第5話 だってみたいもん
座敷の席で出てきた蕎麦はざるだった。小ぶりの丼はちらし寿司であなごがきれいに焼かれた卵の黄色い絨毯の上にのっている。木で出来た籠のうえにはえび二匹と季節の野菜をあげたものが添えられている。漬物は大根。
なかなか豪華な蕎麦に政たちは目をぱちぱちさせた。
そっと手を箸を手にとって、まずは蕎麦からいただくことにした。
汁にねぎをちらして、一口すする。
「!」
のど越しがとてもいい。するっとはいる。
そのあと口いっぱいに優しい味わいがする。
「……」
思わず無言で食べていると、猫もせっせっと食べている。おいしいから黙るのかと政は新しい発見をした。
食べ物屋に毛のある生き物がいると困る、というのでたぬきは外に出されているが同じようにご馳走を出されているはずだ。
「この季節の野菜、たまねぎなんですね」
「春のたまねぎは甘いんですよ」
政が野菜のかきあげをかぶりついて感想を口にする。すると猫がにこにこと笑って教えてくれた。
見た目ぱりぱりの歯ごたえがいいのに、衣はしっとしていて野菜の苦みと甘味が口いっぱいに広がる。
「甘いんですか?」
「はい。甘いですね。あれ、納得しない顔ですね」
「朝食べたものは苦味が多かった気がします」
「そりゃあ、まぁ」
「けど、たまねばき甘いんですか?」
「……なに、その子供みたいな質問というか疑問」
「納得してない顔しちゃって」
三太と猫がそれぞれ面白そうに政を見る。
「……食べ物によって味が違うので」
政は自分の疑問が恥ずかしくなってきた。
しかし、春は苦味が強いと口にしていたのに、甘いものが出てくるのも不思議だ。
「最近の玉ねぎは改良されて甘くなりましたからねぇ」
奥から出てきた六角がにこりと愛想よく笑う。
「政さんは、甘いのが嫌いですか?」
「いえ。ただ春は苦味といっていたのに、甘いものもあるのかと」
「そりゃあ、人が長い年月かけて改良して味がちょっいと落ち着いたものもあるってことですよ。タマネギは本来は辛いんですよ。春は長い冬を越えた植物たちの養分が溜まりにたまって苦いんですわ。さーて、今からお袖ちゃんところ行ってきます。二人とも店は頼んだよ」
などと口にしてふらふらと店を出ていき、二人――または二匹か――従業員たちは手をふって見送っている。
「お袖ちゃんつていうのは?」
「ああ、お堀に住んでる狸だよ。日本一の美女って言われてるよ」
狸の美女とはいかにと思ったが、とにかく蕎麦に集中することにした。
つるりと食べられて、一気に満腹になる。
玉ねぎは、甘いと言われて注意して食べるとじわじわと油と一緒にとろんとした甘さを感じることができた。
甘いのに蕎麦とよく合う。
腹を満たして店を出ると、店の横にある路地に隠れていたたぬきがひょこんと顔を出した。
「満足した?」
「ん」
声はぜんぜん満足していないようだ。それでも諦めはついたのか俯いたまま
「ほら、帰ろうか。お昼も食べて満足したし」
「おいしかったです」
三太と猫はどうもこの蕎麦が目当てだったらしい。
まったく、と政はため息をついてリュックを差し出した。そのなかに狸はとと、と自らすすんで入ってきた。
再び背負って車の元までいくと、三太がここは払うと口にして、パーキング代は浮いた。
「このまま家に」
「なぁ、おいら、どうやって帰ればええん」
とたぬきが唐突に顔を出して言い始めた。
「まさか歩いて帰れいわんよな?」
「……」
「え、歩いて帰れっていうつもり!」
たぬきがじっとあつかましい視線を向けてくる。
「歩いて帰ったら今度こそ車に轢かれるか空腹で倒れるかもしれへんのやけどっ」
自分の命を盾に迫ってきた。
ここまで開き直って強情な態度をとるのは、自分たちをまきこむつもりではないのかと勘ぐりがある。
なにせ狸は人を騙す生き物だ。
「送ってあげたら? 先いっていたけど、この時期ならひな祭りがきれいだろうから観光がてら」
「それは」
仕事はないから暇であるし、急ぎの用というほどのこともないが、わざわざたぬきに何かしてやる義理なんて政にはない。
「ひな祭り」
ぽつりと猫が呟く。目がきらきらしている。
「お雛様」
うっとりとした呟きは憧れが滲む。
祖父母の家にはひな祭りのものはない。なんせ、父たちは男兄弟が三人。その三人ともそれぞれ東京、大阪、北海道とちりぢりになっている。孫もみんな男だ。
家のなかを探せば男の子のお祝いの品はあるだろうが、女の子のためのものはほぼないに等しい。
つまり、それは
「政さん」
猫が見つめてきた。
これは――予感がする。
「私、見たいです」
羨望の混じった声に政はハンドルを握る手に力をこめた。
「おひなさまを!」
「……っ、わかりました行きましょう」
「さすがー、政さん、やさしー」
「やったで、いこうで」
ああ、騙されている。ものすごく騙されている。
バケモノの手のなかに転がされている。
政は内心深いため息をついてアクセルを踏んだ。
久万高原は松山から高速にのれば三十分ほど、下道を通っても一時間ほどでつく。
今回は急ぎではないし、車がはじめてだというたぬきのことも考えて――車酔いをして吐くようなことがあれば大事だ――下道を選んだ。
平日でたいして混んでいない道はすいすいと進むと砥部にはいった。
砥部焼で有名なため、道路の真ん中に壺やらが飾られている。なんとも不思議な道だ。
「ここらへん動物園あるんだよね。今度いこうよ! あと焼き物みよう。焼き物っ」
と三太が金の蝶を肩に留め、急なドライブにはしゃいで提案してくる。
「砥部焼の皿ですか?」
「使いやすいの多いし、値段も手ごろだから今度買う?」
「今ある分で十分でしょう」
そもそも皿にそこまで金を払う必要があるのか? 焼き物に興味の無い政にはまったく行こうという気持ちにならない。
そうしていると山に入り、幾度のカーブをまがり、開けた道に出た。
ナビを見ると久万高原だと出ている。
自然が豊かで、それが売りだというが
「すごい、建物がほぼない! なにもない!」
「政さん、それ喧嘩売ってる?」
つい興奮して声をあげる政を三太がジト目でつっこんだ。
「いや、ここまでなにもないというのが珍しくて……田舎ですね」
都会育ちの政にとっては高層ビル群が並び、ごみごみしているのが普通であるから、ここまでなにもないのは本当に感動する。むしろ、交通はどうなんだ、これ、大丈夫なのか? と不安になるくらいだ。
「まぁね。ここらへんはレジャーとか目的の人が多く来るんだよ」
「本当になにもない」
「政さん、二度目だよ。それ、何度もいうと喧嘩売ってるって言われるから言わないほうがいいよ。ここ空気おいしいでしょ!」
「自然の空気がおいしいのはなにもないって言ってるのと同じではないですか?」
「うっ。まぁものはいいようだよねぇ。ほらほら、ひな祭りするっていう商店街までいこうよ」
すでにナビに案内を任せているのでさして迷うことはない。そもそも迷うほどに複雑な道ではない。
ところどころ家と田んぼがある。
黄色が広がる--菜の花が咲き乱れている。
「きれいですねぇ」
「ほんとー」
猫と三太が窓から外を見て微笑んでいる。
政もちらりとそちらを見ると、見事な黄色だ。そういえば松山の大きな川の土手は見事な黄色に満たされ、桜もちらほらと色づいていた。
窓を開けていると甘い香りが鼻孔をくすぐった。
春の匂い。
政が知らなかった、ほんのりと甘く、あたたかさに満たされて心をくすぐるかおりだ。
広い道路だったので、思わず車を脇に停めていたのはがらにもなく、見たいという欲求に逆らえなかったからだ。
「およ、政さん」
猫がちょっとだけ驚いた声をあげる。
「少しぐらい寄り道をしてもいいですよね」
「・・・・・・ふふ、そうですね。きちんと見ましょう」
「さんせーい」
車から出て大きく伸びをした政はこった肩をまわしてほぐした。
あたたかい日差しに色鮮やかな世界は目に眩しい。
「すごい畑だ」
「あれー、ありがとう」
一人ごとのつもりだったのに返事があって政はびっくりした。
畑から帽子をかぶった中年のおばさんが出てきた。どうもこの畑の持ち主らしい。
「驚いたわ。人の声がして、褒めてくれてありがとう。あら、都会の人?」
「松山から」
いきなり声をかけられておっかなびっくり政は答える。
「あら、そうなの?」
「はーい、お姉さん、こんにちはー」
「お見事な畑ですね。きれいです!」
三太と猫も挨拶をすると、あらぁーとおばさんが笑う。
「よかったら、これあげるわね」
といきなり畑に戻って、新聞でなにかつつんだものを差し出してきた。受け取ると、何か細長いものが見えて、思わず悲鳴をあげそうになったが
「つくしだー」
「わぁ、おいしそう」
脇からのぞきこんできた三太と猫の声にぐっと踏みとどまった。
虫かと思ったが、野菜らしい。
「かなり多いですが、これは」
「畑にあるのをとってたのよ。いっぱいあるからどうぞ。褒めてくれたお礼よ。じゃあね。私、まだとらなきゃ」
にこっと笑うおばさんに政はおずおずと頭をさげた。
あっという間におばさんは畑のなかに消えていく。
こんな風なやりとりははじめてだ。
今までの政にとって人のやりとりは仕事で話す、買い物の際の店員ぐらいのものだった。
仕事中だって必要事項の確認で冗談なんかを言い合うことはない。元妻とだって会話を楽しんだりしなかった。いや、飯田はあれこれと話しかけてきたが、どう答えていいのかわからなくていつもけんもほろろな態度をとってしまっていた。
田舎の人はすごい。のんびりしているようでさっさと引き上げてしまうマイペースさがある。
自分には逆立ちしても真似できないコミュニケーション能力だ。
あたり一面の菜の花を見つめる。
春はこんな匂いなのかと政は驚くほど、心が浮き立つ。
三太と猫が嬉しそうなのに、ここまで車を走らせてよかったと心から思う。
車にもどり、ただじっと黙って思い詰めた顔をしている狸に政はひっかかりを覚えた。
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