第7話 とっても怒った

 さっそく、パソコンで味噌汁について検索をかける。

 全国でもあれこれと種類があるし、具もあるということに政は驚いた。

 今まで母はどんな味噌汁を作っていただろう? 味はわからないが具はどうだっただろうか? 必死に思い出そうとするが、まったく浮かばない。嫌いなものから逃げ続けたせいでこんな風に忘れているとは自分はひどく薄情だと痛感した。

 ちなみに猫の作る味噌汁は具はいつもころころと変わる。けれどいつも松山あげがはいっていて、しっとりしている。甘いときもあるが、ときどき味が違うのは味噌の種類を変えているんだろうことはようやくわかった。

 自分は知らないことだらけだ。

 料理も。

 そして周りの人のやさしさについても。

 そう思いながら考えた末、政は京都の味噌汁について調べることにした。

 白様はどうもこの土地の味噌汁については嫌いのようなので、だったら九尾の狐から連想して、京都となる。

 九尾の狐の伝承が残っているのは京都だ。

 京都は基本的に白味噌を使うらしい。

 だしの取り方も、検索すれば出てきたのにメモをとっておく。

 甘いのは嫌いだと口にしていたが、白様のお好みは少し違うのかと調べていくと、京都の味噌汁はもなかをいれるらしい。

 もなか?

 怪訝な顔でマウスを動かすと、ふわりと柔らかな毛がついた。

 見ると、猫が横にいる。

「政さん、お茶もってきましたよ」

「……ありがとうございます」

「お、お味噌汁」

 画面を見て猫がしっぽをぴんと伸ばす。

 猫は機嫌がいいときはしっぽが伸びるというのは最近知った。

「なんでも、こういうもなかに具をいれて、味噌汁のなかにいれてそれをつぶして飲むみたいですね」

「へー。面白いですね」

「作れますか?」

「え、作るんですか……うーん、だしの取り方さえわかっていればけどもなかは」

「取り寄せができるみたいです」

「すごい」

 猫が感服した声を漏らす。

 猫の時代にはなかった技術だろうし、祖父は機械に明るいわけではなかったからこんなこともしなかったのだろう。

 すぐに取り寄せを――白味噌も京都のものがあるので、それちらも頼んでおく。

「これで白様に味噌汁が提供できますね」

「……政さんは、どうしてお紅さんの依頼を受けたんですか」

 とても素朴な疑問の声を猫は漏らす。

「それは」

 猫の呪いをときたいから、と口にしていいのだろうか。どうしてか口のなかが乾いてうまく言葉が出てこない。

 ただじっと見つめられると、心臓がうるさい。

「お紅ちゃん、かわいいからですか」

「え、あ、ああ。かわいいですね」

「まっ!」

 ぶわぁと猫のしっぽが太くなる。あ、これは怒っているな。

「そういうのふしだらっていうんですよっ」

「え、なにがですか」

「かわいいからってでれでれしちゃって」

「でれでれ」

 つい政が真剣に言葉を繰り返す。

「もう、もうっ」

 ぷりぷりと怒って両手をぶんぶんする猫に政はなにか誤解が生まれたんじゃないかと察して焦った。

「猫、俺は」

「ほら、また」

 咎める声はかわいらしいのに、どこか苦し気で

「私のこと、そうやって呼ぶ」

「……猫は、猫でしょう?」

「名前、くれません」

 うつむいて猫が言い返すのに政はぎくりとした。

 ここにきたとき、三太は憑き物には名を与えてきちんと契約を交わすと口にしていた。政は猫を受け止めて、ここにいる。けれどいまだに名は「猫」のままだ。それは名ではなく、名称だ。それが不満らしい。

「私と契約はいやですか? 東京にも帰っちゃうし」

「猫、そうじゃなくて」

「政さんのばかっ」

 落ち込んでいたと思ったら、怒り出した。それも怒鳴られた政は自分で思った以上にダメージを受けていた。胸の底がちりちりと痛み、苦しい。言葉が出てこない。本当は違うと言い訳したいの、それもできない。

 猫はむっと睨んだあと、立ち上がるとそそくさと出ていってしまった。

 おいていかれた。

 独りぼっちになった。

「あ」

 政は慌てて立ち上がろうとして、できなかった。

 頭のなかにぐわんぐわんと音がして、不安がこみあげて、苦しくなる。

 自分はいつも、これだ。

 深いため息をついてパソコン画面を睨んだ。

 なにもかもうまくいかない。

 

 翌朝の昼に宅配便が届いた。

 注文していた取り寄せがきたのを確認して、猫を見る。猫はむすっとした顔のまま受け取って、台所に向かう。

 口喧嘩をしたあとから猫は文句がある顔のまま、普段通りにしている。

 普段通りというが、むすっとしているし、いつもより言葉が少ない。あまりよろしくない。しかし、こういうときなんて言うべきなのだろう。謝るにしても、それは違う気がする。いつもおいしいと思っていた朝ごはんが今日だけはなかなか進まなかった。久しぶりに砂を噛んでいるようだった。

 猫はしおしおとした尻尾のまま台所で作業をする。

 いつも尻尾をぴんと伸ばしているのに。

 手持無沙汰で猫の背中を眺めていると、心細くてたまらない気分になる。

「出来ましたよ」

 猫の声がしたのに見ると、鍋には味噌汁がある。

 いつも食べているものとは少しだけ違うのは、おこわ――具のはいったまんじゅうみたいなそれをいれるからだ。

 と、お取り寄せしたお店の箱に丁重に書いてあった。

 いつもの料理、のはすだが、どうしてかそれが他人の顔をしているように政には見えた。

 猫が作っているのに。知らない見た目で、においがするみたいでなぜか不安を政は覚えた。

「政さん」

「はい」

「これでいいんですよね? ちゃんとお出汁とか私、気を付けましたよ」

 怒ってはいない。不安そうな目で、声が猫が声をかけてくる。

 憑き物は宿主がいることが必要なのだ。もし、宿主がいなくなってしまったら――猫は、祖父を一人で看取った。そのあと政が来た。とても嬉しそうに駆け寄ってくれたのだ。

 表情がころころと変わり、楽しそうな猫は――本当は自分よりもずっとずっと不安なのかと、今更だが政は気が付いた。

 そして、気が付いたのに言葉として何を向ければいいのかわからない自分に直面して焦った。

 優しい言葉や受け止めるための態度が、思いつかなくて焦燥が胸を焦がしていく。

 こんなつもりではない、と言いたいのに、うまくできなくて手を握りしめた。

「大丈夫だと思います」

 とりとめない言葉を口にして、本当にそうなのかと自問して目を伏せた。

 ただひたすらに不安なのは、知らない食べ物が目の前にあるからだと政は思うことにした。

 今回は一人で約束を果たすためやってきた。

 一度通った道なので迷うことはない。猫はちゃんと準備をしてくれたが、今日は一緒にいかないと家のなかに引き込んでしまった。それに政は止める言葉がなかった。憑き物はどれくらい離れられるかというのも確認したくもかった。幸いにも、この距離くらいなら平気なようだ。

 頭のなかで冷静に判断しつつも、どうしても割り切れない自分がいた。

「なに、不幸な顔してるの。しみったれてるー」

 罵る声に顔をあげると、鳥居の先に白様がむすっとした顔で仁王立ちしている。

「あんたね、そんなやつの味噌汁、食べたいと思うわけ?」

「……それは、わかりません」

「あ? わかんないの。ばっかじゃない」

 ずけずけと言ってくる狐だ。

「俺は、味覚がなかったので、食事にたいしてはあんまり詳しくないので」

「……あ、そっか、あんた、憑き物だったのよね? もとは都会っ子で」

 白様がそこまで片眉を持ち上げて仕方ないとばかりに大きなため息をついた。

「悪かったわね、いやなこと言っちゃって」

「いえ」

 一応、気遣うという気持ちはあるらしい。

 白様はさっさと背を向けて神社へと進むのに政も慌ててあとに続いた。いつ出そうかと思っていると、境内の木造の階段のところで腰を下ろして、ほらって手を出してくる。

 政は思わず手をのせると

「ちっがーーう! 味噌汁でしょうが」

「あ、すいません」

「あんた、天然ね?」

 呆れたという顔で睨まれて政は返答に困った。こういうとき勝手に笑ってくれる三太やつっこんでくれる猫がいないとどう対応していいのか困ってしまう。

 しかし、それは白様も同じらしくはぁーと長く息を吐いて

「あんた、わりとだめ男ねぇ。あの子たちがいないと間がもたないわ」

「そう、ですね。それは認めます」

「認めるの。あんたって変わってるわね」

「変わっているのも認めます。それで俺のせいで味噌汁にいちゃもんをつけたりは」

「しないわよ。たぶん」

 白様が不遜に笑う。

 その足元を子狐たちがじゃれあいこしながら転がっている。見ているだけで心が和む。

 政は猫にメモをしてもらった、紙を取り出して不器用な手つきで味噌汁を作り出す。汁をいれて取り寄せた、貝のようなそれを乗せた。

「あら、なつかしい」

 白様が声を漏らす。若干耳がひらりと動いている。興味はもったらしい。

「知ってるんですね」

「ええ、昔の故郷のね。調べたのね?」

「はい」

「そう」

 とても穏やかに白様は返事をして、差し出された味噌汁と箸を手に取る。

 箸の先で、そっと貝を割ると、花びらがほどけるようにして具が出てきた。それを白様は優しく口付けて飲み干す。

「……悪くないわね」

 静かな言葉に政はほっとした。

 これであっていた。

 そう確信したとき

「けど、それだけね。別になんとも思えないわ」

 あっさりと捨て置く言葉を口にする。

 そのまま味噌汁をずるずるとすするのに政はぐっと拳を握りしめた。何がどう間違えていたのだろうか。

 話を聞いて次に活かせるヒントになれればと思っていると

「あんた、どうしてそんな必死な顔してるの」

「それは」

「お紅はあんたになんていったの」

 睨む視線の強さに一瞬だけたじろぎそうになった。

 これは嘘も偽りも許さない神に属するものの目だ。

 政は思わず目を逸らしかけて、腹にぐっと力をこめて白様を睨むように見た。

「俺の大切な、猫のためです。呪いを、ときたくて」

「呪いを、とく? ああ、あの子は、呪いだったわね」

 それで納得したという顔で白様は笑った。とても哀れな生き物を慈悲深く救う仏様のような顔で

「無理よ」

「え」

「お紅は呪いをとけるといったんでしょう。私なら、それとも、お紅が解く方法を知っていると言ったんでしょう? 悪いけど無理よ。そんなことできるはずがない」

 はっきりと口にされて政は戸惑った。

「冷静になりなさい。もし私が解けるとしたら、刑部狸がとっくに解いてるわよ。そいつが解けなってもんをただ神の使いができるわけないでしょ」

 はっきりと言われて政は言葉を失った。

「そんな、じゃあ」

「お紅はあんたを騙したのよ。狸のやりそうなことね」

 その声には悪意や殺意がはっきりと滲み出ていた。



「おかえりなさい、どうでした」

 とたとたとたーと廊下を走って猫がやってきた。

 家を出たときはむすっとしていたのに、今はもういつもの調子に戻っている。その様子に政は少しだけ安堵とした。同時に家の奥からうかがうよなお紅が出てきたのを認めたとき、政は腹の底から怒りが湧いた。

「あ、あの」

 お紅が近づいてきて微笑んでくる。

「俺に嘘をつきましたね」

 お紅がぎくりと体を強張らせる。

 ああ、これは確かに騙されていたんだと政は自覚した。

「うそなんですね?」

「それは、その」

 取り繕おうとして失敗したお紅は視線をきょろきょろとさ迷わて、必死に言葉を探している。その姿に余計に腹が立った。

「騙したんですね」

 つい、言葉が強くなる。

 ぎくりとお紅の体がこわばった。

「私、私」

「呪いは解けないのに、解けると嘘をついたんですねっ」

 たたきつけるような怒声に近い声で政は詰っていた。

 妻が浮気したときだって、こんな風な言い方はなしかった。

 頭が真っ白になって、体が震える。

 いま、自分は怒っている。それも人生ではじめてというほどに。

 自分だけならこんな風な怒りは湧いたりしない。これは猫が、本当は自分になりたいと望んでいる彼女を救えないことへの苛立ちだ。

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