第6話 おひなさま

 ナビの案内でやってきた商店街はこじんまりとしたつくりで、全体的にのんびりとした雰囲気が漂っていた。

 お祭り中だというが、そこまでごったがえすほどの人もいない。

 近くのコインパーキングに車をとめて足を向ければ、春の匂い--甘くて、土臭い。広がっていた。

 政が普段目にしたことがない肉屋や八百屋が並び、通れば挨拶してくる。だからつい足を止めてしまう。

 本当にのどかだ。

「なんだか漫画みたいなお店ばかりですね」

「銀天街にもあるじゃん」

 三太が呆れた視線を寄越してくる。確かに松山の銀天街にも八百屋、魚屋はあった。こうして軒を連ねてはいなかった。だからなおのこと珍しく思えてくる。

「こうして並んでいるのが不思議というか」

「あっははは、都会っ子だなぁ、政さんは」

 笑われたのになんが自分が世間知らずな気持ちになって政は背負っているリュックを抱え直した。

 リュックのなかのたぬきは静かだ。

 あんなにも必死になっていたくせに。

 ため息をつく政は猫の明るい声に視線を向けた。

「春のお野菜ですね~ふわぁ、じゃあ、これ買いますっ!」

 などと店主と交渉している。

 猫の手にあるのはなんだかよくわからないくるんとさきっぽが丸まった野菜・・・・・・だと思う。

 おいしいのかは見た目では判断できないが猫があんなにも喜んでいるなら毒ではないだろう。たぶん、きっと。

「あ」

 黄色い花に政は目を留めた。

 無造作にざるにおかれている花は観賞用だろうか、にしてはかなり短く切ってある。

「菜の花食べたいんですか? おひたしにしましょうか」

「え」

 思わず政は猫を見た。

「食べるんですか、これ」

「・・・・・・おいしいですよ」

 嬉しそうに、にこっと猫が笑う。

 花がきれいだといった口で、これはおいしいと言う図太い精神に政はあっけにとられた。

「あれ、政さん、菜の花食べたことないの?」

「いえ、いや、うーん」

 思わず唸っていた。

「たぶん、ない?」

「え、もったいな。てか、政さん、いい大人なのに、どうしてそんなにも食べ物知らないの?」

 三太が思わずひいた顔をする。そこまで言わなくてもいいだろうにというぐらい驚いているので政は多少、むっとした。

「食べ物に興味がなくて」

 味がないものを食べる苦痛から逃れるため、政は基本的にカロリーメイトやサプリで食事はすませていた。

 子供のころは、母親があれこれと作ってくれていたが、どれも味がしないため、印象に薄い。むしろ、苦痛すぎて目を逸らしていた。

 おかげで食べ物はメジャーなもの以外はほぼわからない。材料に関しては知識皆無だ。

「わー、それもったいな。あ、おねーさん、この菜の花、俺買います。この人食べたことないらしいから」

「あれまー、もったいねぇ、じゃあ、こっちのふきとタラの芽も買っていきなよ。おまけしてあげるから」

「え、いや、そんな悪いです」

「ワラビもあるから、これもつけちゃうよ」

 三太と店主――中年のおばちゃんが勝手にあれこれと野菜を見繕ってるのに政は完全においていかれてしまった。

 ここになにしにきたんだと言いたいが、楽しそうなのでつっこむのはよしておくことにした。

「ふふ、いいですね、こういうの」

 猫が目尻を緩めて声をかけてくる。

「つくしもいただきましたし、今日はいっぱい春のお野菜を食べましょうね」

 猫が意気揚々に口にする誘惑に、政はこくんと頷いた。

 ここにきてから食べることは苦痛じゃない。楽しみになっている。

 いきなり背中を蹴られて政は前のめりにこけそうになった。なんとか踏ん張ったが、背後から

「姫っ」

 たぬきが飛び出し、目にも止まらぬ速さで駆け抜けるのに政はあっけにとられた。

「お目当てがいるんだねぇ」

 三太がのんびりと口にするのに政は背中の痛みに顔をしかめつつ、そちらを見た。

 狸がいるのは、商店街のはずれにある小さな床屋の前だ。

 かなり年季のはいったお店はすでに営業はしていないのか仄暗い。ただそのウィンドウの前には美しい着物を身に着けたお姫様がたたずんでいた。

 気になったのは夫となるつがいの人形がいない、いや、それ以外の人形もいないことだ。

 ひな祭りなんてしたことがない政にも、それが少しおかしな飾りだということはわかる。

「姫っ」

 狸が声をあげる。

「あれがお目当てなわけかー。へー。付喪神かー」

「きれいな方ですね」

 三太と猫が当たり前みたいに語り合うが政にはどういう状況なのかてんでわからない。自分だけのけ者にされた気分だ。

「何か、あるんですか?」

「え、わかんないの?」

「わからないです」

「あははは、そんな間抜けな顔をしないで、手を出して」

 三太が出してきた手に手を重ねる。

「お前は見えるもの、きこえる者、祝福あたえるもの」

 朗々と告げられた言葉のあと、一瞬頭の痛みを政は覚えた。

 と

『たぬきさん、また来たのね』

「そうやで、姫、あんたを助けにきたんや」

 瞬いた刹那、ひな人形が人のように微笑みたぬきを見て、しゃべっている。

「これは?」

「俺の憑き物は五感の目を奪うからね、ちょっとお願いすればこうやって視覚と聴覚をあっちに合わせられるんだ」

「あっち?」

「本当は見ないほうがいい世界」

 三太が歌うように告げた。

 それは見ていいのかと政はつっこみたくなったが、やめておいた。

 たぬきが姫と呼ぶひな人形はとても美しいが、こうして目を借りて見れば、本当に驚くほどの美人だ。その体は小さいというのに淡い光に包まれている。

「ものは百年経つと命を宿すんだ。あのひな人形はもう百年たってる。だから命を宿して、小さな神になったんだ」

「神に?」

「昔は、わりといっぱいいたんだけどね。今ではちょっと珍しいな。相当大切にされたんだね、すごくきらきらしてるでしょ。あれは人の想いだよ。本当は付喪神ってね、場合によっては妖怪なんだけど、そういうのになる前に捨てちゃうって封じるとかあるんだけど」

 三太の説明に政はほぉと小さくため息をついた。

 ふふと猫が微笑んだ。

「うちの包丁たちもそのうち動き出すかもしれませんよ? なんせ、私と銀次郎さんたちが大切に使っていますから」

「……それは勘弁願いたいですね」

 家のものがわやわやと動き出す様を考えると政はうんざりとした。

「あーー、たぬきさーん」

 明るい声とともに幼い少女がきらきらした笑顔で駆けてくる。

 たぬきがびくりと震えあがると猛ダッシュで逃げていく。

 少女は逃げるたぬきに追いつくことはなく、あーと声をあげて残念がったあと、よろけて転げそうになったを政は慌てて受け止めた。

「……っ」

 受け止めたはいいが、ここで硬直する。

 自分は変質者に見えていないか。この子が泣き出したらどうしよう、どうしたらいい。

 焦っていると腕のなかの少女がにこりと笑って

「ありがとう、おじちゃん」

 ぐさっと胸に突き刺さる言葉つきだ。

「まやちゃーーん! 大丈夫!」

 母親と思われる中年の女が駆け寄ってくると政に頭をぺこぺこと下げてきた。

「すいません。うちの子が! もう、まやちゃん、いきなり走らないのっ」

「だって、たぬきさん」

「ええ? またあのたぬき出てきたのかしら、困ったわねぇ」

 母親が心配そうに頬に手をあてる。

「駆除を頼んだのに」

「狸のですか?」

 つい政は聞き返していた。

「観光の人ですよね? ここらへんは田舎でたぬきが出るんですよ。作物を荒したりするから、市役所に頼んで捕まえて山に返してもらうんです。ああ、ひな祭りにきたんですか? いっぱい見てくださいね。ほら、まやちゃん、家に入ろう。ばあばあが待ってるよ」

「んー」

 まやと呼ばれた少女は幼い子らしくちょこまかと動きまわり、今はウィンドウの前でひな人形を凝視している。

 きらきらとした瞳はお姫様の美しさにうっとりしている。

「これね、まやのなの。ばあばがくれたの」

 自慢したくてたまらないという声で告げられて政はなんと答えていいのかわからず黙っていると猫が

「きれいね」

「うん! ばあばね、くれたの。ばあばがおいえからもってきたんだって。なんかすごいことがあってね」

「そう」

「一個しかもってこれなかったんだって」

「そうなの。けど、ばあばさまは、このお人形さまが好きなのね」

 優しく猫が微笑むと、まやは大きく頷いた。

「おねえちゃんもお姫様みたい」

「にゃ? え、えへへ!」

 いきなり褒められて猫が照れている。確かに赤い着物に黒髪の猫は今時珍しい和風美人だ。

「ありがとう、まやちゃん」

 えへへとまやが笑い、母親に呼ばれてはーい声をあげてとたとたと歩いていく。

「いっぱいお姫様みてねっ」

 母親が頭をさげ、まやがなかにはいる。

 気になったのは、まやの体のあちこちにばんそうこうが貼られていたことだ。

 子供は怪我が多いというが、あのまやという子は驚くほどにそそっかしいようだ。生傷も絶えず、母親も気が気ではないだろう。

「ありゃ、魅入られてるね」

 ぼそっと三太が眉間に皺を刻み、珍しく険しい顔で呟いたのに政は怪訝な顔をした。

「魅入られてる?」

「知らない? 子供は七つまでは神の領域なんだよ。七つまでは死にやすいっていうの。だからいろんなお祝いや行事をして、この子をこの地から神の国、つまりは常世に連れていかないでくださいってやるんだ。見たかんじ、あの子の傷の多さは、あの子自身のせいじゃなくて、魂の定着がまだまだなせいだ。よくまぁまだ生きてるね」

 説明してくれた三太がちらりとひな人形を見た。

「あなたが守ってるんだね、お雛様」

『……私は女の子の祝福ですから、けど、私は戦中に仲間が燃えてしまい、一人なのでたいした力がなくて……まやちゃんは、今年で六つなんです』

「一番危ない時期だ。六歳は一番あっち側が連れていこうと躍起になるもんねぇ」

『ええ……私がもっと強かったら、まやちゃんを守れたのに』

「姫はちゃんとしてるっ」

 どこから現れたのかたぬきが抗議の声をあげる。

「やから、あの子はまだ生き伸びとるんや。おう、お前ら、この方が姫やぞ」

 唐突にいなくなったと思ったらまた現れて、いきなりどや顔で紹介してくる。忙しい狸だ。

『狸さん、市役所の人がくるわ。はやく逃げたほうがいいわ』

「ひとなんぞに捕まらんわ。わいは化け狸やで。姫、こいつらがわいの子分や。姫様を守ってくれるさかいに安心しい」

 なにを唐突に言い始める。このたぬき

「あんたを盗まれたりなんてさせへん。この祭りをきちんとさせて、あんたはまやちゃんを守るんや」

『狸さん、ありがとう』

 見つめあうたぬきとひな人形に、さすがの政も空気を読んで何も言えなかった。

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