第9話 やっぱりね、助けよう

「ただいま帰りました」

 玄関をくぐると、とたとたと軽やかな足取りが近づいてきた猫が両手にお皿をもって差し出してくる。

「政さん、みてください。あられをつくりましたよー」

「? なんですか、そのちっちゃいの」

「ひなあられです」

「よく売ってるのは見ますが作れるんですか」

「お米をちょっと水を少な目で炊いて、あげたらあらふしぎ、ひなあられです」

 なんでも作るもんだ。それも簡単に。

「白は砂糖で、ピンクは食紅、緑は抹茶です。なんだか作りたくなっちゃって」

 つまんで一つ、さくりと味わう。

 特にこれといって味らしい味がないが、これは触感を楽しむものなのだろう。そして、色鮮やかさを。

 舌の上で溶けていく甘さを味わうと胸の奥がほっこりとあたたかくなる。

 これは誰かの幸せを願って作られたものだ。

「……やっぱり納得できないので、狸の手伝いをしたいのですが、いいですか」

 自分でも支離破裂の自覚はあるので文句を言われたり、いやがられるのではないかと思ったが

「わかりました。行きましょう。泥棒がいたら私が猫パンチしちゃいますよ」

「なにー? はいはい、行くんだー? いいよー。運転はよろしくね」

「二人ともいいんですか」

 驚く政に三太と猫は顔を見合わせたと、やれやれとため息をついた。

「この期に及んで拒否されると思ってたの政さんって、強引なのか謙虚なのかわからないよねー。まぁ、縁は出来たし、気になるなら関わろうよ。とことんまで、俺は付き合うよ?」

 三太はにっと笑った。

「そのためにここにいたし」

 図々しいだけかと思ったが、それだけではなかったのか。少し見直そう。

「妻は夫のいくところについていくものですから! ひなあられ、持っていきましょう。たぬきさんにもあげましょう。そのために作ったので!」

「まだお試しで結婚もしてません」

「にゃーん」

 猫が悲鳴をあげる。いつも、いつも彼女は元気だ。



 昼間にかかった時間よりもずっと早く目的の駐車場にこれた気がした。

 あたりは薄暗く、星がきれいだというだけはあって無駄な光がない。

 静寂に虫たちの息をする音だけが響く。

 なにもない。

 それがこの土地の良さなのだが、何か起こっても事件として発覚するのは時間がかかりそうだ。

 きゃいんと声がしてぎくりとした。

 三太と顔を合わせて駆け寄っていくと、路地に二人の男と必死にとびかかる黒い毛玉――たぬきだ。

 蹴られても、必死に立ち上がって男たちの足にしがみついている。

 必死に、無力でも守ろうとするさまに政は拳を握りしめた。

「っ!」

 政が駆け寄っていくと、やべぇと声とともに、急げと叫んで男の一人が声をあげてデスプレイに乱暴に何かを――石だ。

 がしゃんと硝子が割れて、そのなかに鎮座しているひな人形をひっつかむ。

「させないよ」

 政の背後で、冷ややかな声がした。

 いつも聞いている三太のものなのに、温度が確かに一、二度下がっている――別人のようだ。

 と、ひな人形を持っている男がひぃと声をあげてその場に崩れた。

 なんだ、と思うと

「目が、目が見えないっ。なんだ、暗い、暗いぞ」

 困惑した男の声に

「呪いだよ」

 嘲笑う三太の声に政は思わず振り返ることができなかった。

 一瞬動きが遅れた政にたいしてたぬきは急いでひな人形をくわえて逃げようとした。それにもう一人いた男は混乱したまま

「てめぇ」

 たぬきを乱暴に蹴った。

 宙に飛び、ひな人形が舞う。

「ああっ!」

 猫の震えた声とともにひな人形が落ちる。

 地面に落ちたひな人形は動かない。ただの人形に動けるはずがない。だから見ているしかない。自分のために傷つく狸が、必死になってくれる小さな獣がぼろぼろになってしまうさまを。

『たぬきさん』

 震える声がひな人形から零れた。

『私の、私を守ろうとして……!』

 かた。

 かたかたかた。

 かたかたかたかたかた。

 人形の体が震え、黒い何かを纏う。

『私の役目を、大切な人を傷つけて、許さない、私の役目は……許さない、許さない、おまえたち人間なんてっ』

 地の底から響くような声に政は本能的に恐怖を覚え、すくみ上った。

「政さん、やばい、荒ぶってるっ」

 三太が後ろから首根っこを掴まれて地面に尻餅をついた政は見た。

 ひな人形の纏う黒い影が――それは昏く、夜よりずっと濃い。暗く、ぬっと手となって伸びて、男たちの顔を掴んだ。

 瞬いた刹那、横倒しになった男たちが気絶する。

 なにが起こったと疑問に思うこともできない。

 圧倒的な力だ。

 これはよくないものだと見ただけでわかる。

 人が大切にしたものには魂が宿り、神となるのが付喪神。

 人が生み出したものでも、それは神だ。

 神が祟る。

 政ははじめて、それを目のあたりにした。

 すさまじい殺意だ。触れたら切れる、冬の朝のような鋭さに、夏のようなじっとりとした汗をかくうっとおしい湿気。梅雨の長く降り続いた雨によって、どろとした地面の泥が液体化したような、四季のなかにある人が嫌うものが集められて形となったもの。

「だめ、だめーー、姫っ」

 倒れていたたぬきが必死に声をあげる。

「人を呪ったら……っ、祟り神になったらあの子の幸せを祈れなくなってまう」

 必死の声にも返事はなく、ただ、地を這う醜悪な雄たけびが聞こえてくる。

 このままではいけない。

 政は咄嗟に両腕を伸ばして、泥棒に近づこうとするひな人形の注意を逸らすべく、とにかく手に持っていたものを投げた。

 ぱら、ぱらぱらと夜に零れた小さな星――猫が作ってくれたひなあられ。

 たぬきにあげようと包んだ紙から零れ落ちる。

 ひな人形は確かに動きを止め、黒い手が、届かない夜空のかけらを掴むように取り込んだ。

『あ、あああ』

 祈るような声で

『ひなあられ』

 確かに口にした。

 政はその隙を逃さず、駆け寄っていた。

 どろりとした泥が這いずってくるのに全身が怖気が襲われた。

「政さんっ!」

 猫の悲鳴とほぼ同時に自分の身を包む、黒いものがひな人形を押し返すのが見えた。

 それは黒い獣の毛だ。

 形としてはうまく言えないが、鋭い爪を持つ獣の毛が自分を守っている。見ると、猫が両手で顔を覆い、肩で息をしている。

 彼女の全身から黒い靄が出ている。ああ、この恐ろしくも、自分を守っているのは猫の――呪いだ。

「呪いが呪いを制してるんだ……こわっ」

 震える三太の呟きに理解した。

 自分についているのはこういうものなんだ、と。

 誰かを呪った気持ち

 獣のような執着心

 誰にも与えず、奪わせない

 その強い独占欲のおかげで自分はひな人形の呪いを退けて生きていれているのだとも理解した。

 だったら、それを使わない手はない。

「猫、俺は無事ですっ。だからもう少し、このままを維持できますか」

 むくっと猫が顔をあげた。

「なにいってるんですかー! 私の大事な政さんが呪いに食われちゃうのに冷静でいられますかー! これ意図的にしてるわけじゃないですもんっ」

 猫が悲鳴に近い声で叫んだ。それはそうだ。しかし呪いを出しているわりには自我を保っているし、叫べれる程度には元気らしい。

 大丈夫だろうと政は腹をくくった。

「政さん、どうするつもり、それ」

「なんとかしたいですか」

「なんとかってどうするんだよ。狸の声も聞こえないくらい怒り狂った神なんて、どうやって鎮めるの」

 いま政たちの空中では怒れる神と呪いの世紀末じみた攻防戦が繰り広げられている。一分の猶予だってない。

「そうですよー! 私もこれ疲れるんですけどー! もうやだー!」

「妻でしょう。夫のためにがんばりなさい」

「あわーーん、こういうときばっかり妻っていうーー。がんばりますけどーー」

「がんばってください。猫! 狸は何か知らないんですか」

「おいら、野生の狸やぞ。知るかいなーー! どうせいいうんやーー! 姫、おちついてーー!」

「確かに野生の獣に助けを求めることが馬鹿でした」

「おまえなーーたぬきなめんなよーー」

「まぁまぁ落ち着けよ。狸。うーん、暴れた神様とかは神主とか、その手の人が奉ったり、手順踏んで鎮めるらしいけど、そんな方法は俺知らないしなぁ。今から呼ぶにしても時間かかるし」

「鎮める、手順……それです!」

「え、なにが、って政さん、なにするの?」

 三太の言葉に政はイチかバチかの賭けでズボンからスマホを取り出した。

 全員が注目するなか、ひな人形で検索をかける。

 ヒット。

 記事をスクロールして政は口に出して読み上げた。

「ひな人形は、もともとは、ヒトガタと呼ばれ、人の災いを受けるための依り代。本来は水に流すものだったと、つまりは水に流せばいいんですね。汚いものは水に流すということですね!」

「うっわー。まさか、ここでスマホ検索で浄化方法探す人がいるとか目から鱗なんだけど、あと汚いものってひどくない? 神様の穢れとか怒りとかをなんだと」

「汚いものです」

 三太が呆れるのに政はすっぱっと言い返した。

「あとはキレイな川に連れて、あっ」

 ばちんと手からスマホがはじけ飛び、火が上がる。

 じわじわとひな人形の泥が自分を飲み込もうとしている。汚いものと言われて怒りパワーがさらに増したのか、それとも単に猫が疲れてしまったのか。

「猫、もっと怒ってください!」

「むちゃいわないでーー!」

「わかりました。このひな人形と浮気します! これでどうですかっ」

「にゃーー! うわきものーー!」

 黒い毛の爪が再びひな人形の泥を押し返すことには成功したが、長くは持ちそうにない。

「おい、川ならこっちやー」

「よーし、猫ちゃんは俺が運ぶからとにかく走って」

 三太の言葉に政はひたすらに暗い道をたぬきの体を追いかけた。

 息があがり、肺が苦しい。

 黒い泥から声がする。

 視界が暗闇にとらわれる。

 これは、記憶だ。

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