第7話 デートのお誘いですよ!
「命をあげる、ですか」
「そうだよ。憑き物は宿主からいろいろともらって、かわりにあげる。つまりは互いの利益のための取引。たとえば俺はせつえから富をもらう。かわりにせつえをいろんなところに連れていく。そのために名で互いを縛るんだ」
「つまり、俺が名前をやらないとこれは死ぬと?」
ちらりと見るとうにゃあと猫が声をあげた。
「うーん、ちょっと違うけど、とりあえずそれでいいよ。……え、契約するんでしょ?」
「そのつもりは一切ありません」
あぎゃあと猫が悲鳴をあげた。朝から元気だ。
三太は驚いた顔をして、金色の蝶も忙しく宙を舞う。
「けど、それしたら、お兄さん、罰を受けるよ……いいの?」
「罰?」
「そうだよ。はじめの契約書があるじゃない? あれに契約を滞りなく行わなかった場合の罰が書いてるでしょ?」
あのミミズがのたくったような意味不明な紙のことかと政は察しがついた。
「俺の場合さ、ちゃんと契約を執行しなかったら視覚が奪われちゃうんだ」
あっけらかんと三太が口にする言葉に政は驚き、瞠目した。
「ちゃんと契約通りにしなかったら、憑き物筋はその分、罰を受ける。たださ、俺の場合はせつえが応じるかにもよる。たとえばさ、せつえが俺の一族が差し出してきた宿主、気に入らなかったらその分、罰を与えられちゃうし、家に災いが広がる。たまたませつえは俺でいいって俺を宿主にして名前をあげた。だから家には災いはないし、俺はせつえのものとして生きていく」
「それは、また理不尽ですね」
「どこが?」
逆に不思議そうに聞かれて政は眉を寄せた。
話を聞く限り、憑き物筋は理不尽なことが多い気がする。
契約を交わしたら、必ずそれを執行しなければ罰を受けるまでは、理解できる。しかし、一族が差し出してもそれに応じるかは相手次第。応じてもらえなくて罰を受ける――これはあれだ。悪質なリテイクばかり繰り返し、因縁をつけてくる取引相手と一緒だ。
政の場合は十代前の祖先が勝手にしたことで、自分にはなんら関わらないことだというのに、強いられている。これは言ってしまえば身に覚えのない借金を背負わされているようなものだ。
「憑き物てか、人じゃないものが人の原理で動くわけないじゃん?」
諭すように笑いながら説明する三太に政はますます驚いた。
だが納得も行く。
人でないものに人の理を説いたところで無意味だ。そもそも憑き物はもとからよくないものだ。それの力を借りて何かしら利益を得るというのは人を呪わば穴二つと同じ原理で、それ相当のしっぺ返しを覚悟する必要がある。
「それでいいんですか」
「そういうものだしね。お兄さんは、猫との契約を破棄しようとしてるけど、つまりはお兄さんの一族に災いがくるし、お兄さんにも来るんだよ?」
「……別に俺は」
母や父には申し訳ない気持ちはなくはないが、こんな頑固で融通のきかない自分を産んだということで諦めてもらうしかない。そもそも原因はかなり昔の祖先だ。
「……うーん、軽く考えてるならもうちょっと悩んだほうがいいよ。災いってやつをさ、人によったらたいしたことない場合もあるけど、けっこうきついらしいし」
「助言痛み入ります」
政が深々と頭をさげると三太が慌てて言い返した。
「やめてよ、俺はただの興味本位だし、仲間が増えたらいいなぁくらいだしさ」
手をひらひらと振って笑う三太に政は神妙な顔で頷いた。
特に深く考えたわけではないが、赤の他人が心底心配されるほどなら慎重になるべきか。だがよくよく考えて自分が失うものなんてやはりたいしてないのだとも思いいたるのだ。
自分が契約を破棄したことで災いが起こっても、それはそれでいいのではないかと思えてしまう。ここにたどり着くまで政はいろんなものを失ってしまった。これ以上なにをなくしても一緒だと思えてしまう。
猫がひどく悲しげな顔をしているのに少しばかり気が咎めるのはあった。
「先ほどの話に戻りますが、もし、もし仮にですが俺が一方的に契約破棄をした場合、猫は死ぬんですか?」
「うん? そういうのはないと思うよ? あ、そっか。アンタはふつーの人だもんね。こっちの知識ないからわからないと思うけど、一度生み出されたものは、本格的に破壊出来ない。もし契約切られても、別のところに行くだけらしいよ。どこに行くとかは知らないけど。それは人の領域じゃないところとしかわかんない」
三太はあっさりと政の疑問に答えてくれたあと、ああ、そうだ。けどね、とつけくわえた。
「呪いは別だよ。あれはもともとそれを呪うために作られたものだったのを宿主が憑き物って呪いでさらに上書きして形を与えてるから、呪いを解放すれば呪った相手に返されるけど、そいつもいないなら呪いは呪いとして全うできずにそのまま消滅する。ああ、つまりは自滅ね」
「ほぉ」
またしても自分の知識外の世界のはなしに全部は理解できていないが、何かしらルールはあるのはわかった。それらを踏まえても、憑き物とは結局、人の手に余る禁忌なのだ。
一体、どうしてうちの十代前の祖はこのようなことに手を出したのか。
「しばらくここにいるの?」
「一応、一か月ほどは」
「……聞きづらいことは、ずばっと聞くタチだから言うね? ニートなの?」
「内職のできる仕事なので」
政はエンジニアだ。リモートでも十分に仕事ができる。とはいえ有給で一か月は休んでいいことになっている。よっぽどのことがない限りはのんびりできる。
ただ、何もしてないということが苦痛な政はこっそりとノートパソコンも持ってきているし、今から仕事の一つもしようかとは思っていた。
「そっか。もしかしたら自殺しにきたのかと不安になったのもあって来たけど、心配ないみたいでよかったよ」
けらけらと三太は笑いながら物騒なことを口にする。いや、男一人がふらふらとこんな家に急にやってきたらそういう警戒もされるか。
「アンタ強そうだし、がんばってね。また来るよ」
「はぁ」
一人納得し、立ち去る三太の横で金色の蝶がひらひらと踊っている。まるで喜んでいるように見えた。
まるで嵐のような人だったとぼんやりと庭を見ていると
「政さん」
猫がおずおずと遠慮がちに声をかけてくる。
「あ、あの、あのですね。ごはんを」
「先ほど食べましたが?」
「いえ。だから、あの……おいしいものを食べに行きませんか?」
猫が顔をあげて食いつくように言葉を重ねてくる。
「政さんは味がわからなくて、ここでおいしいものを味わったことがあるから来たんでしょ?」
それは昨日、口にした目的だが、自分が本当にそう思っているのか、自信がない。
両親に嫌われたことも、妻のことも、今更、戻るとは思っていない。
あまりにも多く諦めすぎてしまったせいもあるし、子供みたいに無垢に何かを信じるには政は歳を取り過ぎてしまったのもある。
いや違う。疲れてしまったのだ。なにかに期待したり、心を寄せることに。自分はこんなにも孤独で一人なのだとさんざん思い知らされたから。
「だったら、私が案内しますから、いろんなものを食べに行きませんか? やることないのでしたら、ね?」
「……」
真剣に見つめてくる猫に政は言葉に詰まった。
否定するのは簡単だ。
背を向けてしまえばいい。
猫は自分との契約のためにこうしているのだ。いや、けれどそれだって政が拒否し、不幸も災いもすべて背負えば問題はないはなしだ。
「政さん」
伺う視線と声。
まるで打算も、下心もないような態度だ。
偽りだ。
これは人に憑く恐ろしいものだ。警音が心のなかに広がる。
だのに
「行きましょうか」
返事を聞いて猫がぱぁと笑った。とても嬉しそうな笑顔に政も少しだけ肩から力が抜けるのがわかった。
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