第12話 すべて思い出して

 ラップでつつんだそれを政が服の下に抱え込みながら、さくらを見て困惑した。

「本当にいいんですか」

「いいに決まってんだろう! 急ぎなら、一番はやいのはおいらだい」

 今、政の目の前には巨大な狸がいた。

 支度を終えると、さくらが葉っぱを頭のうえにのせてぶつぶつと何か言い始めたと思うと、煙とともに巨大化したのだ。それも狸の姿で

 これは某子供向けアニメのなんとかバスじゃないのか。今回の場合は狸バスか。

「さっさと乗れ! おいらの変化、長くもたねーんだから」

 さくらにせかされ、政と猫、三太が背中に乗る。

 ふわふわの毛が気持ちよくて、ついうっとりしそうになるが、走りはじめると毛を堪能している暇もない。

 基本的にバケモノの姿は他人に見えない。それはバケモノに触れている政たちも同じだ。

 さくらが電柱によじのぼり、その上をすたすたすたと早足で走ったところで誰も気がつくことはない。

 時速何キロかはわからないが、地上を走る車がどれも遅く感じるほどさくらは早い。さすが獣。

 強風に政は目を開けられず、ひたすら頭を低く、横にいる猫が振り落とされないように腕のなかに引き寄せた。

「ひゃー、すごいね。たのしい」

「三太くん、頭あげると落ちますよっ」

「平気、平気っ」

 三太がはしゃいだ声をあげたと思ったら

「あれ、なんかやばくないっ」

 言われて政は恐る恐る顔をあげて、ぎょっとした。

 いつもは光がある松山の飲み屋などが軒を連ねる銀天街、大街道、そして松山城にいたるロープウェーが暗い。

 そこで時折、悲鳴と激しい罵りの声が聞こえてくる。

 政は思わずズボンのポケットにいれたスマホを取り出すと、「現在、謎の停電中」とメッセージとともに停電されている箇所が記されている。

 松山城を中心とした判明二キロほどの範囲は、あきらかに狸たちがやらかしたのだ。

「よっしゃあああ、いくぞーー」

 さくらがさらにスピードを増した。

 ちょうど、大街道から松山城に行く路面電車が通る道のところ。

 現在は閉鎖された道はなんと何十匹もの狸たちが合わさって巨大な壁になっているのだ。通せんぼしようとしているのをさくらは真っ正面からぶち当たるつもりのようだ。

「え、わっ」

 思わず政は目を閉じた。

 軽い振動とともに宙に体が投げ飛ばされる。

 あ――見ると、さくらと無数の狸たちはホーリングのピンよろしく倒れている。

 無茶をするからだと呆れているが、このまま落ちたらやばい政は咄嗟に腹に抱えているそれを庇おうと身を丸めたとき

「政さぁあああん」

 猫が悲鳴をあげる。

 同時に何か柔らかなものが政を包み込む。目を開けると、黒いもやが――さくらの件で強盗たちを捕らえたものと同じ――猫の体の一部から出ているそれが政を抱えてくれ、ふわふわと地面に下ろしてくれた。

 無事に降りた政に猫がひゃーんと泣きながら駆け寄ってきた。

「無事ですかっ」

「ええ。それより、三太くんは」

「俺はこっち、こっち。いたー。めっちゃ背中うったよ。とにかく、いかないと」

 三太が指さすのは松山城に向かうためのロープーウェー道だ。しかしそこに黒い影がうごめいている。

 見ると、狸だ。

 一匹ではない、二匹、三匹・・・・・・十匹にいたる狸たちがおのおの、竹槍を持って立っている。さらに鎧を身につけてふらふらしているものまでいる。

「・・・・・・政さん、先にいって。こいつはら俺がどうにかするから」

「しかし」

「へーき。へーき。急いであげてよ。ほら、走って、止まらずにっ・・・・・・せつえ」 

 三太に背中を押された政は猫を、片腕に抱き、駆け出した。

 武装した狸たちは真正面から突っ込む政に威嚇の声をあげ、襲いかかろうとして動きを止めた。

 なんだと思ったが狸たちはおろおろとしているのに、ちらりと後ろを見ると金色の光を纏った三太が片手をふっている。

 その手から鱗粉が零れ落ち、狸たちを包む。

 視覚を奪ったのか。

 やっぱり憑き物筋は恐ろしいものだと政は改めて思いながら、ゆるやかな坂道を駆け上り、今は停止しているロープウェーを横目に、その横にある神社の石畳をのぼっていく。

「政さん、大丈夫ですか」

「は、はい」

 息も絶え絶えに返事をしながら坂道をひたすら走る。

 桜の木々に混じって濃いピンクのつつじもある道をひたすらすすむと、再び怒声が聞こえてきた。

 政はさらに走った。

 息を切らしてのぼりきった石の階段のさき、松山城の門の前で睨み合う背があった。

 六角と――対峙するのはスーツ姿の金平狸と着物姿の大狸だ。

「この阿呆が! 人間なんぞに味方しやがってぇ! 総大将のお気持ちを考えねぇか」

「黙れ! お気持ちを考えるなら、このままにしておいていいはずないだろう。さっさと道をあけろ」

 金平狸が唾を飛ばして怒鳴るのに六角も怒鳴り返す。

 そんななかに居心地悪そうな大狸は静かに口を開いた。

「俺たちは総大将のお気持ちを優先する。だから六角の兄貴よ、アンタを許すわけはにいかんのだよ」

 覚悟を決めた声のあと、大狸の手が伸びた。まるでたこのように無数に生えて伸びた手を六角が素早く避けていくが、その隙をついて金平狸が間合いを詰めて殴りかかっていく。

 ほぼ一方的な攻防戦だ。

「六角さんっ」

 政が声をあげると、六角が動きを止めて振り返った。

「政さん、どうしてここにっ」

「もう一度、もう一度チャンスをくださいっ。食べて貰えるチャンスをっ」

 その言葉だけで政たちがなにをしようとしているのか察した六角が一瞬だけ、苦しげな顔をしたと思うと、すぐに大きく頷き、金平狸を押えにかかった。

「いきなさいっ」

「てめぇ! 裏切り者、させてたまるかっ」

 金平狸の口汚い罵りをあげて暴れる脇を過ぎて政が進もうとするとその前に太狸が立ち塞がる。

 険しい顔に僅かな迷いを抱えた瞳で大狸が片腕を振り上げた。

「政さんっ」

 猫が悲鳴をあげたが政は腰を落とし、息を吐いた。

 向かってくる者をいなすことは覚えている。腕を伸ばし、大狸の拳を弾く。それに大狸はぎょっとして叫ぶ。

「お前、戦えるんか!」

「一応は……っ……!」

 しかし、狸相手に戦ったことなんて今までない。

 やれるだろうか?

 政が不安を覚えたとき、甘い花の匂いがして、真っ赤な椿がいくつもの現れる。視界いっぱいの椿が咲き乱れ、甘い匂いを漂わせる。

「これは、……お紅か!」

 甘い匂いがあたり一帯に漂い、大狸がふらついた。

 今だ。

 その隙を逃さず、政は大狸の懐に飛び込むと腕を掴んで足に力をこめ、一本背負いをきめた。

 地面に倒された大狸がひゃあと悲鳴をあげて目を回して倒れこむ。

 は、は、はと獣みたいに息をする政に猫が駆け寄った。

「政さんっ」

「平気、です。しかし、急がないと」

「のってくださーーーーいっ」

 ふらついた政の背後から声があがる。

 振り返ると、電車が勢いよく走ってきている。

 なぜ。

 しかも、それは松山の路面を走る坊ちゃん電車だ。黒い見た目に煙を吐き出しているが--その真正面が狸の顔だ。

 真っ直ぐに向かってくる坊ちゃん電車--狸顔が政を掴んで空へと駆け上がっていく。

「もしかして、あなたは……毘沙門狸!」

「そうでーーすっ! 先はお紅さんが助けてくたれんですよーーー」

 しゅしゅと音をたてて駆け抜ける電車は通常ではありえない城の壁を這い上がり、どんどん上へと進む。さすが狸が化けた電車だ。

「どうして、助けてくれるんですか」

「僕たちは、総大将が大切です。だから、だから思い出してほしいんですっ。どんなにつらいことでもっ! って、うわぁあああ」

 松山城の屋根から狸の波が襲いかかってくる。

「政さんっ! 飛んでください。受け止めますっ」

 後ろから傷だらけの六角が巨大な狸の姿で駆け上り、毘沙門狸がえーいって声をあげて政と猫を外へと投げた。

 それを六角が口でキャッチしてくれると、狸の波にのまれて落ちていく毘沙門狸を飛び越え、さらに波を踏み越えた先にある--松山城のてっぺんへて運んでくれた。

 は、は、はと六角は荒い息づかいで、そのまま膝をつく。

 政と猫は一番端にいる--とてもちいさく、そして巨大な狸を見た。

 ゆっくりと振り返る。

 まるで太陽みたいに輝く月に照らされた刑部狸が静かに見つめてくる。

「……」

 政は一歩踏み出した。

「会いに来ました。あなたに」

「おまえさまは」

 夢見るように、囁く。

「お土産つきです」

「?」

 不思議そうに小首を傾げる刑部狸に政は、それを差し出した。

 いろとりどりの。

「……つつじのはな」

 低く、囁くように刑部狸は口にする。

 四月から五月に咲く花の代表は桜と言われているが、つつじは江戸時代から親しまれ、特に好まれた花だ。

 特に松山は多く、道を歩けばどこでも見られるほど生息している。

 松山城にも、桜、ふじと一緒に咲いている。

 花をじっと見つめる刑部狸が顔を歪めた。

 細い指を伸ばし、掴む。

「さぁ。食べましょう。春先までもここは暑いから、これを食べたら少し落ち着くでしょう」

 政が差し出したのは、俵に握ったしょうゆ飯だ。

 松山あげ、鶏肉、ごぼう、しいたけ。溶き卵を焼いて細かく切り刻んだものでくるんでいる。

 刑部狸の目が政を見つめ、そっとおにぎりを受け取ると、くんくんと鼻を鳴らしたあと、一口齧る。

 そのまままた一口、一口……がつがつと食べてしまう。

 食べ終わると、じっと、黒い瞳が政を見つめた。

「思い出しましたか?」

 問いに、刑部狸の瞳から涙がしとしとと、音のない雨のように零れ落ちる。

「なぁ、……どうして、また一緒に食べようと約束を違えたんじゃ」

 溢れて、零れて、どうしようもない気持ちを刑部狸は吐き出す。

「お前さんのためなら、わしは、別に悪役でも、よかったのに」

「……刑部狸、それは」

 言葉の意味をとらえきれず、政は怪訝な顔をする。

 刑部狸はふらふらと近づき、手を伸ばして、しっかりとしがみついてくる。

「生きてほしかったんじゃよ、お前には、どうしてお前が追い立てられないといけない。天の神のすることは人の理では計れんというのに」

「……」

「約束したじゃないか、島に流されても、また再び戻ってきたら一緒にこうしてお前の作ったにぎりめしを食べようと! うそつきめ、裏切者め! 口先だけの騙しよって!」

 悲しみに満ちた悲鳴のような罵りだった。

 ――バケモノはこうと決めた人のために命だって捨てる

 六角が口にしていた言葉の意味がようやくわかった。

 こういうことなのだ。

 バケモノにとって利害や血の絆も関係ない、ただこうと決めた相手のために尽くそうとする。

 飢餓のためにお家騒動が巻き起こり、損な役割を押し付けられた友のために刑部狸は松山城の守護者という立場を捨てても行動を起こした。

 それで全部一件落着するはずだった。

 最終的に島流しになった奥平久兵衛は追っ手によって殺されてしまっている。本来は強い男だったが優しすぎたために、刺客となった者が泣きつかれ、自らの首を差し出した。

 ずっと奥平久兵衛待っていた刑部狸は、刺客の持ち帰った首を見て、もう彼が戻らないことも、約束を果たせないことも知ってしまった。

 暴れ狂い、友の手によって封じられた刑部狸は己の時間を止めてしまった。

 悲しくて、悲しくて、苦しくて、辛くて、たまらなくて、どうしようもなくて。

 それは

「悪役になればお前さんはここに帰れると思ったんじゃ。わしが命を狙う、悪い悪い悪役であれば」

 だからあんなに嬉しそうに殺すと口にした。こうしたら帰ってこれる理由なると思って

「わしを退治しておくれ。それでわしに言っておくれ、お前を追い詰めた者、みんな、みんな、報いを受けさせろと、わしがしてやるから、祟神でもなっていいから」

「……もう死んでしったんですよ」

「どうして、お前はそうなんじゃ! 上のものが苦しんでいるからと損な役についた! 税を課したのはみなのためというがお前は追い詰められて……どうして、刺客なんぞに首をやった! あいつらはお前を追い詰めたのに、憐れむんだ! 少しはお前のことを大切に思っている者のことを考えろ! わしは約束を果たしてくれと信じてまっていたのに」

 悲鳴のように、泣くように、なじって、なじって。けれど

「わしの玉をやるから、生き返っておくれ、もう一度わしと食べておくれ」

 懇願の声とともに差し出された、透明な玉を政はじっと見つめた。

 バケモノにとって、自分の力の源となるものは命よりも大切だと六角は口にしていた。六角はそれなのに平然と政に渡してくれた。

 受け取ったときは、その重みがわからなかったが、今ならわかる。

 信じているのだと心から示してくれているのだ。

 なんて、純粋で、想いの強い生き物なのだろう。

「……すいません」

 だから、政は心から謝罪した。

「すいません、俺はあなたの大切な人じゃない。すいません。ごめんなさい……あなたのそれを受け取れません。受け取っても、生き返らないんです」

 小さな手を、はじめて出会ったときのようにとる。

 自然と溢れる涙を止められず、洟をすすり、自分に出来る精一杯の誠意をこめて口にする。

「すいません」

「……あ、ああ」

 震える悲鳴を刑部狸はあげた。

「あああああ」

 その声は告げる。

 本当は、はじめから、ぜんふぜんぶ、知っていた、と。

 死者は生き返らないことを。時間をとめても意味がないことも。

「あ、あああ」

 思い出してしまったことを嘆くように声を押し殺して泣く。

「わしは、ではなにを恨めばいい? 何を憎めばよかった? お前は民のために死んだ、彼らはお前を憎んでやったわけではないことも、わしはこの土地の守護者ゆえ、誰も、誰も……悪くないことも知っていたよ、知っていたから……」

「総大将!」

 ぼろぼろの六角が声をあげて駆け寄ってきた。

 泣き崩れる刑部狸を見て、なにもかも察したように顔を歪めて、首を振りながら近づき、膝をついた。

「申し訳ありません。つらいことを思い出させて、ええ、ええ、私たちバケモノ、きっとこういうことだとは思っておりました。けど私は政さんを殺されたくなかった。

 過去のせいで今の人たちがとばっちりをこうむるなんていけないことでしょう」

 六角はたぶんこうなることを予想していたのだ。

 同じバケモノで、人に心を寄せているから。知っていても、政たちの味方でいてくれた。

 小さな声が聞こえてくる。

 いくつも、いくつも――視線を向ければ、地上にいる狸たちが鳴いている。

 こうなることがなんとなく彼らもわかっていたのだ。

 悲しむ刑部狸を見たくなくて、彼らは従っていた。

 ここにいる誰も悪いわけではない。

 ただ大切な相手を守ろうとして、こうなった。

 決定的にかけ違いのボタンがあって、それでこうなってしまったにすぎない。

「……刑部狸」

 政が声をかけると、泣き続ける刑部狸がおずおずと視線を向けてきた。

「一緒に食べましょう。ここにいる、みんなで、約束の相手ではありませんが、ちゃんと持ってきました。ね」

「……わしは」

「はい」

「悲しかった」

「はい」

「否定したかった。友を無くした現実を」

「はい」

「神と同じものと言われても所詮はこの程度、いいや神に等しいからできないことのほうが多いときた!」

「はい」

「自分の心を嘆くため、こんなことをしてしまった。なんらかかわりのないお前さまにも」

「いいです。許します」

 政は断言した。迷いもない返事に刑部狸は目をぱちぱちさせる。

「かわりに一緒に、みんなで食べましょう。それでチャラです。狸は化かすものなんでしょう?」

「……みんなで?」

「みんなでです」

 刑部狸がじっと政を見つめる。

「お前さまは、やっぱり似ておるな。あの人に」

 懐かしい思い出を紐解くように刑部狸は微笑んだ。

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