ヴァンパイア=カルペディエム
宵埜白猫
人生最後の夜に
この場所を選んだのは、少しでもあいつらに迷惑が掛かればいいと思ったからだ。
私を都合のいい機械か何かのように扱って仕事を押し付け、あいつらが欲情している時にはその気持ち悪い性欲を私にぶつけようとする。
そんなにヤリたいなら金を払って風俗にでも行けばいい。
それすら惜しむような、あるいはそれは外聞が悪いと
だから私は、地上20階建てのこのビルから身を投げるのだ。
あいつらの恐れる世間の目を、少しでもあいつらに向けてやる。
遺書は抱えたまま飛んでやろう。
そうしたら処分なんてできやしない。
半ば自分を納得させるように、自分がこんな選択を取るしかなかったのは仕方ないと思うために、私はあの悪夢を思い出す。
その全てを遺書に書き殴ってやった。
毎日、変わることの無かった地獄。
それが終わるというのなら、死すら生ぬるいだろう。
冷たいコンクリートの感触が直に触れて、それが不思議と心地よかった。
そのままフェンスを乗り越え、ヘリに立つ。
眼下に広がるのは黒い街。
深夜0時を回って、明かりの消えたオフィス街の姿だった。
こんな真夜中なら人通りも少なく、関係ない人に迷惑は掛けないだろう。
ニュースで見るようなあんな事故は起こしたくない。
改めて、夜の冷気をゆっくりと肺に流す。
きっとこれが、人生最後に味わう空気の味だ。
それをゆっくり堪能して、私は体を前に傾けた。
「クソおやじ共……くたばれ……」
そんな恨み言だけを溢して、私の足が地を離す。
瞬間、体中に感じる重力。
今まで体感したことのない負荷が、私を一気に下へと落としていく。
その
私の耳に、その声は届いた。
「
宙を舞っているはずの私の耳元で、声は続ける。
「そんなに命を捨てたいのなら、お前の全てを俺にくれ」
「え?」
あまりにもはっきりと聞こえる声に、私は思わず顔を向ける。
そこにあったのは、目を離せなくなるほど綺麗な白だった。
その色を認識した瞬間、私の体に掛かっていた重力の負荷が消える。
同時に、何かに包まれているような温かな感触。
雲間から月の光が差して、その正体が分かった。
女の私も羨むほどに白い肌。
薔薇のように赤い瞳。
そこらの男なんて霞むほどに整った顔立ち。
そして、
「……吸血鬼?」
「なんだ、分かっているじゃないか」
吸血鬼にお姫様抱っこをされている。
さっきまで自殺の真っ最中だったはずなのに、何がなんだか分からない。
「怖いか?」
今まで知り合ったどんな人間よりも優しい顔で、彼が私に聞いた。
「怖くは、ない」
「ほう。今からお前の血を吸うんだぞ?」
「どうせ死のうと思ってたし、いいよ」
まさか人生の最後に見る顔が吸血鬼だなんて驚いたけど、あんな変態おやじ共じゃなくて良かったと思う。
むしろ初めて、触れられても不快じゃないと思えた。
「ふむ……」
彼はそっと私を下ろすと、羽織っていた黒いマントで包み込んだ。
瞬間、柔らかな毛布にくるまれているような心地よさと眠気が襲ってきた。
「では行くか」
微睡みの中で聞こえたその声を最後に、私は意識を手放した。
背中に柔らかさを感じて目を覚ますと、そこは黒い天蓋付きのベッドだった。
「目が覚めたか?」
ベッドの端に腰かけた吸血鬼が私の頭を撫でながら言う。
「なんで起きるまで待ってたの?」
体のどこにも違和感がないどころか、働いてから初めてというくらいに体の調子がいい。
「断りも無くレディの体を貪るのは馬鹿のやることだ」
こんな不思議な状況になって初めて、人として扱われているような気がする。
目の前のこの男は、あんなやつらとは違う。
そんな予感がした。
「ありがとう、待っててくれて。……だから、いいよ」
私は彼の手をそっと掴んで、私の頬に導いた。
ひんやりと冷たい感触が心地い。
「なら、頂こう」
そう言って、彼が私の上に覆いかぶさる。
割れ物でも扱うかのように、そっと私の頭を抱えて、鎖骨に口を近づける。
そして、
「っ!?」
「痛いか?」
「い、痛くない」
彼の牙が肌に触れた瞬間、ぞくりと体中に駆け巡った刺激。
あれは痛みでは無かった。
「そうか。なら続けるぞ」
「……うん」
ゆっくりと、牙が肌を破り、私の中に入ってくる。
多少の異物感はあるものの、痛みは全く感じない。
それどころか――
「あっ……」
私の体に響いたのは、これまでに感じたことの無いほどの快感だった。
下腹部の奥が熱を持ち、じわりと何かが溶けだしていくような、そんな感覚。
それが増すごとに胸の奥はじりじりと焼けるようにもどかしい。
「んっ……はぁっ」
気づくと私の両手は、彼の頭を私の首に押し付けて、足は彼のものに絡んでいた。
もっと、彼に私を求めてほしい。
もっと私を貪ってほしい。
血だけじゃなくて、私の全部を、彼に捧げたい。
そんな思考で頭がくらくらと揺れ始めたとき、彼の牙が私の首から離れた。
「あ……」
「そんなに悲しそうな顔をするな。美味い血だったぞ」
そう言って笑う彼の顔に、胸の奥で何かが跳ねた。
「なんのつもりだ?」
自分でも何をしているのか分からない。
ただ感情の赴くままに、私は彼を押し倒し、その上にまたがっているのだ。
「分か、らない……けど、あなたが欲しい」
口からこぼれた言葉に押されるように、私は彼の唇に私の唇を落とした。
「……物好きな人間だ」
唇が離れると、彼はそう言って私を抱きしめた。
「美味い血の礼だ。お前に俺をくれてやる……その代り、二度と太陽の下に戻れると思うなよ?」
不敵に笑う彼に、私も微笑み返して、
「望むところよ」
真夜中の真っ暗な世界の中で、私は何度も、彼と体を重ねた。
ヴァンパイア=カルペディエム 宵埜白猫 @shironeko98
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