第6話 大事なはなし

「……ふにゃん」

 猫が小さく鳴いた。

 大きな瞳からぽろぽろと涙がこぼれていく。

「猫、どこか痛いんですか。苦しいんですか」

「ちがう、ちがうの」

 ふるふると猫は首を横に振る。

「うれしいの。とてもうれしいの。政さんがそう口にしてくれて。ふふ、うれしい」

「……よかった」

 自分はどうも言葉が足りない。だからこうして猫を泣かせてしまう。

 手を伸ばして、ふわふわの毛の頬に触れる。柔らかい。

「私、政さんのいくところ、どこでもいきたい」

「ありがとう」

「えへへ。って、あー、ごはん!」

 せっかく、いい雰囲気だったのが猫の叫びで一瞬にして崩壊した。

 自分もそうだが、猫も空気が読めないことが多い気がする。

「政さんのいってた味噌汁、作りましたからね」

「味噌汁……甘いですよね」

「ええ? それがなにか?」

「砂糖でもいれてるんですか?」

「いれてませんよ?」

「つまり俺とあなたは味覚音痴ってことですか」

「え、なんですか急に、味覚音痴って、失礼ですね。これでも私、すごく料理うまいの政さん知ってるでしょう」

「いやだって、味噌汁は甘くないって」

「そりゃ、東京の人の味噌汁は甘くないよ。あっち、しじみ汁だもん」

 唐突に頭にふってきた声に顔をあげると、三太だ。

「味噌汁がどうしたの? あ、ちなみに松山は白味噌使う家が多いから甘いよ」

「白味噌ですか?」

 政が小首をかしげたのに三太と猫がきょとんとしたしたあと

「猫ちゃん、もしかして政さん、そういうのも知らない?」

「たぶん、きっと、知らないかと」

「うわぁ、味覚なかったからね。そりゃそうか」

 などとこそこそと会話して、しみじみと納得している。

 なんだろう。なんとなくむかつく。

「なんですか、その味噌の種類っていうのは」

「んーだから、味噌の種類だよ。味噌にも、麦、白、豆、米ってあるの。こっちでは赤みそとかいうし、合わせみそとかいうの。あれは全部味噌で、味噌汁に使ってるわけ。それで味が違うんだよ」

「そんなにも種類が?」

 初耳だ。

「ちなみに松山はみんな甘いの好きで、白味噌が主だね。赤味噌とか辛いんだ。確か東京とかは赤味噌じゃなかったけ? しじみ汁とかが主流なら出しの取り方も違うだろうし」

「だし? とりかたが違う?」

 もうよくわからない世界なのに政は小首をかしげた。

「猫ちゃん、作ってあげたら?」

「そう、ですね。食べ比べしたらいろいろとわかるかもです」

 猫がふうとため息をついて居間に政を連れてきてくれた。

 そしてどーんとテーブルに並ぶ味噌。

 まず色が違う。

「これが白味噌」

 クリーム色だ。

「これが赤味噌」

 黒に近い赤色だ。

「これが麦です」

 こちらは色が茶色だ。

「はい。これ」

 といって細長く切られたステック状のきゅうりが手渡されて政はそれぞれ食べ比べてみた。

 ここではっきりとした。

 味が違う。

 白味噌は甘く、赤味噌は辛い。麦味噌は柔らかさのなかにはっきりとした濃さがある。野菜にこうしてつけて食べるにはどの味噌もうまい。

「だしっていうのは、お料理の基本で、こんぶとにぼし、かつおだしとかからとることがありますが、これが味の基本というか、その汁を元にいろいろと作るんですよ。とるものでいろいろと味に変化があったりはします。はい。これ」

 差し出された黄金色の汁に政は眉間を寄せつつ一口

「……? 味がある」

「だし汁ですもん。で、それにあれこれとして味をつけて食べるんですけど、地方によってだしの取り方も違います」

「どうして?」

「水が違うんですよ。こっちの水は柔らかいけど、東京とかのお水はちょっととがってるんてす」

 水が?

 水なのに?

 疑問が浮かんだが、料理を作る猫がいうなら間違いはないのだろう。

 そして、その水の違いから出汁の取り方も地方によっては変化しているのだという。つまりは水に合わせて出汁の取り方を変えることで味をよりよくしているのだという。

「すごいですね」

「でしょー」

「それは……昔の人が?」

「そうですよー。今よりずっと昔に思いついた人がいて、そうしておいしいものを作ってきたんです」

 我が事のように誇る猫に政は素直に関心した。

 誰とはわからないが、水の違いに気が付き、そして工夫をしてうまい出汁をとり、うまいものを作る。そしてそれは現代まで脈々と受け継がれ、当たり前になっている。途方もなく、気の遠くなるくらいえいえんとなされてきたのだ。

「少し感動しました」

「ふふ、私、政さんのそういう素直なところ好きです」

「俺もー」

「なんですか、二人そろって」

「ふつーは当たり前っていうところをそうやって感動するところとか」

「政さんらしいなあって」

 猫と三太がにやにやしている。三太の肩にいる金の蝶も嬉しそうにひらひらしているのになんだか気恥ずかしくなってしまう。

「けど、どうして味噌汁なの、いきなり」

「それが」

 政が白様とのやりとりを説明すると、三太がふぅんと声を漏らした。

「あの狐がね、けど、あそこにいる狐って九尾じゃないの?」

「九尾ってなんなんですか」

「昔の悪女だよ。京都では葛の葉とかが有名だけど、中国関係だと妲己だったけ、あそこらへんだったはず」

  つらつらと説明する三太に政はほぉと関心した。やはりこういう情報は三太のほうがよく知っている。

「つまり、あれは元は中国の生まれなんですか」

「そうだね。中国から日本にきて、京都で悪さをして、退治されかけてこっちに逃げてきた。んだと思う。九尾についてはいくつかの説があるからはっきりとは言えないけど、有名なのは殺生石とかだし」

 などといいながら三太はちゃっかりデーブルについている。

 いつの間にか夕飯――味噌汁、白ご飯、春巻き、漬物が並ぶ。

 春巻きの中身を食べると、そら豆とチーズを合わせたもので、とてもよくあう。

「しかし、味噌汁一つでもあれこれと大変なんですね」

 普段何気なく飲んでいただけに驚きだ。

「あ、あと、気になったんですか。からあげは甘いですよね?」

「甘いですよ?」

「甘いよ」

 二人そろって即答する。

「東京の同期が、塩辛いものだというのですか」

 あーと三太が声を漏らした。

「そういう味付けもあるよね」

「からあげも味付けが違うんですか」

「うん。違うね。松山のからあげは味付けのときに砂糖いれるもん。ね、猫ちゃん」

「はい! 甘くなっておいしいですよね」

 猫がにこにこ笑う。

 そういえば白様がなんでも砂糖をいれるから嫌いと口にしていたのを思い出した。そうか、それはこういうことなのか。

 今更だが、こんな驚きがあるとは思わなかった。

 食べ物一つにしろ、あれこれと味が違う。調理の方法も違う。

 日本は狭いと思っていたが、ちょっと土地が違うだけでここまで味付けに違いがあるとは驚きだ。

 しかし、だったら甘いのが嫌いだという白様は、ここの生まれでもないのか。

 三太が口にしたいたように中国からきて、京都から四国まで渡ってきたのか。まったくもって元気だ。

「ごちそうさまー、じゃあ帰るね」

「本当にただ飯だけを食べて帰るんですね」

「あっは、政さん、容赦なーい」

「まったく」

 政の辛辣な言葉にも三太はあっさりと受け流す。

「東京さ、帰るの?」

「そのつもりですが」

「一応いっとくけど、猫ちゃんは連れていけないよ」

「え」

 唐突に、突き刺すような言葉を向けられた政は戸惑い、息を飲む。

「だって、あれは土地の神様の呪いだもん。この土地が離さないよ。どれだけ離してってお願いしても」

 悲しげに、三太は優しく語る。

 政は息を飲んだ。

「俺が宿主になっても」

「なっても、呪いのほうがまだ強いかな……たとえ政さんがどれだけやっても、呪いは離してくれない。そういうものなんだよ、呪いって、誰かの願いを踏みつけて、不幸になるのを喜んでる」

 淡々と語る三太に政は拳を握りしめた。

「だって、じゃないとおかしいと思わない? 政さんの家の人、どうしてここを離れなかったの」

 祖父母は--祖父はずっと東京にくることを拒んでいた。いくら誘っても、ここでいいとかたくなに、一人で、だから死んだ。

 それは猫が心配で、そして一人にできないから--そう一人できなかった。

 別に呪いを受けたわけでもないのに祖父たちはずっとこの土地を離れなかった。

 呪いを浄化するという使命のため、けれどその使命にずっと費やす必要なんてなかった。なぜなら政の父たちは土地を出て生きている。まるで自分が出来なかったぶん、我が子には自由でいてほしいと願うように。

 祖父は呪いを、猫をほっておいてもよかった。

 それをせずにここにいたのは、どこもにいけない哀れな呪いを孤独にさせないためだ。

 自分が死んだあと、あんな手紙を残して政にやってくるように促したのも。

 政が十代目というのもあったのかもしれないが、結局は猫を一人にすることを哀れんだにほかならない。

 お前がいいとさ。

 一緒にいたい相手はお前だよ、という意味だ。あれは呪いに選ばれたというのではなくて、猫が求めているという意味だったのだろうか。

 呪うしかできない存在を救ってほしいと、出来たら孤独にしないでほしいという願いだったのだろうか。

 本人がいないから今更聞くことだって出来ない。

 たまらない気持ちに政はなる。

 祖父は馬鹿だ。もっとはやく言ってくれれば、息子たちを外になんて出さず、もっと呪いや家の事情を晒してくれていたら、父も、その兄弟たちもあんなにも遠くへと行かなかったかもしれない。まるで呪いから逃すために外へと行かせるようなことをして。けれど猫を一人にできないなんて矛盾している。

 その気持ちが今の政にはわかる。わかってしまうから、下唇を噛んだ。

「けど、政さんの人生だからさ、どうしたいのかなんて言わない。猫ちゃんから離れて味覚がなくなることはあると思うけど、それなんだけど、俺がなんとか出来るかもしれないし」

「三太くん、それは」

「憑き物筋は五感を司ってるからさ、俺の場合は視力なんだけど、知り合いに頼んだら味覚っていうのもあるかもしれない。それで呪ってもらって、仮とはいえ戻るかもよ」

「そんなことしていいんですか」

「仕方ないよ。だって政さんは元々はここに来た人だからさ、去りたいなら止められないし」

 ふふっと三太は目を細めて笑った。

「憑き物筋ってさ、みんな、情が深いんだ。自分以外の命を抱えて生きているからさ。だから、知り合いには出来るだけ幸せでいてほしいんだよ。俺は政さんに幸せでいて欲しいよ、猫ちゃんにも」

 柔らかい言葉に包まれるように政は目を伏せて、俯いた。

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