第3話 好き嫌いいっぱいなんです

「いえ。ただ、俺は……以前結婚していましたが、つい最近離婚した。そういう身の上ですがよろしいのですか?」

「構いません。人の生は短く、太いもの! 多少の浮気は許しますっ」

 ふんっと猫が胸を張った。

 浮気もなにも、政はまったく猫について知らなかったのだが、それを口にすると泣き出しそうなのでやめておいた。

「では、ふつつかなものですが、よろしくお願いします」

 政が姿勢を正し、頭をさげると、猫が目を見開いて、慌てて頭をさげかえしてきた。

 ちらりと視線をあげて見ると、猫が寝転んでいるときの姿そのままだ。実際猫なんだから仕方ない。

「……」

 政がじっと猫のつむじを見つめていると、もぞもぞと猫が顔をあげて、目が合った。

 慌てて猫が顔をさげなおした。凝視しすぎただろうかと政は反省して、体を起こした。

「顔をあげてください。それでこれからですが」

「ううにゃあん、はい」

 小さく鳴いて顔をあげた猫は、少しだけ照れた笑い

「わたしに惚れてくださいっ!」

「どうして猫畜生に惚れるんですか。そんな趣味はありませんが?」

「にゃあああああ」

 猫が天を仰いで、悲鳴をあげた。

「ひどい、ひどいです。わたしを見て、そんなこと言います? 先夫婦になるっていった相手にそんなこと言いますか?」

「すいません。つい……嘘をつけないタチなので」

 この性格のおかげで人生、かなり苦労をした政は素直に詫びだ。

 確かに本人を目の前にして猫畜生はない。

 しかし見た目はどうみても猫だ。

 しゃべって、二足歩行できても猫だ。

「惚れてくださいっ」

「……あなたに?」

「そうですっ! わたしたちは、人に必要とされないと存在できないんですっ! だからもうとことん惚れ抜いてください! わたしなしだと生きていけないくらいにっ! 今すぐ! ここで!」

 猫が立ち上がり、右足でだんだんと畳を踏みつけて地団駄を踏みながら叫ぶ。

「それに! いいんですか? わたしが消えてしまって?」

「……つまりあなたは俺が必要としないと消えると」

「ですよっ」

 挑むように猫が言い返してきた。

「それは願ったり叶ったり」

「にゃああああああ」

「あ、つい」

 またしても本音が出てしまったのに政は口に手をあてたが何もかも遅かった。

「ひどいひどいびといぃ~~」

 猫が両手――いや、この場合は前足か。――顔を覆って泣いている。

「わたしがいなくなったら、この家には災いがくるんですよ。そうなったら、政さんも困るでしょうっ」

「俺は別に……この家は売り払うつもりでしたし」

「え、ええええっ」

 猫が尻尾を大きく膨らませ、天変地異が起こる前ぶれかのように真剣な顔で迫ってきた。

「売るってどういうことですか」

「この家は劣化が激しく、古いので、そろそろ手放してもいいかとは思ってます。俺は住みませんし」

「うそ、うそ、帰ってきたんでしょう」

「どれほどで売れるかの下見です」

「あにゃあああああ」

 間近で叫ばれるとさすがにうるさいが、その悲鳴を政は甘んじて受け止めた。なんせ消えるうえ、住処を追われる側なのだから、これくらいは叫ぶだろう。しかし、よく声が枯れないものだと感心する。

「う、うう、ひどい、ひどすぎる」

 毛を逆立てて大げさに嘆く猫を政は目を細めて見つめた。無情と言われても、嘘をつけない政にはこれ以上の言葉はない。

 と、鼻孔を刺激する匂いが奥から漂っているのに気がついた。

「せっかく、せっかく、ご馳走を用意したのに~」

「ごちそう? ねずみかなんかですか」

「失礼な! これですよ、これっ」

 猫が勢いよく顔をあげて怒鳴ると、走り出したのに何かと思って見ていれば、猫がお盆を片手に戻ってきてテーブルにすさまじい早さで並ぶそれに唖然とした。

 白い米の詰まった茶碗、味噌汁、野菜を炒めたらしい皿……料理が並んでいる。

 一体、どうやって

 そもそも猫が作ったら毛が入りそうだ。

 浮かんだささやかな疑問にとりつかれている政は、その音が誰から発されたものか一瞬わかなかった。

 ぐぅ。

 小さな主張。

 ぐぅうううう。

 さらに主張された。


「……」

「……」

 猫と政が顔を合わせる。

「……腹が減りました」

「えっと、食べませんか?」

「はい」

 静かに政は言い返した。

 こんな風に体が主張してきたのは久しぶりだ。ここ最近は空腹をまともに感じなかったし、そもそも食べたいという欲が政には軽薄なのだ。

 テーブルの前に腰掛けて、政は改めて並べられたそれらを見た。

 白いつやつやした米、具だくさんの味噌汁、色鮮やかな野菜はたれがかかっててかてかと輝いている。

「……」

 本当にどうやってこんなものを作ったんだ。

「どうぞ」

「……野菜ばっかりだ」

 ぼそっと政は呟いた。

「ええ、まぁ、お庭の畑でつくったものばかりですから……?」

「ピーマンは苦手です」

「はい?」

「たまねぎは割れやすい」

「ん、んん」

「にんじんはかたい」

「……」

「かぼちゃはなんかふわふわしているし」

「あのぉ」

「きのこもふにゃあとしていて」

「もしかして、野菜、全部苦手ですか?」

「大っ嫌いです」

 きっぱりと政は言い返すと猫は呆れた顔をした。そんな顔も出来るのかと政が驚くほど、この猫、表情豊かだ。

「じゃあ、魚は」

「骨がいっぱいあるし、ぼそぼそしていて嫌いです」

「……お、お肉は」

 ぷるぷると震えながら猫が聞いてくる。

「ものによりますね。牛はかたいし、豚は臭みがあるし、鳥は肉の柔らかさが歯につく」

「あなた、今まで何を食べて生きてきたんですかっ!」

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