第10話 スキッディ
濡れたように光っている白い体表、ずんぐりとした胴体、おそらくは顔に当たる部分の中央には黒いクチバシ、その周りから生えている触腕、その両脇に一対の目がある。人間サイズのイカを触腕がある方を上にして立たせたようなそいつはオレの横に立ち、話しかけてきた。
「十本の手を使いこなしているオレのアドバイスは聞いておいても損はないと思うぜ」
ソイツはメインと思われる長い二本の触腕を胴の前で組みつつ、その触腕の一本のその先を立てた。その様は人が人差し指を立てるポーズを思わせる。十本の手を使いこなしているとソイツは主張しているが、クチバシを中心に環状にならんだ触腕のうち、メインの二本の上部の四本はオールバックの髪さながらに後ろに回している。メインの二本の下部の四本は胴に巻き付けている。
「やあ、スキッディ。調子はどうだい?」
「あぁ、小早川。良好だ。オレ向きの任務が今のところ無いようで、暇してるがな」
小早川はこのイカ人間と挨拶を交わす。このイカ人間はどうやらスキッディと言うらしい。
「オレはゴグロザ。この腕を動かす為にはどうすればいい?」
人間であれば……、社会人であれば、初対面の相手にはそれなりの自己紹介や世間話を織り交ぜて交流を図った上で、『お願いします。ご教授ください』という流れが当然だろう。しかし、普通の人間らしさは消しておく方が良さそうだ。オレは改造人間の先輩であろうスキッディにそう話しかけた。
「そうか。ゴグロザか。覚えておこう。オレはスキッディ。よろしくな。一本ずつ感覚を掴んでいくのが確実だ。なあに、たったの二本だろ?すぐに動かせるようになる」
妙に馴れ馴れしい喋りだ。スキッディも元は人間で、洗脳されたハズ。洗脳後にこれだけフランクに話せるものなのか。もしかしたら、オレと同じように洗脳されたフリをしているのか。
「こっちへついて来な」
スキッディはそう言ってオレに背を向けて歩き出した。オールバックに後ろに流された上部の四本の触腕と、胴に巻き付いている下部の四本の触腕、その胴は床の上で少し曲がり、その先端の両側に貼り出したヒレを前後に動かして器用に歩いている。イカ徳利、スキッディの下半身はそんなものをオレに思い出させる。
さっきの鏡とは違う面の壁には横向きに設置された手すりのような棒が何本も並行に並んでいる。小学校の体育館にも似たような設備があったはずだ。
「上の方の手は自由に動かせるんだな? じゃあ、その二本の手は上の方のバーを掴んでおけ」
オレは無言でそれに従う。
「うむ、良し。では右からいこうか」
スキッディはそのぬめりのある手で、オレの右下腕を持ち上げ、中ほどのバーを握らせる。
「ま、焦らないことだ。だが、変化に気付けるよう、気は張っておけ」
スキッディはそう言いながら、オレの右下腕を上下に、内に外に動かしながら、色んな高さで、色んな位置で、バーを握らせる。
「今度は反対を向け。そうだ、バーを背にして。うむ、動く両腕は上にやって上の方のバーを握っておけ」
スキッディに為されるがまま、オレの右手は今度は後ろ手にバーを握らされている。正面には小早川が腕組みをして、オレとスキッディのやる事を見ている。表情はおそらく研究者のそれだ。感情を込めない観察の目だ。
『ここと同じような事をやっている非合法組織って、いくつかありましてね。僕の本来の所属はそこなんですよ。ええ。平たく言えばスパイです。まあまあ気を張る立場なんですが、違うアプローチで人体改造を行う二社の実際を知れるというのは研究者冥利に尽きるんですよね。ま、これがバレたら僕もヤバいんですけど、その危うさは後藤さんとの交渉材料になりますよね。後藤さんが元の姿に戻る交渉対象はココと、僕にとっての本社。まずはそれを自覚してもらってですね。それぞれに何が交渉材料になるかをこれから探っていく。それが後藤さんの模索するべき道だと思うんです』
昨夜の小早川はそう言っていた。
『信頼関係と呼ぶにはちょっと違うでしょうけど、弱みを握り合うというのも信頼関係の礎の一つですよね』小早川は楽しんでいるような口調でそう言っていた。
小早川がスパイである事、オレの洗脳は為されていない事、現状において、この二つの秘密は確かに釣り合っているように思える。
小早川の目は、昨夜も今も、おそらくは常に、研究者の目だ。
それは、自分の興味の対象をとことん面白がろうという観察者の目、にも見える。
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