第11話目 まだ諦めないから

 呼ばれているのに政は目を開けた。

 ここは天国か地獄かと考えたが、自分は無教なのでどこにもいけないのかとぼんやりと考えた。

 ぼやけた視界に泣いている猫とさくらの顔が視界にはいった。

 焦っている三太の顔。

 あれと思って見ると、ふかふかの――毛に包まれていた。

 顔を上げると、大きな狸が自分のことを抱えて倒れている。

「六角さん?」

「ご無事でよかった」

 息も絶え絶えなのに六角は嬉しそうに告げたと思うと、とたんに意識を失くした。

 包まれていた毛の気配が一瞬で消えたのに見ると、狸にしては大きな生き物が足元に転がっている。

 これが六角の本当の姿なのだろう。

 慌てて政は両腕で抱えた。

 落ちた自分を六角が助けてくれたのか。

 視線を覚えて見上げると、屋根から刑部狸が自分たちを見下ろしている。

 冷たい、氷のような視線のなかに一瞬、縋るような光があった。気がした。

「政さん、政さん」

 猫が泣きながら足にしがみつき、さくらもおいおいと泣いている。

「作戦失敗だね。はやく逃げないと」 

 三太がひっぱってくるのに政はよろよろと動き出す。狸だらけのここに居続ければ危険だ。

 政たちは桜の花びらの散るなか、必死に逃げ出した。


 なんとか松山城から逃げ出した猫たちは、六角の経営している店にたどり着いた。

 そこで六角を寝かせて一息つく。

「結局、なんだったんでしょうね」

 猫は憂鬱な顔をして俯いている。しかし、その不安はみんな感じていることだ。

 これだと思ったものが違った。

 火に油をそそぐ結果となってしまい、刑部狸は本気で自分たちを殺すつもりだ。

 こうなればどうすることが一番正しいのかもわからない。

 さくらは泣きつかれて寝てしまい、三太は今松山城の対応に出ている人たちと話し合うと言い、行ってしまった。

 猫と政、それに眠る六角だけが残されている。

「……わたしが」

 ぽつりと猫が口にする。

「あれを呪い殺しましょうか」

「猫、それは」

「力が衰えたといっても、あなたが言えばわたしはいくらだって」

 猫は神の作り出した呪い。

 深い怒りと憎悪の塊だ。

 神にも等しいバケモノである刑部狸を相手にするなら同じ神の呪いであれば対等に戦うこともできるだろう。いや、本物の神の作り出した呪いのほうが勝るだろう。

 ひな祭りのときに見たが、あれはよくないものだ。

「それを使ったらあなたはどうなりますか」

「わかりません。けど、たぶん、呪いとして深まるんだと思います」

「深まる?」

「つまり時間をかけて薄めたものが濃くなるのかと」

 猫の言葉に政はすぐに決断した。

「だったらだめです。あなたは使えない」

「どうして!」

 猫が叫んだ。

「政さん、殺されちゃうんですよ」

「死ぬ気も、殺される気もないですし、あなたが呪いとして濃くなったら意味がないでしょうっ」

 思わず強く言い返すと猫が泣きそうな顔で睨んできた。

「意味がない? 意味なんて、意味なんてっ」

「だって、あなたの呪いを薄くするために、俺の祖先いや、……じいちゃんたちの苦労はどうなりますか!」

「っ」

 痛いところを突かれたように猫は黙りこくった。

 猫自身が本当はわかっているのだ。呪いが強くなると自分が自分でなくなってしまうことも。

 けれどそれでも政を守ろうと決断してくれた。

 いじらしいくらいに、優しくて、尽くしてくれる。

「もう一度、考えましょう。方法がないのか」

「けどぉ」

 小さな唸り声が聞こえたのに見れば六角が薄目を開けた。

「……お二人に負担はかけられません。私が、総大将を殺します」

「六角さんっ」

 ゆっくりと六角が起き上がると政を見た。優しく、強い瞳に政は身をかたくした。なにもかも覚悟した目だ。

「髑髏を貸してください。私の力の元、それがあれば今の耄碌した総大将を打ち倒すこともできます。政さん、持ってるんでしょう?」

「……それは」

 確かに預かった髑髏はズボンのポケットにしまっている。何かあったときのために肌に離さず持っていてほしいと言われたからだ。

「バケモノにはバケモノの通りがあります。あのまま総大将が狂ったまま、あなたたちに迷惑をかけるのを見過ごすわけにはいきやせん」

 六角の真剣な言葉に政は奥歯を強く噛みしめた。

 止めたいのに、止める言葉が出てこない。

 六角は静かに笑い、手を伸ばして、政のズボンのポケットから髑髏を取り出すと、それを大口を開けて、ぱくりと飲み込んだ。

 人の姿に戻った六角は嬉しそうに笑った。

「だから政さんたちは、ここで事が終わるのを待っていてくださいな。全部終わらせてきやすから」

「六角さん、しかし」

「言ったでしょう。バケモノはこうと決めた人のために命だって捨てられるんですよ」

 止める言葉を探して、見つけられない政は途方にくれて六角を見つめる。

 決意してしまった生き物を止めるのは難しい。

 命だって賭けた決意をするならなおのこと。

 六角が去ったあと政は拳を握りしめて床を叩いた。

 止めたいのに止められない、自分に腹が立つ。

 母から距離をおいて、父に疎まれて、妻に逃げられたときだって仕方ない、こんな自分だからと諦めた。

 けど、今は

「諦めたくない、俺は諦めたくないですっ」

 心のままに声をあげていた。

 こんな自分だからと卑下して物分かりの言い顔をして、全部諦めてしまったらとても楽なことを知っている。

 大人であれば諦めることも大切だ。それを政のなかの何かがそれを否定する。またそうして自分のことを大切にしてくれた人を傷つけ、失うことを、もういやだと思う自分がいる。

「だから猫」

「は、はい」

「作ってください。料理を、あなたの知識と腕が必要です」

「まさか、また食べさせるつもりなんですか」

 猫が驚いた顔で政に聞いてくる。

「はい。作ったものは間違えたなら、もう一度作ればいいんです。食べてもらって思い出してもらえれば」

「けど、あの、あの狸さん、怒ってて、まずいって口にしていたから」

 自分の作った料理を否定される辛さは、。料理を作ったことのない政にはわからないものだ。けどあきらかに落ち込んでいる猫の顔からは自信のなさがうかがわせる。

「辛いことを頼んでいるのはわかってます。けど俺はあなたの作ったものが好きです、うまいと思ってます。あなた以上にうまい人はいないと思ってます」

 本心だった。

 味がある、というだけではない。いくつか食べ歩きをしたが、政は最終的にはいつも猫の作ったものが食べたいと思ってしまう。

 それは、きっと猫の作ったものが心底おいしいからだ。

「え、え、え」

 猫が尻尾をぴーんとたてておろおろしている。

「俺の一番はあなたです」

「ふにゃあ」

 猫が叫んだ。

「そんなこと、う、うう、い、いいですよぉ作ります、作りますぅ」

 照れているらしい。

 なんだか自分も恥ずかしいことを口にしたような気はするが政はそれを脇に置いとくことにした。今照れたり、恥ずかしがってる暇はない。

「それで、実は見たものがあるんですが」

「見たものですか?」

「はい。実は」

 松山城から落とされたときのことを政は語ると猫は険しい顔で聞いてくれた。

「それは、たぶん、触れたんじゃないでしょうか? ええっと、つまり、政さんは共感性の強い人なんです。だからああいうものに触れられると、読んでしまうんです」

「俺がですか?」

 人の心がわらないと言われた自分が共感性が強いとは驚きだ。

「政さん、自分で自覚してないですけど、わりとみんなのこと考えてるでしょう。その人の辛さとか痛みとか……そういうのいちいち共感していたら心がもたないから、政さんは本能的に鈍感になったんじゃないんでしょうか」

 政は思わず眉間に皺を寄せて猫の説明を聞いていた。

「えっと、だから、すごく感じやすいけど、心身がんなことねーよって騙してるみたいな?」

 なんだ、それ。

 なんとなく納得できないし、本当かとつっこみたいが、もしそうなら自分が見たのは刑部狸の過去になる。

 心からの喜びと戸惑いのなかで見つけた、青空と美しい色とりどりの花を眼下に見下ろして。

「色とりどりの花?」

 政は眉を寄せた。

「それだと桜の季節じゃないのか」

「うーん、政さんがいう花の色って白、ピンクとか、赤色なんですよね?」

「はい。なんとなく大きな花の色で、蜜が甘くて」

「そりゃ、つつじじゃねーの」

 乱暴な声が割ってはいってきたのに見ると、さくらだ。

 目を真っ赤にしてぐすぐすと鼻をすすっている。

「六角の旦那が出ていく気配がして起きたんだ。政さんが言ってるの、それってつつじだろう。それ、この土地だっけ。すごくよく咲いてるだろう」

「つつじ?」

「しらねーの。待ってろよ」

 さくらがそういうと出ていったと思うと、ものの一分で戻ってきた。

 その手にあるのは目に痛いほどの大きな赤い花弁だ。

 あ、と政は声を漏らした。

 松山なら道のあちこちに自生して咲き誇っている花だ。桜よりも下手するとよく見るかもしれない。

「これ、蜜があめーんだぜ」

 さくらが口にくわえてみせる。

「それだ!」

「つつじは確か春に咲く花ですよ」

 と猫が勢いこむ。

 だったら刑部狸の止めてしまった時間は――季節は春で間違いない。

 いくつものつつじの花のなかで

「暑いときに食べたいものってなんですか」

「暑い? えーと、かき氷?」

「冷たいものだからそうめん?」

 惜しいような惜しくないような提案に政は腕組みをして唸った。溶けるものや両手を使うものではなった気がする。

 朧げだが、確かにそれは

「ただいまーー」

 ばーんと音とともに三太の声が響いた。

「はぁー、走り回ってつかれたー。汗かいたー。ちょっと、おなかもへったー。ねこちゃーん」

 どすどすとあがってきた三太がやってくると、手団扇して見つめてきた。

「ごはーん」

「あ、はいはい。んー、おなかへって、暑いなら、しょうゆ飯にしましょうか。汗かいたら塩分いりますから」

 どっこいしょと猫が立ち上がろうとしたのに、政は硬直した。

「は」

「え、なんですか、政さん、ちょっと三太くんのためにも台所に立つぐらいの余裕は」

「違います、今何言いました」

「しょうゆ飯」

「そのあとっ」

「汗かいたら塩分がいりますから……あっ」

 政と猫は見つめあい

「これだっ!」

 え、なに。どうしたのと三太が困惑するなか政と猫は台所に走った。

 他人様の家の台所だが、遠慮している暇なんてない。政と猫は手分けして台所を漁り、必要なものを取り出した。

 六角にはあとには謝罪しよう。

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