第8話 春野菜とバケモノ
結局家に戻ったときは夜の帳が落ち始めた時刻となった。
いっぱい食べたと思ったが不思議なことに、玄関をくぐるとぐぅとおなかがなった。
「お夕飯いっぱいつくりますね」
三太もしれっと手伝うと口にして夕飯をかたる気満々だ。
政はその間に、家の奥にある寝室にしてある部屋でパソコンに向い、仕事のメールを確認しておく。
マウスを動かしながらたぬきの言葉がどうしても頭をよぎる。
迷うと、作業がおぼつかなくなり、メールの内容もまるで頭にはいらない。
「できましたよー」
明るい声が現実に引き戻してくる。
居間に行くと、テーブルいっぱいに緑と茶色が並んでいる。
あつあつのごはんも緑と黄色だ。
ごはんに菜の花をまぶし、さらに塩昆布と卵を合わせたそれは春らしい混ぜご飯。味噌汁は豆腐。つくしはお浸し、ふきは煮込んで透明色になるまで鶏肉と煮込み。
「明日はウドをきんぴらにして、あとわらびは肉巻きにしましょう」
つらつらとよくレシピがあがるもんだと政は感心しながら味噌汁をすすり、つくしを口に運んで動きを止めた。
「っ、っ」
「政さん、どうしたの」
「政さん? 大丈夫ですか?」
「……苦いっ……!」
思わず漏れた声とともに、ぐっと力をいれて飲み込む。
「あーー、苦手?」
「あらまぁ」
「……好んで食べる味ではないかと」
そういうと猫がすくっと立ち上がった。
あ
政は思わず身構える。
両親のときはとても気まずい沈黙とともに料理はさげられ、父はひどく冷たい目で自分のことを見ていた。
妻は、食べることを拒絶する政のお皿を黙って下げた。
それらはひどく辛い光景だった。何が辛いと具体的に言えないけれど、思い出すたびに胃が縮む。
「たべ」
「卵とじにしましょう! 甘くするのでまっててくださいっ」
猫がそういうとキッチンに戻っていった。
え、なにと困惑していると三太があははと笑いながら
「政さん、苦いの苦手なんだね。よかったじゃん、好みがなんとなくだけど出来始めて」
「好み、ですか」
「そうだよ。松山ってわりと砂糖使って甘いの多いから、相性いいよね」
「はぁ」
五分もたたずにこうばしい香りとともに戻ってきた猫が差し出したのは卵のなかにあるつくしだ。
先ほどの苦味を思うと躊躇うが、どうぞ、と差し出されると食べないわけにはいかない。
すくって、ひとくち。
甘い。苦味が消えてとても甘くてほろりとしている。砂糖と卵の甘さだ。
「っ、これは、うまい」
「よかった。政さん、甘いの好きなんですね」
「好き、ですか」
「はい」
猫が嬉しそうに笑うのに政はますます困惑した。
今まで食べ物で好き嫌いというものは考えていなかった。
それを笑って許してくれたり、こうしましょうとすぐに味を変えてくれるのも。
箸が進み、つくしは全部食べることができた。
「政さん、どこかいくんですか」
「ちょっと」
片付けをはじめた猫が手をとめ、政が玄関に向かうのにじっと見つめてくる。ちゃっかり夕飯を食べた三太は居間でごろごろしはじめて今日は泊まる段取りをつけはじめている。
「いってらっしゃい~」
当たり前みたいに見送ってくるのに政は振り返り、笑うことができた。
「はい」
「あ、政さん、俺、アイスっ」
「それは自分で買ってください」
三太の図々しさに政は言い返して、車を走らせた。
「おや、猫の坊ちゃん」
六角が微笑むのに政は背筋をのばした。
「どうしてここが?」
「店の方にお尋ねしました」
蕎麦屋に行くと、店番をしていたたぬき夫婦が、六角はまだお堀の近くにある飲み屋おそでにいると教えてくれ、丁寧な地図も添えてくれたので政はそちらに向かった。
お堀というのは、愛媛美術館の周辺のことだ。美術館まわりに掘りがあり、水をためこんでいるのだ。堀の内側は広い共有スペースでイベントに使われることもあるし、休みの日は外で遊ぶ子供たち、ウォーキングする人などがいる。
周囲には市役所といった街の中枢部が置かれ、飲み屋も多い。
東京ではもう少し夜は明るいが、松山はほんのりと控えめだ。
仄暗い夜の道にぼんやりとあかりを灯す店の前に来ると、ちょうど六角が顔を出したのだ。
タイミングが良かった。
「あら、六さん、この方が」
後ろから顔を出したのは目を見張るほどの美人だ。
白い肌にぱっちりとした愛嬌のある瞳、長い黒髪はウエーブがかかり、妖艶な色気が漂う美女に政は驚いた。着物を洋風ドレスにアレンジしたものを身に着け、洒落のなかに和がある。
「お袖ちゃん、これがいっていた猫の旦那さんだよ」
「まぁ。これは、これは」
お袖と呼ばれた美人は頭をさげてくる。
「あなたも狸ですか」
「そうですよ。ふふ」
いたずらっ子みたいにお袖が笑う。店のなかからママー、六さんばっかりひいきしすぎーと客らしい男たちの声がする。
「店のなかで話を」
「酔いさましに歩くから。お客さん待たせたらアカンで、お袖ちゃん」
「そぉ? 今度ご接待させてくださいね」
お袖が微笑んでウィンクを飛ばしてきた。愛嬌というか男の扱いを心得た魔性の女のオーラを感じる。正直苦手なタイプなので政は視線を逸らした。
「ささ、いきましょうか。旦那」
「あ、はい」
「車はどこに?」
「蕎麦屋の店の近くのパーキングに」
「んじゃあ、そこまで歩きましょうか」
六角は一人で決めてさっさと歩き出す。
「それまではどんな話でも聞きますよ」
それは、そこまでしか話を聞かないということか。
親切なんだか不親切なんだかよくわからない。
「あの狸が助けてほしいというひな人形に会ってきました。助けてはいただけないんですか」
「アンタも人がいいねぇ」
六角は懐から煙管を取り出し、一度政に視線を投げよ寄越す。一瞬意味がわからなかった政だが、すぐにああと頷いた。吸うとき断りいれてくる律儀さに笑ってしまった。
「歩きたばこは犯罪です。俺は気にしませんが」
「たぬきですから、人の法は知りませんね」
六角は煙管を、とてもうまそうに吸う。
「ほっておけばいいんです。ありゃはぐれですからね。助ける義理はなし。なにも薄情でいってるわけじゃありません。ただねぇ、なんら縁がないものを救うほどに暇ってわけでもない」
「そのはぐれってなんですか」
「たまにいるんですよ。先祖返りみたいなもんで、普通の狸の両親を持つのにしゃべったり、妖力を持つもんのことです。狸やいたち、猫に狐、昔はわりとごろごろいましたけど、今はだいぶ減りましたが、希にある。そういのうはどうも妖力が桁外れに強いことが多い。だから危ない」
六角が白い煙を宙に吐き出す。
「そもそも他とは違うから、仲間たちから締め出される。集団ちゅうもんは異物を嫌います。特に野生の獣は……ゆえに妖力を持っている奴なんかを集団で無視したり、群れから追放するんですよ」
「そんなことしたら」
「ええ、生きれません。だから大概子供のころに死にます」
あっさりと六角は言い切る。無常ともいえる声に、冷ややかな瞳を見たとき、政はこれは自分とは違うのだとはっきりと感じた。
政は、普通とは違う。味覚がなく、嘘をつくことが出来なくて場を白けさせる。そのうえ食べ物に対して忌避しがちで人の輪に入れない。
それでも人間であったから両親は育てくれたし、会社にも勤めて働いくことが出来ている。
そういうものが動物にはないのだ。
「運がよければ、私たちが見つけてすくいあげることもあるし、近くの神さんとかが保護することもある。自力で生きながらえることもある。あれはたぶん自力でなんとか生きてきたクチでしょうよ。この土地は狸には寛容な土地ですから……ある程度分別がつけば、その土地の顔役のところにいって、それの傘下にはいればええ。けど、あれはそれをしてないようですね」
「傘下というのは保護といった仲間になるということですか」
「狸にもそれぞれ立場からの対立がある、人の社会と折り合いをつけて生きていくちゅうややこしいことがあります。狸はのんびりしてるんで、狐たちよりはまぁ族での対立はそこまで目立ちませんが、ある程度大人になったらどこぞの顔役の保護にはいらんと、そいつは一匹で生きることになります。あれがしゃべれて知恵もあるけど、化けられんのはそういうことです。教えるもんがおらんから化けられへん」
「あなたは」
「傘下にすることは問題ありませんが、それは私から言うことはできません」
政が何か言う前に六角が遮った。
「これはあくまで本人が決めるもんですね。私たちバケモノは生まれも、生きる方法も自由ですさかいね、それを害することはできません」
「そう、ですか。理解できるところもありますが、わからないところもあります」
政は素直に言い返したあと、頭をさげた。
「ただ不躾なこと言いました」
「……ぷ」
いきなり吹きだして、たかだかに六角が笑うので政は驚いて顔をあげた。
「面白い御仁ですな。狸に頭をさげるとは! いやはや、それもこちらの道理を理解しようとなさるとは。ほんに、よい方や。久しぶりですわ、そういう方に出会えたんわ。アンタは、いい憑き物筋になれますよ」
「そう、でしょうか」
「憑き物筋は、基本は、自分ともう一個の別のもんを許して生きるもんですから、あんたはそういうのがちゃんとしてるようですな」
六角が微笑むのに政は本当にそうだろうかと反論したくなった。
自分は他者と生きることがまるで出来ていない。両親に愛想をつかされているし、妻にも逃げられた男だ。
思い出すたびにちくちくと、胸の、深くが痛む。
「いっぺんだけですが、アンタの頼み、無償でお引き受けしましょう」
「え」
「ここまで、あれを連れてきてくださったこと、アンタのお人柄、良いと思いました。これを詫び品として受け取ってくださいますかね? 約束しましょう。助けると……ああ、私たち、バケモノの約束は命と同じくらい重く、口約束でも交わせばそれをたがえることはできません。己の魂を傷つけるものです」
にこりと笑う六角に、そんなに容易く、言ってもいいのかと政は戸惑った。
「私が悪いやつで、あなたを利用しようとか思わないんですか」
「悪いやつは、そもそもそんなこと言いません。アンタはほんまにいい人やね。今時珍しい御仁や、さぞかし、ご両親はアンタを大切にしたんでしょうとて」
「そんなことは」
ない。はずだ。
政は口ごもり俯いた。
「……こちらをお預けします。必要であればお出しなさいな」
差し出されたそれは髑髏だ。
「っ! 本物ですか」
「あい。といっても、こりゃ人でなくて、狸ですがねぇ。これは私の妖力の欠片の一つですよ」
「妖力の欠片、ですか」
「ええ。どんな強いバケモノ、妖怪といったもんも、みぃんな、妖力を溜め込むための器、つまりは、こういう道具がある。それが奪われたり、なにかされると力がなくなってしまうんですよ」
「それはとても大切なものでは?」
「ええ、命と変わりないくらいには」
「そんなものを俺に」
「アンタやから預けるんですよ」
六角は微笑んだ。
「知らん狸のためにわざわざこうして苦労をしてくれる。アンタは本当に、それはそれは真っすぐな人のようですからね。騙されても、まあ、ええですよ」
そんな風に言われたのははじめてだ。
こんな大切なものを差し出されたのも。
きっとただの人として生きていたら、こんなふうに命と同じくらい重いものを差し出されるなんてこと早々ないはずだ。
六角はなんの迷いもない。
だから政も自分なりに誠実さを示さなくてはいけないと思えたから、つるっと心の内を吐き出した。
「俺は、あなたのその信頼に応えられる人間ではありません。だって俺は……両親に愛想を尽かされて、妻にも逃げられた男ですから」
絞り出すように口にした言葉に、六角は手を伸ばして政の手に髑髏を置いた。
「そんな自分を傷つけることを口にして誠意を見せられるアンタは本当にいい子に育ったんでしょうとも」
「だから俺は」
反論を六角の優しい微笑みが封じた。
長く生きているバケモノだけはある。説得力も存在感も違う。政は黙って手のなかの髑髏を見た。それはほんのりとあたたかく、手のなかで一度輝くと小さな玉となった。透明でつやつやしているそれは手によくなじんだ。
「アンタはとても大切に育てられたと思いますよ。アンタがそれに気が付いてないだけですよて」
「そう、でしようか」
「言葉で説明するのは簡単ですが、それはアンタが気が付いたほうがいいことですよ。少し考えてみるといい。あと、あんまり責任と思わなくてええですわ。私の妖力は分散してますから、これは一つで、もう一つあります。とられて困るということはありません。そう思ったら、少しは気が楽ですか?」
「ええ、そうですね」
どこまでも人を見て、言葉を選ぶ。
たぬきとは思えないほどの配慮だ。まったく一枚も二枚も上手だ。
「これは預かります」
「いつどのようにして使うかはよぉく考えなさいな。さ、車のところにきました。きぃつけて帰りなさいな」
六角が牙を出して笑った。そのときだけは確かにこいつはたぬきだと思わせた。
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