段々状の人生模様

 湿地帯を抜けた途端とたん、総一朗の視界にはまず段々状の畑が入ってきた。次に認めたのは、くわをもった男が三人、四人、草を抜いているのは、五つ六つから七つ八つほどの童子わらべ

 十数人はいたはずである。

「や……」

 総一朗の足がまった。

 真吾はいない。

 山道の途中で別れた。総一朗は一人で茂平次に会うべきだと判断したからである。

 けれど今、の当たりにしているのは、総勢二十人ちかくのひとの群れであった。まさしく“群れ”といっていいほど、奇妙な円を描くように遊戯しているよつにもみえた。いやなんだかほのぼのとした気が、そのあたりだけに満ちているようにも思えてきて、総一朗はそののなかに足を踏み入れるのは躊躇ためらわれた。

 なにか触れてはならない神社の神域ようにもおもえた。きびすを返そうとしたとき、

「待たれよ」

と、声がかかった。

 高くはないが地響きを誘発するかのようなであった。

 くわをかついだ男の一人がゆっくりと総一朗のほうへ歩いてきた。

 刀は帯びていないものの、その足のりようは、明らかに武芸者のそれである。

「や……!」

 総一朗は理解した。あれはまさしく山﨑茂平次であろう。

 息を整え総一朗は待った。

「いずれの御家中ごかちゅうのおおかかの?」

 茂平次がいてきた。ここでいう“ご家中”とは、本来は、藩と藩との間で藩士たちが相手にたずねるときに用いられるものだが、おそらく総一朗のことを藩の重臣につかえる用人ようにんとでもおもったのだろう。馬場ばば番という卑役ひやくの茂平次にしてみれば、たとえ相手が陪臣ばいしんの者であろうと、配慮して丁寧な物言いをしたのであったろう。

 陪臣とは、藩公からみて、直臣じきしんの家来衆のことで、禄高ろくだかはあるかないような低さであっても茂平次は歴とした直臣なのである。

「あ……失礼いたしました……田原と申します」

「ん……田原……? や……寿か……おもっていたより、お若いの?」

「は……よくいわれます」

「して、何用なにようかの?」

「あ……じかにお会いして、申し上げたきことがあったのですが……立て込んでおられるようなので、日を改めさせていただきます……」

「ん……いやに遠慮深いの……数々の論敵を舌先三寸したさきさんずんでほうむってきた米寿さんらしくはなかろうて」

「いえ、ご来客中とは知らなかったもので……」

「あ、あれは……客ではない、家族だよ」

「は……?」

「丘の向こうの家には、もう、二、三十人ほどおる……いや、家と申しても勝手に建て増しした掘っ立て小屋のようなもの」

「は……?」


 珍しく総一朗はうろたえていた。茂平次の言った意味がまったくわからないのだ。

 すると、そのまま草叢くさむらの上にどかっと尻餅をつくように腰をおろした茂平次を真似まねて、囲碁をかこむかのように総一朗も座った。

「……てていくんじゃ」

 ぼそりと茂平次が言った。

「は……? なにを? でございますか?」

じゃ。産まれ落ちて間もない赤子あかごを家の前に置き捨ててゆくんじゃよ。父の代からだ。もともと父は商家の生まれで、遠縁とおえんの山﨑家に貰われてきたんじゃがの、根っからの世話好き人好きでな、そのおりから棄てられた赤子を育てきた……だから、わしには兄弟が二十人ほどおる」

「なるほど……それは知りませんでした」

「わしの代になっても、年に数人は家族が増えていく」


 そこまで聴けば、総一朗にはなぜ“譲りの茂平次”と呼ばれているのか、その理由に得心がいった。茂平次は譲りたくて“利”を譲ってきたのではあるまい。そうすることで、いくばくかの実入りを獲得し、大勢の家族の暮らしのために役立たせてきたのであったろう。


「ご出世は……望まれませぬのか?」


 どんな答えが返ってくるのかあらかた見当はついていたが、あえて総一朗はたずねてみた。

 すると、茂平次はその問いは無視して、いきなり、

寿は……道場の師範代の座に固執していると聴いたが、まさかそのような肩書きにこだわるうちは、まだまだ若いの」

 幾分、揶揄やゆとげを含んだ茂平次の語調であった。けれど、総一朗はたった一言いちげんで、それを切り崩した。

「……わたしは旅に出るつもりなのです」

「な、なんと?」

「産まれは……彦根なのです。浪人の父は、井伊家への仕官しかんを願っておりましたが、それがかなわず、わたしが物心つくかつかない頃、この神坂こうさかの御領内に流れつき、新規召し抱えとなりました。わたしは、再三に渡り、十年の遊学廻行かいこうを願い出ているのですが、なかなか、実現しません。そんなわたしが、どうして道場の師範代の座を狙うでありましょう。善さん……いや、小此木善右衛門どのを、剣術指南役に推挙申し上げたのは、ほかでもない、わたしなのですから」

「・・・・・・」


 口をぽかんと開けたまま茂平次は総一朗のことばに素直に耳を傾けていた。


「……さようか……すまぬ、どうやら、わしは勘違いしておったようだ。いや、わしをめようとしたやからがおる……」

「それは……?」

「最初、人を斬れと命じられた」

「わたしをでしょうか?」

「さにあらず。江戸から戻ってくる御仁ごじんをな。だが、剣の同門ゆえ、斬ることなどできぬと断った。すると、日をおいて、こんとは、米寿さん、あんたと立ち合うべし……とさとされた。師範代の座を賭けて、だ。わずかとはいえ、安定した収入はありがたいでな」

「なるほど、背後で絵図えずいている者がおるようですね。その心当たりもおありのようだ……おそらくは、一羽流いっぱりゅうのご同門……三羽烏さんばがらすの……」

「待て……そこまでにしておけ。みなまで申すな。どうじゃ、せっかくだ、泊まってゆかんか、草粥くさがゆなど進ぜよう」


 意外な申し出に、総一朗は迷うことなく答えた。

「それはかかたじけのうございます。ありがたく……」


 すると、茂平次はぼそりと言った。

「……わしも変人じゃが、米寿さん、あんたも相当変わっとるの」

 それから汚れた歯をみせて愉快そうに笑い立てた……。

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