満々の平塚がずいっと身を乗り出してきた。
ここにはどうもお節介な者しかいないようだ。
「オカマでした」
「はい?」
これは平塚の反応だ。当たり前だがいきなりおかまなんて言われたら驚くだろう。実際政だって驚いた。
「狐で、白くて、ふわふわしていて、傲慢そうで、それで」
「優しいんです」
と、お紅が真剣な顔で言う
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