第2話 見覚えがないなんて言わないで
どうやって茶を淹れたんだろう。
猫が、どこから持ってきたのかふかふかの座布団に正座した政は差し出されたあたたかな緑茶を見て純粋な疑問を浮かべた。
猫はあついものも、火も苦手だったはず。
しかし、この二足歩行の猫は器用にお茶を淹れ、粗茶ですが……などど、今時珍しい謙虚さを発揮した。
湯呑に手をつけると、あたたかい。
思い切って口をつけると、ちゃんとお茶の味だ。またたびやキャットフード、ましてや猫の味ではない。
「わたしのこと、どこまでお聞きしました?」
「……まったく知りません」
「え、まったくですか?」
猫がのけぞって驚いている。
「ええ。まったく、これっぽっちも、一切合切不明です」
「あ、ぁわわわっ」
猫があからさまに落ち込んだ声をあげて、尻尾をたれ下げた。
かわいそうなくらいに落ち込むその姿を見て申し訳ない気持ちになったが、ここで嘘をつくわけにもいかない。
嘘をつけない、それが自分の欠点だと政は自覚している。
「……わたしは、憑き物です」
「つけもの?」
「ぶーぶーです。憑き物、つまりは、あなたのお家にとり憑いてるんですぅ」
むぅと猫が唇を尖らせて、拗ねたように言い返してきた。リアクションもでかいが、表情もころころとかわる器用な猫だ。
「ええっと、つまりは、あなたのお家に憑りついてるんです。ほら神様が、福とかあげるあれです!」
「ほぉ」
片眉をあげて、政は相槌を打った。
では、目の前の二足歩行の猫は自分の家系に福をくれる存在なのだろうか。
「四国には、そういう憑き物筋はわりと多いんです。犬神とか、蛇神とか、わたしたちのはじまり、つまりお母さんが、流れてきたので」
「母親、ですか」
「はい。憑き物筋の大本はふるい、ふるい、とってもふるい時代に活躍したという鵺という化け物だそうです。それが人間に退治されて、四分割ぐらいされて」
「……四分割」
かなり大雑把だ。
「海に捨てられちゃって」
「海に……」
不法放棄だ。
「それが、流れに流れて四国について、自我を持って動き始めたそうです」
「……生命力が大変強いんですね」
体をばらばらにされた挙句に海に流されたら普通死ぬだろう。
あろうことか四国に流れ着いてまだ生きているのは生命力以前の問題かと思ったが、政にはそれ以上の言葉はなかった。
ふふっと猫がちょっと嬉しそうに笑った。
「はじめの四家は強いそうです。人に憑りついて奉ってもらって、力を取り戻そうと考えたんですね。それが憑き物筋です」
「はぁ、つまりは、人はあなたがたを奉り、あなたがたは我々に幸運を与える、と?」
「そうです。そうです。といっても、奉らないと祟ったりもするんですけどね。わたしは、そういうのとは少し違いますが、あなたのご先祖さまと取引して、憑き物筋になったんです。わたしは、この家に憑りついて、あなたが十代目当主になります」
「……はい?」
「つまり、わたしのおむこさんです」
「……それはどういう意味ですか」
「これ、これ、これっです」
政が反論する前に猫が慌てて懐から古めかしい紙を取り出して、開いて見せた。
達筆なうえ難儀な古い文字に目を凝らして眺めると、十代と契りというところだけは読めた。
さらに長い時間のせいで墨が薄れて読めない箇所や破けているところも、猫の説明と読める部分だけを解読すれば、十代目の人間を憑き物のものにする、ということが書かれていた。
何考えたんだ。先祖のやつは
政は心の底から呆れてしまった。
なんせ、十代目――これを作ったやつからしたら先の先。そんな未来の自分の血筋に厄介事を押し付けたのか。
紙や文字から見る限り、これはどうも江戸時代よりもっと昔のような気がする。そんな遠い昔の先祖は、自分の身内を売る鬼畜だったのか。
いや
おまえがいいとさ
と書かれた手紙――こういう意味か。
祖父も一枚かんでいたのか。
「俺は身内に売られたわけですね」
「え? どういうことですか」
「俺に話を一つもせず、こうしてあなたと引き合わせた。そもそも、この約束事というのも、俺のあずかり知らぬこと」
「ふわぁ」
低い声でつらつらと怒りを口にして肩を震わせる政に猫が怯えてびくびくと震える。
「勝手に人を売って、挙句にこんなことをするとは、人権侵害にもほどがある。昔にはそんなものはなかったとしても、祖父は」
「あ、あの、あの、あの」
契約の紙を握り潰す政に猫が焦った声をかける。
「なんですか」
剣呑な声とともに顔をあげると、猫がむぅと睨んできた。
「銀次郎さんを悪く言わないでください」
「孫を売る鬼畜な人を庇うんですか」
「銀次郎さんは、よく一緒にお茶をしたし、おいしいものを食べたりしたんですよ。毛をきれいにしてくれたりもしたし、この着物だって用意してくれたし」
「ものにつられないでください。こっちは売られたんです」
しかも猫に。
「売られた、売られたって、買い手はいるんですかっ」
猫が反論に政がうっと言葉に詰まった。
買い手どころか、つい最近返品された身だ。
「……俺にだって自由意志というものはあります」
「わたしの婿にならないと? じゃあ、呪いますよっ」
「のろい?」
「箪笥の角に小指をぶつける呪いですっ」
猫が真剣な顔をするのに政は眉を寄せた。それは地味に痛いし、きついだろうが、そこまで怖いものではない。
「あと、忘れ物する呪い! でっかいものじゃなくて、鉛筆一本とか? うーん。お弁当忘れるとかなしいので、えーとえーとお財布もこまるし、えーと! これはなしでっ」
「……」
「あと、あと、靴下にすぐに穴があいちゃうっ。なにもないところでこけちゃうっ」
必死に思いついた呪いを口にしているが、どれもこれも恐れるにしては可愛らしいものばかりだ。果たして、この猫が与えてくれた一族の福とはどれくらいの規模なのか。
聞いてもいいが、聞いたら聞いたで、なんだか肩透かしをくらいそうな気もする。そして、そんなもののために自分は身売りされたのかとまたしても顔を知らない先祖や仕組んだ祖父に対して怒りをぶつけてしまいそうになる。
ため息を一つ、漏れた。
現実に対応するため、政はいろいろと諦めることにした。
「身に覚えはありませんし、必要性も俺は感じません。しかし、このままでは一族が被害というよりも、あなたに対して不誠実すぎますね」
どうせ返品された身なのだからと政は心のなかで付け加えた。
「にゃあ?」
猫がきょとんとした顔で尻尾を振りながら政を見つめてくる。
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