第5話 味噌汁を

「白様を元気にしたいんだけど、なにがお好きかしら?」

 猫が屈みこんで子狐たちに聞く。

 子狐たちはうーんと唸り始めた。

「油揚げじゃないんですか?」

 狐といえば油揚げと相場が決まっているので政が口にしたが

「それはあくまでイメージの話ですよ」

「そうだよ、ぼくにたべないよ」

「きらいじゃないよ」

「ないよっ」

 そうなのか。またしても思い込みで失敗した……政はそっと必殺のスマホを取り出した。狐と好物と打として、いや、これだと動物の狐がヒットするのでは思いなおして、白狐と打ち直した。

 すぐに検索した結果

「は、ネズミ」

 昔は狐に米を食われないためにネズミを捧げものにしていたという。そこから仏教やらの教えが入り、殺生を禁じて今の油揚げにしたというのだから、まずはそこからか。

 いや、そもそも肉を食べていた狐がどうして油揚げなんだと思えば、稲荷で奉る神は豊作というが、名にうか、うけ、うという食べ物を意味するうえ、稲荷とは稲穂の意味として食べ物は縁近いもののようだ。

 油揚げに行き着いたのは、油揚げはもともと野菜の肉といわれるほどに栄養面が豊富なようだ。また穀物の神に捧げものとして大豆が適していたというのだ。

 まさかここでネズミ食わせろといわれたらどうしようかと思ったが、あの狐は松山の味は甘いと口にしていた。

 もしかしたら白様は別のところにいたのだろうか。

「油揚げは嫌いじゃないけど、いつもだし」

「だしねー」

「お肉は食べれないし」

「ねー」

 狐たちが顔を見合わせる。

「食べれないんですか?」

「神様に仕えてるから」

「殺生だめ」

「絶対だめ」

 大切なことなので二度言われた気がするが、そうなると、肉類は口にしないのか。それにものとしては大豆が好まれるなら

「味噌汁」

 反射的に出てきたのはそれだ。

 大豆で好ましいものというと、咄嗟にそれしか出てこなかった。

「政さん食べたいんですか、お味噌汁」

「いえ、そうでなくて」

「私に作るっていうの? 味噌汁を~?」

 嫌味な言い方に振り替えると、白様がむすっとした顔でたたずんでいる。

「あのさ、アンタたち、ここは私の庭なのよ? そこで悪だくみしてばれないと思ってるの」

 ふんぞり返る白様に政も猫も子狐たちも沈黙した。

 別に悪だくみではないが、こうしてつっこまれるといささか分が悪い。なにより、政は彼に食べ物を作ることで得られることがある。

 多少、心に罪悪感のような後ろめたさはある。

「で、いつもってくるの」

「え」

「味噌汁よ、味噌汁。私、嫌いじゃないっていってるのよ」

 手をひらひらと蝶のように振って言い返してくる。

「作るんでしょ」

「一応、そのつもりですが、いただいてくれるんですか」

「あのね……神様やその眷属は人の声を無視できないのよ。そんなことも知らないの? てか、わざとやってるのかと思ったけど、素なの? 恐ろしい子ねぇ」

 そうなのか。まったく知らなかったが、白様はなんだかんだいって受けてくれるつもりらしい。

「苦手なものとかありますか? やはり、狐なのでかんきつ系とかだめとか」

「狐舐めないでくれる? なんでも食べれるわよ。あ、けどまずいものはやめてよね。私、グルメなんだから」

「わかりました。うちの猫の作るものは大変おいしいです」

「にゃ、にゃあああ」

 唐突に話を振られた猫がびくっと肩を震わせ、声をあげた。まずいことを口にしたかと思えば、真っ赤になって政を見つめている。その瞳が潤んでいたのに政は驚いた。

「猫?」

「にゃ、ああああん」

 声をあげて猫が両手で顔を覆って駆け出していく。

 どうした。

「……天然のたらしかよ」

 ぼそっと白様がつっこむのに政は、えっと声を漏らした。

「なんでもないわよ。知らないし、自覚してないほうが面白いし、先も言ったけど、なんでも食べられるから、持ってきなさい。人の捧げものを粗末にできないのよね。まったく、神様ってめんどくさいわ」

 これみよがしにため息をつく白様は、もしかしていやがっているのかと思ったが、ふわふわの尻尾が嬉しそうに揺れ、頭についた耳はぴくぴくと震えている。

 あ、これがツンデレか。

 政は少しばかり理解した。

 言動がちぐはぐだ。

「あと、お紅は」

「はい」

「あの子、元気?」

「……ええ。梅を付けたり、桜の花びらの塩漬けを作るのを手伝ってくれました」

「なにそれ、全部食べ物なわけ。あっは、あの子らしい」

 ふふ、ふふっと白様が笑う。唇が緩んで、その微笑は美しく、慈愛に満ちていた。

 とても大切な宝物を手の中で包みような微笑みに、政は呆けたように見つめた。もしかして、ここに来たのは自分たちを気にしたのではなくて、お紅のことがあったからだろうか。

「お二人はどういう関係なんですか」

「私があの子のことふったのよ」

「え」

「私、たぬきは趣味じゃないの」

 腰に手をあててふんぞり返る白様に政は、狐と狸の異種の恋愛は成立するのかと頭のなかで考えた。

 いや、そもそもバケモノと神様の眷属だが

「てかふったんですか」

「当たり前じゃない。私、好きな男がいるんだもん」

「ほぉ」

「あら、驚かないのね」

「人の趣味はいろいろとあると思いますが、それを否定することはよくないかと」

「ふーん、あんた、いい親御さんに大切に育てられたのね」

 また、言われた。

 六角もそうだが、みんな、そう口にする。

「私はね、人の男に恋して災いをふりまいた悪い狐なのよ。だからその罪滅ぼしのために、ここで神様に仕えてるの」

 にっと白様が笑った。

 とても晴れ晴れとした笑みに政が思わず見惚れて、一瞬意識が遠くにいきそうになった。それくらい美しかった。



「え、味噌汁ってしっょぱくないですか?」

 飯田がきょとんとした顔で言い返してきたのに政は絶句した。

 では、自分が今まで飲んでいた味噌汁はなんだったんだ?

「それにしじみですよね。具ってふつー」

 またしても政は眉間に皺を寄せた。

「え、俺、変なこと言いました?」

「いえ。そういうものなんですね」

「ですです」

 飯田が頷く。

 神社から戻ってきた政はさっそく味噌汁について調べようとして、パソコンを開いたとき、飯田が声をかけてきたのだ。せっかくだし、と思い、通話をしたのだが

「俺、あと玉ねぎはいってるのも好きですよ」

「玉ねぎ?」

「豚肉と人参ときのこと」

「それはまた豪華ですね」

 あいにくとここでの生活ではそんな味噌汁はいただいたことはない。

 いつも甘い味に合わせて、わかめと味噌汁。ときどき松山揚げがはいっているくらいか。

「先輩、戻ってくるんですよね」

「それは」

「先輩、そっちに行って楽しそうだなとは思いました。こっちは合いませんでした?」

「そんなことは」

 飯田の悪いとこといいところは、何事もずはずはと聞いてくることだ。その分、竹を割ったような性格で根に持ったりもしない。

「けど食べ物の話なんてそっちいってからですよね。俺、食べるの嫌いなのかなぁと思ってました」

「そうなんですね」

「だって、飯の誘い、断られてたし」

 やっぱり気にしていたのか。

「味噌汁って、やっぱり家庭の味って感じですよね。暮らしにすごく直結してるかんじですもん。そっち甘いんですっけ?」

「はい。甘いですね」

 どうやって甘くしてるんだろう。やっぱり砂糖だろうか?

「確か、からあげも甘いって聞きましたけど、まじですか」

「甘くないんですか」

「……塩辛くないですか? ふつー」

 そのふつーというものが、今まで味覚がなかった政にはわからないが、猫の作った唐揚げはとても甘い。それが不愉快な甘さではなくて、微妙に肉とマッチしていて食欲をそそるのだ。

「少し確認してみます」

「なんですか、その真剣な顔」

「いえ、俺は実は味覚音痴なのかもしれません」

「え、そうなんですか」

「はい。たぶん、もしかしたら」

 あいまいになるのは猫の作ったものかし基本的に食べてないからだ。

 もしかしたら猫は呪いとかそういうたぐいの生き物だから、味覚がななめ上をいってるのかもしれない。なんせ見た目は猫だし。猫の味覚っていうのは甘味が好きなのか? いや、呪いだからか?

 わからないが、猫が作ったものをおいしく食べる自分はわり味覚としてはもうアウトなのかもしれない。

「もし、そっちら帰ったら」

「はい。なんですか」

「味噌汁、食べましょうか」

 誘いながら、照れる気持ちとか焦りやらがこみあげてきて、口元を何度も意味もなくなでてしまう。

 なんせ今まで食べ物から逃げていた身の上だ。

 人を誘うというのはなかなかに努力がいる。こんな気持ちを飯田も持っていたのだろうかと思うと申し訳なさがこみあげてきた。

「いいですね。行きましょう。実は味噌汁専門店とかあるんですよ。東京」

「そんなものがあるんですね」

「楽しそうでしょう! 楽しみにしてます」

「ありがとうございます」

 通話を切ったあと、なんとなく心の底から嬉しいという気持ちがこみあげてきた。

 と、突き刺さる視線を感じる。

 背中に冷たく、氷のように刺さるその矢のような視線――猫だ。戸から顔の半分だけだしてジト目で睨んできている。ぜんぜん隠れれていないうえ、怒っているようだ。

「どうしたんですか」

「帰るんですか」

「……いまの会話聞いてたんですか」

「最後のところだけ。味噌汁屋さんに同僚さんと行って」

 拗ねたように視線を落として猫が尻尾をふる。

 政はゆっくりと立ち上がり、猫の前まで来た。

「俺と一緒にきていただくことはできませんか?」

「そうですか。私なんてもういら……はい?」

「だから東京に一緒に行くという選択肢はありますか?」

「私がですか? こんな島国のさらに島の端っこに生息する呪いがですよ! 東京なんていったら食われませんか?」

「どういう偏見をお持ちなんですか? 東京はそこまで怖いところではないですよ。俺が住んでいたところなのでその点は保証します」

 だから、と政は付け加えた。

「あなたが俺についてくることはできますか? 俺は、俺の生活していたものは東京にあります。仕事にしろ、両親にしろ、あと、結婚していたときマンションを買ったので、そこもあります。滞在は少しの予定だったのでそういういろいろをあっちに置いてきてるんです」

「……政さん、いやじゃないんですか?」

「なにがですか? ああ、あなたが夫とか嫁とか言いながら飛びついたり、照れたり、はしゃいでるのは慣れました」

「もう、ほんと、政さんストレースなんだから」

 猫ががっくりと肩を落としてため息つく。なんだろう。間違えていたのだろうか。

「呪いである私が一緒でもいいんですか?」

「いいですよ」

 あっさりと政は口にする。

「呪いでも、猫でも、あなたはあなただ。だからいいですよ。なんでも」

 その一言は意外なほどあっさりと出た。

 猫と結婚なんてどうやってするのかわからないし、呪いの災いがいつやってくるかもしれわからない。

 けど、猫は猫だ。

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