第8話 面(オモテ)

「オマエは名を失った」

 ふざけるな。名を失ってなどいない。オレの名は後藤喜一、後藤喜一だ。

「オマエは記憶も失った」

 失ってなどいない。京子と志穂の記憶を、オレは絶対に手放さない。

「オマエは何もかもを失った」

 繰り返される洗脳の言葉は、絶望の中のオレを、バケモノになったオレを現実逃避に向かわせているのか、名前も記憶も失くしてしまえと繰り返している。

「新しいその姿は、再生と、新たなる出発を象徴しているのだ。何も心配する事はない。私がオマエの居場所と生きがいを用意しよう。約束する」

 何度繰り返されただろう。何時間続いているのだろう。ボスの言葉は言葉の並びや抑揚、ニュアンスを変えながら、同じような内容を何度も何度も繰り返している。頭部に貼り付けられたり刺されたりしている電極から電気信号が入れられているのかどうだかは分からない。また、それらからオレの反応がどのようにモニターされているのかも分からない。身体がバケモノになってしまったショックは今も持っているし、投薬の影響もそれなりにはあるのだろう。気分は最悪だし、思考もシャンとはしていない。いっそ楽になりたい、目の前のこの男の言葉に身をゆだねれば楽になるのかも知れないという発想はゼロではない。だが、洗脳などされてやるものか。京子、志穂……、オレは、後藤喜一は、後藤喜一であり続けるからな。


「オマエの目の前にいる私は、オマエにとって、何だ?」

 ぶちのめしたいクソヤロウだ。拘束されたままでなければ、その思いを遂げていた。しかし、オレは静かに呟く「ボス……」と。

「私がオマエに授けた名前は何だ?」

 ふざけた名前をつけてくれやがって。ゴッドファーザー名付け親気取りかよ。だが、ここは、我慢だ。オレは「ゴグロザ……、改造人間五号、ゴグロザ、です」と答えた。

「私に忠誠を誓うか」

 誓うのは復讐だ。そう思いながらも小さな声でオレは「はい……」と言った。

「オマエは私の全ての命令に従う、そうだな」

 誰が従うものか。その思いを飲み込んで、オレは「はい。全ての命令に従います」と偽りの言葉を放つ。

 ボスはその醜悪な顔をさらに醜く歪め、その双眸には満足と期待を浮かべ、「よろしい」と言った。


「おい、モニターをチェックしていてどうだった。気になったところはなかったか。気づいた事があったら、なんでも言え」

 ボスはそう声をかけた。モニターしている小早川とその後ろに立っている知らない男に向かって。

「いえ、特に気になったところはありません」

 小早川はそう言い、後ろの男は小早川の声に頷いた。相変わらず、オレは同じ台に繋がれたままだが、今日のこの部屋にはボスと博士と小早川の他に、モニターを眺める男が一人、銃を携えて立っている男が二人、それとは別に、銃口をオレに向けて固定して、いつでも引き金を引ける緊張感を纏った男が二人いる。

 目の前のボスをぶちのめしたかったし、洗脳しようとするボスの言葉に抗っていたオレは、身体中に力を込めざるを得ない時もあっただろう。だが、あらかじめ打たれていたオレ専用とやらの筋弛緩剤のおかげで身体に力はまるで入らない。洗脳された演技が上手く出来たとは思えないが、人間の顔を失ったオレだ。そもそも今の顔がどのような喜怒哀楽の表情を浮かべるのかも分からない。他人からもオレの表情のまことを読み取れやしないに決まっている。


 虫けらの感情を読み取ろうとする人間などいない。

 虫けらの感情を読み取れる人間などいる訳がない。

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