第4話 ぬるいそばは獣用
「バケモノというのは、そのまんまです。化けるもんということです。私どもバケモノは時代に合わせて人と共存しております」
店の奥に案内されると、これまた和風の畳部屋だった。広くはないが、狭くもないそこにはちゃぶ台とテレビ――最新が置かれているのがなんともアンバランスさと、時代に合わせて生きるしたたかさを感じられた。
茶が運ばれてきたのは――今は化けなくてもいいと思ったのか、たぬき姿だ。
「今は人の姿に化けて蕎麦屋しておるんですよ」
「はぁ」
「ちょうど、暇していた本陣と上総の夫婦を誘ってね、あいつらの娘、今はデパートで働いてますから」
「デパート? 狸がですか」
「へぇ。切り盛りしてそこらへんは母親似か気立てのよい子で、えらく繁盛しているそうで」
「やだわ、六角さまったら」
六角とお茶を運んだたぬきがほのぼのとやりとりしている。意味がわからない。
「ああ、政さん、知らないよね。昔、狸祭りっていうのがあって、そのとき狸の石像を夫婦にしたの。あれのモデルがあの二人で、娘は鶴ちゃんって言うんだけど、それも像があって、別のデパート前にあるの。ほら、銀天街と大街道とかの前に石像あるでしょ」
「……あり、ましたね?」
そういえば、なんかよくわからないところに大きな石で作られた狸の像があったなと政は思い出す。
「松山は狸が多いんだよ」
「多いんですか」
「多いよ。石投げたら狸にあたるくらい、ねぇ」
三太がにやにや笑い、六角を見る。
「当たるかは知りませんが、多いでしょうね。うちは八百八万の狸がおりますから」
面白がるように六角が口にするのに政はますます眉間に皺を寄せた。それは石を投げたら確実に狸に当たる。
政がちらりと六角をうかがい見ると面白がるように見つめかえしてくる。とって食われそうな笑みだ。
たぬきは愛嬌があると聞くが、自分よりもでかい姿はただの恐ろしい獣だ。いや、この獣は服を着て、あろうことか煙草も吸っている。
「狐もいるんですか? 化けるというと狐や狸、猫やいたちも?」
「よくしてますな。生憎、狐はおりません。松山は昔、さる悪狐を退治し、愛媛の地から追放しました。そのぶん狸が繁栄した地なんですよ」
「追放を?」
「ええ。根性ひん曲がりなもんですからね。まぁなんですか、狐はよく昔話に出ますが、美形とか美人とか? 狸だって愛嬌あるし、可愛いんですからねぇ! なんぞ、最近のらのべとかいうやつにぁ、狐ばっかり贔屓にしよってからに! 狸出さんかい、狸をって、あー、ごほん。多少は狐もおりますが、この地ででかい顔はできませんな。狸がそんなこと許しませんよ」
ふんっと煙管を噛む六角に三太がぷぷっと笑っている。
「六さん、最近の流行りが狐ばっかりだからちょっとへそ曲げてるんだよね」
「狐なんぞ、どこがええんか、わかりません」
「はぁ」
「世間様もさっさと狸の良さに気が付けばいいもんを」
なんだが俗物なことを言い始めた。
そもそも、だ。
こんな風に人と狸が共存している社会なんてアニメや小説、はたまた漫画の世界だ。
しかし目の前にあることを受け入れないほど馬鹿ではない。でなければ猫の存在だって受け入れていない。
「獣が飲食店をしたら毛がはいるのかと不安もありますが、そういうものだと受け止めます」
「さすが政さん、あっさりと受け入れたよ。この人、東京育ちなんだけど、わりとなんでもこうやって受け入れちゃうの。すごくない?」
「見込みがありそうですな。さすが猫の憑き物筋さん」
「私のだんな」
「まだ夫婦ではないです」
猫が胸を張って口を開くのを政が遮った。ものすごく泣きそうな顔で睨んでくるが嘘はよくない。
「で、連れてきてくださった、それですが」
ちらりと六角が先ほどから緊張のため石のように固まって狸をちらりと見た。部屋の隅で哀れなくらい震えている。
「用とはなんぞ。わざわざ憑き物筋様の手も煩わせて」
「あ、は、はい。わたし、いや、ぼく、おいら、いや、えっと」
わたわたする狸はひーひーと息があがっている。
こういうのを見たことがある。
会社で歓迎会をしたとき、みんなの前で挨拶を新人にさせるのだが、そのとき飯田もこんなかんじになった。見かねた政が、かわりに挨拶をしてやり、新人の挨拶はあまりこだわらない形にしようという風にも会社に進言したのだ。それから新人の挨拶は出来るだけ強制しない、先輩がフォローするという風習になったのだが――あのあとから飯田は懐いてきた気がする。
ここにくる前、一方的に通話を切ってしまったので、お詫びのメッセージをスマホで送ると飯田は怒ることなく、また話しましょうとメッセージをくれた。
仕方がない。
政はたぬきを膝の上に抱えてやった。
「少し待ってやってください。しゃべりたいことがまとまってないようです。それにあなたのその姿は威圧を与えてしゃべりづくらしているようですよ、六角さん」
「ひゃあ、おまえ、おまえ、おまえ、こんなえらいかたに、そんな」
たぬきが慌てふためくが、生憎たぬきでない政には六角がどれだけすごいのかなんてわからない。
と
「あははは、それはえろうすんへん」
どろんと音と煙をたてて目の前の六角が人の姿に戻った。
人の好さそうな中年男は、しかし化けたら化けたでなんとも美形のせいか別の意味で圧がくる。
「ゆっくりでええわ。お昼はうちでどうぞ食べていってくださいな。あ、ちゃんと化けて作ってるさかい、毛ははいりませんよて」
「それは」
「やったーーー」
丁重にお断りをしようとする政に今度は猫の声が遮ってきた。
嬉しそうに――人から猫に戻って両腕を広げてばんざいしている。
政が呆れた視線を向けていると、猫が、あっという顔をして慌てて腰かけてすました顔をする。今更もう遅い。
「猫ちゃん、六さんところのそばすきだもんねぇ」
「えへへ」
「嬉しいこといってくださいますなぁ」
たぬきと猫が仲良く、にこにこしている。
微笑ましい光景だが、なんとなくいらっとする。
「この獣畜生」
「ひゃあう」
ぼそりと囁いた政の悪態に猫が尻尾を膨らませて悲鳴をあげた。
ひーひーふーひーひーふー。
なんだかへんな呼吸音に視線を向けると、膝の上のたぬきがひーひーふーと呼吸を繰り返している。それはマラーズ法で、妊婦が痛みを和らげるもののはずだ。
「……緊張するなら、手を出してください」
「手?」
「前足で」
獣に手なんてなかったことを思い出して訂正する。
「ほら」
政はその肉球に――黒く、かたいそこに人とかいてやった。たぬき相手に人という文字でいいのかと思ったが、狸なんて書くと画数が多すぎる。
「飲み込むと落ち着くそうですよ」
「……ふーん」
ぱくりとたぬきが口をあけて、政の描いた文字を飲み込む。
「ほんまや。なんか落ち着いたわ。あんがとな」
「それはよかった」
人もたぬきも思い込みでなんとでもなるらしい。
「あ、あの六角様、お、おいらは久万高の狸です。この度はおめ、おめ、おめ、おめ」
「……おめどおり?」
「それ! で、……助けてほしいんです。うちの地方では、この時期にはひな祭りを大々的にするんです。商店街とかで、その祭りになんぞ、人が悪さをするっていうのをたまたま聞いて、……助けてほしいんです。そいつら、飾られるお雛様を盗もうって計画してて、それをどうにか防いでほしいんです」
政に助けられて、つっかえつっかえたぬきが早口にここにきた理由を口する。最後は勢いよく畳に飛び降りて突っ伏した。
あ、これ、寝ている猫の姿と同じだ。
伏せした姿を見て政は思った。たぶん本人たちは真剣に、これでもないほどのお願いポーズなんだろうが、なんとも気が抜ける。
六角は目を細めたあと、煙管を手元にあった灰皿にかーんと高い音を響かせて、灰を捨てた。
どきりとするほど乱暴で、粗野な態度だ。
「要件はわかった」
たぬきが顔をあげ、なお言いつのろうとしたが、それは六角の睨みの前に消えた。
「どうせ、三っちゃんには断られたんやろう。今のご時世、人のもめ事にわしらは関わらん。均衡が壊れると困るさかい。お断りや」
「それは、そうですが……その、あの」
たぬきがあわあわしながらも必死に食ついていくが
「お前、はぐれやろう」
ぎくりとたぬきの毛が逆立つ。先ほど三太も口にしていた言葉だが、反応を見る限りどうもよい意味ではないらしい。
「そもそもそれで頼むっていうのが間違えとる。筋は通んとアカン。お前みたいなもんに、そもそも手は貸さん」
「っ、う、はい」
何か言い返そうとしたたぬきが口を閉ざして俯いた。全身の毛がしょぼくれてしまい、哀れなくらいに落ち込んでいるのがわかる。
はぁと六角が深くため息をついた。
「これで話ししまいや。……さて、うちの一族のもんがえろう迷惑かけました。ささ、どうぞ。うちの自慢のそばを食べていってくださいな」
「ああ、楽しみです! 六さんのおそばは本当においしいんですよ。猫用にぬるくしてくれるし」
今までも重々しい雰囲気を打ち破る六角の優しい声に、待ってましたとばかりに猫が勢いよく反応する。猫に小判……いや、猫の蕎麦か。
「そりゃあ、自分はたぬき舌ですさかい。人用に熱々にもしますよて、さ、食べていってくださいな。ささやかな詫びです」
六角が微笑むのに、断ることも出来ない。
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