『DV被害者の女友達を匿って……』。

 執拗に執拗に、無言電話が来る。

 私の隣では、同い年の女の子が電話に怯えていた。

 彼女の名は、シズルと言う。


 DVされて逃げ出してきた彼氏からの電話だ。

 シズルは電話が来る度に、怯えた顔になったり、泣きそうな顔になったり、叫んだり、時には吐瀉物をその場で吐き出したりした。

 私は、そんな彼女を家賃と光熱費を折半してくれる、という条件で自室に泊めている……。

 裸になったシズルの首から下には、所々、アザがあった。

 脚の小指は折れて、変な方向に曲がっていた。

 耳を殴られて、鼓膜を破られた事もあるという……。

 エスカレートする彼氏からのDVを受けても、シズルは警察に連絡せず、私を頼った……。



 さて。何から語り始めようか。

 私は今、同い年の女の子であるシズルを家に泊める事になった。

 泊める、というよりは、かくまうといった形だ。

 シズルは、必要最低限の荷物を詰め込んだ大型のバッグを手にして、駅前で私の前に現れた。


 シズルとはSNSを介して知り合った。


 シズルを泊める事になった経緯は、SNSでしばらくやり取りしているうちに、彼氏が怖い、彼氏が暴力を振るってくるだのそんな事を言い始めるので、しばらくシェルター的な場所を探して逃げれば?と言ったら、上手くDVから逃げる女の避難所的な場所を見つけられずに、結局は、しばらくは私の処にやっかいになる事になった。

 私の家の家賃と光熱費の七割を出してくれるという事で、私は二つ返事でOKしてしまった。


「あなたが、アリナさんですね。よかったー、会えてー」

「ああ、はい。シズルさん。私も貴方に会えてよかったです」

 実際に会ったシズルは、割と今風の明るい格好をしていた。

 いわゆる、原宿にいるような、地雷系女子みたいな格好をしている私と比べて、シズルは、対照的な印象を受けた。いかにも、人生を謳歌してそうな病んだ事なんて一度も無いんじゃないかという風のファッションだ。


 ただ、シズルの表情と声色は暗かったので、ファッションはポーズで、本当はもっと私みたいな可愛い格好をしたいのだけど、男受けの為に、彼氏にこんな感じの格好を強要されたと後で聞いた。


 彼女をしばらく泊める事にしたのは、家賃と光熱費を出してくれるというオイシイ案件だという事もあったが、単純な好奇心というものも強かったのだろう。

 DVされる女がどのようなタイプで、DVする男がどういう人間なのか興味があったからだ。

 

 シズルは私と同い年で、私は大学に通っている反面、シズルは高校を出てすでに就職しているのだという。そして今は五歳年上の彼氏と同棲している。その彼氏がどうしようもないDV男らしいのだ。

 SNS上では、最初は流行りの漫画の話題で仲良くなっていたのだが、次第にシズルの身の上話を、LINE電話を通して聞かされるようになった。


 大学の講義で受けている心理学と精神分析の授業の内容を聞くと、大体、DVされる女というのは、親子関係に問題があって父親からマトモに愛情を貰えなかった結果、本人が無意識的にパートナーに父親と似たような人間と付き合って、結果、父親にやられた事と同じような事をされる、みたいな事を聞かされた。

 他にも学校でイジメ続けられたせいで、自己肯定感が低い為に、無意識のうちに自分の自己肯定感を下げてくるようなDV男をパートナーに選んでしまうのだと。


 でも講義の知識だけでは詰まらないので、私はいわゆる“実物”である、実際にDVされている女に会って話を聞いてみたい。強い興味があった。



 DV彼氏のストーカー男は執拗に、シズルに電話を掛けてきた。

 LINEのメッセージも途切れる事が無いらしい。

 私はシズルに着信拒否とLINEをブロックするように言ったが、シズルは「怖くて、後でどうなるか分からない」と答える。

 電話は多い時は、一日に50件以上もあって、LINEのメッセージの量も膨大なものになっているらしい。

 着信拒否は怖くて出来ないが、同時に電話を取って、怒鳴られるのも怖いとシズルは言う。

 

 少しだけ一方的なLINEの内容を見せて貰ったのだが。

主に“俺が悪かった、謝るから帰ってきてくれ”から始まって、後から、どんどん“これ以上、俺を怒らせるな”といった文言の後に、罵詈雑言が延々と続いていた。


 ちなみに罵詈雑言の内容を少し話すと……。

“いい加減、連絡を返さなければ、口の中に電球を突っ込んで顔面を殴ってやる”。

“髪をつかんで、割れたガラス瓶の上に裸のまま引きずってやろうか”。

“真冬になったら、下着だけでベランダに夜中、放置してやるからな”。

“煙草の吸殻の束を、ウォッカと一緒に飲ませてやるからな”。


 何をどう考えて明らかにヤバいDV男だった。


 シズルの彼氏の名前は、テツヤと言うみたいだ。

 元々はメンズ地下アイドルやホストをやっていたらしいのだが、シズルがぞっこんで惚れ込んでいたら付き合う事になったらしい。しかも、そういった経歴でありながら結構な高学歴みたいだった。


「なんか。プライドの塊みたいで、いかにも女殴りそうな奴ねぇ」

 私はシズルの話を聞きながら、そう適当に頷く事にした。


 ちなみにシズルは、テツヤからのヤバい罵詈雑言の文章を見るたびに、何処か「彼はそれ程までに私の事を徹底的に傷付けたい程に、私の事を愛してくれているんだ」といった表情をしていた。……もはや、感覚がおかしくなっているのだろうか。

 


 私が大学から帰ってきて、しばらくすると、シズルも仕事から帰ってくる。

 シズルの荷物はまとめられて、私の部屋の隅に置かれていたので、私は特に彼女の事を意識しないようにしていた。シズルの方も私に対して最初、配慮していたが、だんだん私を意識しなくなっていた。合鍵も最初の頃に渡していたので、なおさら、楽だった。

 ……というか、シズルの方は、私を気に掛ける余裕が無くなっていった、といった感じなのだが。


 シズルは、テツヤの幻覚に悩まされているみたいだった。

 会社の行き帰りにも、私の部屋にいる時も、テツヤからの罵詈雑言が聞こえてくるのだと言う。PTSDの症状かな?と思って、私は心療内科に行く事を提案した。シズルは首を横に振って。

「テツヤとの関係を終わらせるまでは、まだ行けないよ……」

 どうやらシズルは、まだテツヤとの関係性に悩んでいるみたいだった。

 共依存という奴なのだろうか。

 シズルはテツヤのDVに耐えられないのと同時に、テツヤがいなければ生きていけないといった事も口にする。

 警察に相談すれば?とも提案したが、テツヤを警察に突き出すわけにはいかない、とも言う。

 これだからメンヘラは面倒臭いなあと私は思いながらも、彼女の話を適当に聞いていた。


 そうして、私とシズルの共同生活が二週間程、続いた。

 元々、不健康そうな顔をしていたが、シズルは眼に見えてやつれていった。

 まあ。

 私に直接的な被害が無ければそれでいい。

 浮いた家賃の分は、すでに貰っているので、私はそのお金でお気に入りのアクセサリーを買ったりしていた。面倒臭い女だが、私はシズルを置いておくメリットはあった。



 ある日の事だった。

 私は何気なくネットニュースで、最近の事件を見ていた。

 すると、こんな記事を目にした。


 〇〇県××市のアパートの冷蔵庫にて、バラバラにされた男性の遺体が発見される。

 男性は下村徹耶(しもむら てつや) 25歳。

 20歳の女性と同棲していたもよう。

 警察は同棲していた女性を重要参考人として、捜索中。


 今日の記事だ。

 死体を発見したのはアパートの管理人らしい。

 家賃滞納の件で、連絡したが、音沙汰なく直感的に異変に気付いた管理人さんが部屋の中に入ると、バスルームに大量の乾いた血の痕が見つかったらしい。

 その後、警察を呼ぶと、冷蔵庫の中からバラバラ死体が発見されたそうだ。

 検視の結果。死後、三ヵ月は経過していたみたいだった。


 被害者の下村の顔を見ると、シズルの彼氏だった。

 

「えっ。って事は、シズルは恋人を殺して、バスルームで死体をバラバラにした後。冷蔵庫に保管して隠していたって事?」

 私はそう結論付ける。


 シズルが私の家に来たのは、三週間程、前だ。

 シズルに連絡してきた相手は、何者だったのか?

 ……幽霊?なのか?


 ちなみに自慢では無いが、私は霊感を持っている。

 学校では、霊感少女と呼ばれていた程だ。

 何と言うか、極めて霊能者みたいなのだが。

 陳腐な言葉で言えば“シズルの周辺から霊的なものを何も感じなかった”。

 

 私は、むしろそちらの方が不気味で薄ら寒くなった。

 今は夕方の七時を過ぎている。

 もう一時間程すれば、シズルは私の部屋に帰ってくる。

 私は急いで、シズルの荷物を漁る事にした。


 すると、とんでもないものが見つかった……。

 それは、シズルがいつも使っているスマホとは別のスマホだった。

 スマホのLINEの中身を見ていくと……。


 なんと、シズルはもう一つのスマホで恋人のテツヤの名前で電話をかけて、更にストーカー的なLINEメッセージを送り付けていた。多い日では、電話は100回以上もあったし、LINEの内容も凄まじく不気味なものだった。


 ……殺した恋人を自分で演じて、自分自身に嫌がらせの電話やLINEを送り続けていた、という事になる。私の前で電話が掛かってきた時は、片方の手で恋人のフリをして、もう片方の手で電話に出ていた、という事か? 更に、シズルは恋人のSNSアカウントを使って、自分のSNSにストーキングをしてくる、とも言っていた。DMなども私は見たような気がする。


 そして、更に最悪なものがシズルの持ち物から見つかった。

 それは、布に包まれた、凶器に使われたと思われる、大型の牛刀とノコギリだった。


 玄関に気配を感じた。

 私はシズルの荷物を急いで戻した。


 がちゃり、と。

 玄関の鍵が開く音が聞こえた。


「アリナー。ごめん、今日、会社早く終わっちゃった」

 スーツ姿のシズルが部屋の中に入ってくる。

 

 眼がいつにも増して、空ろな表情をしていた。

 

 私はなるべく平静を装いながら、ベッドの上に座った。

「はあー。シズルー。なんか、今日、外食したくなったんだよねー。そうだ、パクチーって食べられる? 私、近くにあるエスニック料理店に食べに行きたいんだけどなー」


「なに? アリナ。今日?」

「あ、うん。なんか食べログ検索していたら、この近くにベトナム料理店を見つけてさー。外、行かない?」

 私はすでに、頭の中でシズルから逃げて、警察に向かう算段を考えていた。

「そう。そう言えば、アリナ。今日のニュース見た?」

「あ? 見てないけど、何か面白いニュースでもあったの?」

「あ、うん。大した事ないよ。推しのアイドルが新曲出したとか、そんなカンジ」

「そっか」


 シズルはスマホを弄っている。

 私もスマホを弄っている。

 逃走ルートと、今後の算段を考えていた。

 私の予想なら、シズルは…………。


「アリナ。私達、友達だよね?」

「うん? 急に何?」

「うんとね。検索したんだけど、この辺りにベトナム料理店なんて無いよ?」

 シズルの眼が何だか怖い。

 空ろで、何処か正気じゃない。

「ああ。この辺りにあると思ったのは、私の勘違いか。でもほら、たまには外食しようよ」

「…………。テツヤからねぇ。さっき電話があったんだよ。だから私、体調が悪いって言って、会社早退してきたの。テツヤがこの家を見つけたんだって。許さないって息巻いていた。もしかしたら、かくまっていたアリナも、酷い眼に合うかもしれない……」

「…………。そう。なら、今夜はなおさら外食しに行こうよ」

「ううん。一緒に家にいて欲しいな」


 私はもう、シズルを会話で説得する事を諦めた。

 スマホと財布を手さげのバッグに入れる。


「はあー。私は外食したいの。鍵かけて篭っていれば、心配ないって。だって、しょせん生きた人間でしょ?」

 私は呆れ顔を作りながら、玄関へと向かった。


「待ってよ、アリナ」

 シズルは底知れないドスの声を聞いた声を出した。


「……もう、気付いているんでしょ?」

 

 私はその言葉を無視して、そそくさと玄関で靴を履く。

 こんな時、走りにくい厚底シューズしか無い事が非常に悔やまれる。


「待ってよ。一緒にいてってばっ!」

 シズルは仕事用の鞄の中から、大きめの包丁を取り出した。

 彼女の眼は鬼のように血走っていた。

 私は必死で玄関を開けて、外へと逃げる。

 がつん、と。

 包丁が玄関の扉のあたる音がした。

 ガシィ、ガシィ、ガシィ、ガシィ、と、何度も何度も何度も何度も、包丁を突き立てる音が聞こえた。


 私は途中で走りにくい、厚底ブーツを脱いで、素足の上に靴下でコンクリートの上を走っていた。砂利が足の裏にあたって痛かったが、気にしている余裕なんて無かった。

 後ろから、シズルの喚き声が聞こえていたが、私は走りながら警察に電話を入れた。

 程なくして、警察の車は到着して、シズルは拘束された。



 それから、一年近く経過した。

 今でも、私の住所宛てに拘置所にいるシズルから手紙が届く。

 アリナが大好き。出てきたら、またアリナと一緒に生活したい。テツヤがね、まだ近くにいて、私を殴るの。この前は頭にアザが出きちゃった。

 

 そんなヤバい内容が書かれている。

 まあどうせ、頭のアザが出来たなんて嘘を付いているか、自分でぶつけたものなのだろうが……。

 

 当たり前だが、よく分からない人間を助けるのは危険極まりない行為だなあ、と思いながら、私は玄関の傷をしげしげと眺めるのだった。


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『雨月奇譚』 朧塚 @oboroduka

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