第6話 狸による狸の戦がはじまった
「戦争をね、はじめるおつもりなんですよ。総大将は」
居間に通された六角は煙管を取り出すと、火をつけた。
いつもは眩暈がするほどの色男である六角は憂いを帯びた顔をする。
くらっと政は意識が飛びそうになった。
「怨敵を討つと息巻いておいでです。いくら言っても譲りません」
「・・・・・・調べましたが、確か、刑部狸を策で罠にはめた相手ですよね?」
「実際どうかは知りませんが、過去に総大将は、その男と因縁があります。そして、その男が亡きあと、荒れ狂い、見かねた山本五郎左衛門様が諫め、しばらくの間は久万山で隠居をし、のちにまた松山城に戻ってこられたんです。その頃にはあのようになりまして、ずっとあの男のことを探しておいでです」
「詳しい経緯は知らないのですか」
「生憎と」
六角は苦笑いした。
「当時のことを知るのは当の本人と、山本五郎左衛門様ぐらいでしょう」
「その、山本というのは誰なんですか」
政はおずおずと聞いた。ネットで調べたときちらりと名前が出てきたが気がする。
「妖怪の長の一人をしている方です。ただこの方は、いろんなところに出歩いておられ、一つのところにおられず、今はどこでなにをしているかもわからず」
「つまり、話を聞くのは難しいってことですね」
「なので、山本様のお力でまた諫めていただくこともできるかもしれませんが」
「それをした場合、大丈夫なんですか」
「・・・・・・まぁ、ちょっと街の一つ二つは吹っ飛ぶでしょうね」
「それはちょっとではないです」
もし助けをもとめた場合、松山が妖怪大戦争のせいでえらいことになることを想像した政は沈痛な顔をした。
「とにかく、ボケジジイを正気に戻す必要が在ることはわかりました。出来るだけ穏便に・・・・・・そもそも、一度落ち着いたのに、どうして」
「何かきっかけがあったんでしょう」
「きっかけ、ですか」
「そうです。総大将の記憶が政さんによって刺激された。たぶん、ですが、政さんは、その男に似ておられるんでしょうね。顔が似ているから総大将ははじめ政さんに対して挨拶をしかけてこられた」
「挨拶、ですか」
「あの出会い頭の一撃は総大将にとっては挨拶みたいなもんです」
とんだ挨拶もあったものだ。
だが、そのあと落ち着いて膝のうえに寝てきた。
あのとき、自分はなにをしただろう。
撫でて、鼻をつついたが、それで怒らせた、もとい勘違いをさせてしまったのだろうか。
なにが引き金になったのか。真剣に昨日の行動を思いだそうとするが、いろいろとありすぎて頭がパンクして、ちっとも思い浮かばない。
ただ
とても嬉しそうな瞳と声をしていた。
あれは本当に憎い敵に対するものだろうか。
ひっかかることはいくつかあるが、具体的にどうとは言えない。
自分のなにがあのおそろしくも、おぞましい狸の過去を刺激してしまったのか。
「とにかく、政さんを狙って、愛媛にいる狸は動き出します。まだみな、総大将の意見に戸惑っていますが、一部は既に動き出してはいます」
「命を狙われる?」
政の言葉に六角は重々しく頷いた。
「狸と侮っちゃ行けません。やると決めれば結束がかたいんですからね」
昨日のアレを見た限り、油断していたら確実に殺されるのは自覚している。
だが
「六角さんも敵になるんですか」
「ばかおっしゃい、どうして私が政さんと敵対しなくちゃいけないんですか」
苦虫を噛み潰した顔で六角は言い返す。
「たとえ総大将といえ、一狸の恩や気持ちをねじ曲げて命令はできませんよ。安心なさい、私は政さんを守りますよ。私の配下の総上、本陣もです。一部のやつらは私が睨んでおけば動きません」
政は複雑な顔をする。
「大丈夫なんですか、そんなことをしたらあなたも」
「裏切り者と目をつけられるでしょうな。けど、先も言いましたが私は政さんを気に入っております。私の髑髏を渡す程度にゃあ」
えっ! と声がしたのに見るとのけぞるように三太とさくらが驚いた顔をしている。
今、なにかものすごく重要なことを口にされた気がしたが、それを聞く雰囲気ではないので政は我慢した。
「問題は総大将を止める方法です。私がいくら言っても応じないでしょう。なんとしても現実に引き戻さないと」
「現実にですか」
「そうです。今、あの方は政さんを通して過去を夢見てる。正確にはあの方が止めてしまった時間、その歪んだ時間のまま現実を動かしちまってる。なんとしてもそれが夢だと自覚させ、正気に戻さないといけない。ただそれは言葉ではあまりにも弱すぎる」
「俺が違うといっても聞きませんでしたしね」
昨日の夜のことを思えば、政が別人だと理解させるのはかなり難しいことのように思えた。
そこで全員が腕組みをして唸り始めた。
言葉が通じない相手に言葉で訴えたところで無理だ。
「過去に暴れたときどうしたんですか?」
「総大将をぶん殴って閉じ込めたと聞きました」
力業過ぎる。
そんなことが政に可能かと言えば絶対無理だ。
いや、もし仮に出来たところで、殴って閉じ込めたところで本人が現実を受け止めなければ今回のようなことはまた起こる可能性がある。
ちゃんと今の現実を受け止めてもらう必要がある。
これに似たことを自分はつい最近遭遇した気がする。
ひな人形。
自分の使命を果たそうとして邪魔されて、怒りに我をなくしたが、ひなあられをぶつけたとき、確かに一瞬、現実を取り戻した。
「・・・・・・食べ物」
ぽつりと政は呟き、全員が驚いたように注目する。
「えっと、ひな人形のときのようなことはできないかと思うんですが、どうでしょうか」
事情がわからずきょとんとしている六角含めて全員に向けて、自分の考えを出来るだけ順序だてて説明した。
今まで社会人として生活していたので、こうやってわかりやすく説明するのは得意だ。
今回はひな人形のときの実例もあるので、それもたとえに出す。
刑部狸に食べ物を与えて、一瞬でも正気に戻す。
「食べ物で正気を・・・・・・うむ」
六角は渋い顔だが三太は乗り気だ。
「いい考えだと思うよ。五感って生き物の記憶で一番強いものだから、それを元にいろいろと思い出してくれそうだよね」
「問題は食べさせられるかということじゃないですか」
六角の心配はそこらしい。
確かに。
いくら作っても食べさせられなければ意味がない。
「まぁ、私が食べさせることはできるかと思います。制する言葉はお聞きされませんが、ちょっとした雑談くらいは聞くでしょう」
六角の申し出に少しばかりの光が見えた気がしたが、続く言葉にはまたしても暗闇に放り込まれたような不安に陥った。
「そもそも、総大将の記憶を刺激する食べ物ってなんなんでしようかね」
顎を撫でながら思案する六角に政たちは黙りこくった。
文献をネットで探っても、具体的なことは特に書いていなかった。むしろ、有名であるためにいろいろな説がありすぎて混乱するくらいだ。
「兎に角、江戸時代のことなら、それ以前の食べ物は除外できるかとは思います」
「今時の食べ物ってこと?」
三太が聞いてきたのに政は頷いた。
問題の人物が生きていた時代は大まかでもわかっている。その時代に即した食べ物となればある程度は限定される。
しかし、いちいち調べて当日のレシピを探すとなるとまた難解だ。
時代に合わせて食事の形態も今とは異なるなどと――考えただけで頭が痛い。
「江戸時代の食べ物でしたらある程度はわかりますが」
おずおずと猫が視線を向けてきた。
政は猫に目を向けて、目をぱちぱちさせた。
「わかるんですか」
「え、ええ。少しだけというか松山のものならある程度は、だって、その頃からわたし、いましたから」
呪いである猫は、犬山家とともにあった。
「銀次郎さんもそうですが、当主の人はみんなわたしによくしてくれたんですよ。だからわたし、ある程度はわかります。ずっと見ていたので」
猫がはにかむのに政は拳を握りしめた。
自分のことを身売りした祖先のことは正直許せないが、今だけ一ミリくらいは感謝してもいい気がした。
「あとは、その騒動が起こった時期を特定して、食べてたものをあげていけば」
と政が口にしていると視線を感じた。
猫、六角、三太、さくらがじっと見つめてきている。
「な、なんですか」
「いや、政さんは頭がいいのだなぁと」
「本当です。わたしの旦那様はすごいですね」
「うん。政さん、めっちゃくちゃ頼りになる」
「すげーじゃん」
口々に褒められて政は動きを止めた。
こんな手放しで褒められたのははじめてかもしれない。むしろ、今まで疎まれることは多かった。
嘘をつけないということでコミュニケーションに難があるが、人よりも頭の回転は多少早いため、いくつものタクスをこなせる政は優秀だった。
そのせいで自分と同じ仕事のできない相手のことが理解できず、厳しい態度もとってし、嫌われることはあった。あいにくと嫌われていることを感じないほど鈍感ではなかった。
少しだけ嬉しいような、恥ずかしい気分になる。
「と、とにかく俺はネットで調べものをしてきます。当時について調べられる範囲で調べてみます。三太くんは」
「俺は機械系はだめだら図書館で江戸時代でしょ。そのへんの食べ物について調べてみるよ」
「私は総大将のご様子を見てこちらに顔を出しましょう」
やることが決まれば早々に動き出す男衆にたいして出遅れたと思ったらしいさくらがきょろきょろとどうしようかと落ち着かない。その横の猫がすくっと立ち上がる。
「わたしは」
「お、おう」
「そうじをします」
「え」
期待に満ちたさくらが唖然とする。
「さくらちゃんも手伝ってください」
「掃除って、今するのかよ!」
「ですよー。だってわたしのできることなんてそれくらいですもん。だったら出来ることをまずしなくちゃ。お家をきれにいにして、あ、そのあとごはんを作りましょう」
「アンタは~~」
猫がにこにこと笑い、さくらの手をとって家の奥に向かうのに政はその背を見てほっと安堵した自分がいた。
「よい方ですね」
六角が微笑んできたのに政も笑って頷いた。
「ええ、とても出来た人です」
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