エピローグ ☆☆

 早春の日暮れどき。

 広く清潔な、居間とおぼしき部屋。

 ある家族の団欒だんらんを、ちょっとのぞいてみよう。


 本を読む夫と夕食の支度をする妻、そして暖炉の近くには老人と少年がいる。

 祖父と孫だろう。

 老人は安楽椅子に座り、少年は床にべったりと腰を落とし、甘えたように安楽椅子の肘掛に両のてのひらと、その上にあごを乗せ、少し上向き加減で、しわの深い老人の顔を見つめ、話に聞き入っている。


「……というお話じゃ」


 と、老人は物語を終えた。

 孫の目には好奇心の光が宿っている。


「ねえねえ、お祖父ちゃん、それで勇者様はどうしたのさ。魔王になっちゃうの?」

「うーん、どうかのう」

「ズルい! 続きが聞きたい」

「ふぉっふぉっ、そうか。だがまあ、続きはまた明日じゃ。なにしろ長い物語じゃからな」

「魔王になって、ヒト族を滅ぼしちゃうとか」

「それはないのう。今の人類はじゃからな。どちらかの側が滅んでいたらワシも、お前のお父さんやお母さんも、つまりはお前も生まれて来ないことになるわい」


 老人は、その分厚い大きな手で、嬉し気な孫の頭を優しくでる。


「じゃが、そんな幸せな結末に至るには、まだまだ多くの冒険が待っておる。魔王城から脱走を図ったり、トビバッタや鼠の数億もの大群が来襲したり、獣王という途轍とてつもなくしぶとい敵と戦ったり」

「それから? ねえ、それから?」

「危険な巨大遺跡を宇宙に飛ばして消し去ったり、海賊達と力を合わせて勇ましい大海戦を展開したり、天使とも幾度となく戦うぞ」

「ふーん。天使様って本当にいるんだ」

「どうじゃろうのう。あれは本当にお前が思うような天使だったのか」

「偽物なの?」

「まあ、難しいところじゃな。他にも、無限に増え続けるアンデッドの軍団を滅したり、そうして、かた。おお、3000人もの昼食や10万人分もの祝宴料理を作ったり」

「そう、それだよ! 冒険もいいけど、美味しい料理もたくさん出てくるんでしょ」


 少年の目の好奇の輝きは更に増す。


「当然じゃ。お前の大好きな、メレンゲをたっぷり入れてふわふわに焼き上げたパンケーキに、たっぷりのフルーツやアイスクリームを乗せて食べたりする」

「うわあ! 聞いただけで口がとろけそう」

黄金こがね色に輝く上品なコンソメや、様々なパスタ料理、揚げるのではなくフライパンで焼いて作るオリーブオイルの香り豊かなミラノ風カツレツ、海賊の提督が振る舞ってくれる本格的なスパイスカレー、豪華な海の幸や山の幸のバーベキュー、ぜいを尽くした祝宴のフルコースなどなど」

「僕、もう、御祖父ちゃんの話を聞いてるだけでお腹が鳴りそうだよ」


 ここで母親から声がかかった。


「あら、じゃあ丁度良かったわ。夕ご飯が出来たわよ」


 白木の一枚板のテーブルに並べられたのは各種の料理。

 外はもうすっかり暗くなり、暖かな灯りの下、見るからに食欲をそそる品々が家族の夜を否が応でも盛り上げてくれそうだ。


 まず少年が急いで席につき、次に祖父と母親、最後に父親が椅子を引きながら


「おお、今日も美味しそうだなあ」

「さあさあ、とにかく冷めないうちに食べましょう」


 そして始まる一家の夕食。


 まずオードブルには牡蠣かき

 片側の殻を残したままの牡蠣の身にシャンパンをかけ回し、ふっくらと蒸しあげた、いわゆるシャンパン蒸しだ。

 上にかかるソースは鍋に残った汁を一旦して、そこにバターを入れて煮詰めたもの。

 シャンパンとバターのいい香りがして、勿論、子供にも食べられるようにアルコール分をしっかり飛ばし、上には軽く香草が散らしてある。

 これにまず喜んだのは父親だった。


「おお、これは洒落しゃれてるなあ」


 食べてみると、蒸し具合も中までちゃんと火が通るか通らないかのぎりぎりの仕上がり。

 牡蠣独特の磯っぽい風味もたっぷり。

 熱を加えたシャンパンとバターの香りも相まって、これからの料理に更に期待を抱かせる前菜だ。


 次はサラダ。

 ホウレンソウの柔らかい所を放射線状に並べて、その上にゆで卵をすりおろしたものを散らし、ドレッシングを軽くかけ回してある。

 ホウレンソウのミモザサラダだ。

 野菜の濃い緑にミモザの白と黄色がえている。

 ドレッシングはマヨネーズをベースに、ケチャップとピクルスのこま切れを混ぜたサウザンド・アイランド。

 食材の質が良いのだろう。ホウレンソウも卵の黄身の味も、色と一緒で濃厚だ。

 しかし少年は、あまり生野菜が好きではないらしい。


「ちゃんと食べないと、他の料理は食べさせないわよ」


 などと、二度も三度も母親に注意されながら、やっとのことで食べ進む。


 白いスープはクラムチャウダー。

 これは逆に少年の大好物。

 カップに顔を近づけると、クラムから煮出した出汁のいい匂いがする。

 口に含めば塩胡椒の味と小さく刻んだ貝の風味と独特の食感。

 さいの目切りにしたジャガイモをじっくり煮込み、それが適度に溶けたものは「とろ~り」でもあり、「しっとり」でも「ほくほく」でもある。

 薄切りにしたセロリも、素朴な美味しさにすっきりとした華やかさを加えるアクセントになっている。

 これらが混然一体となった熱々のスープをスプーンにすくい、ふーふー息を吹きかけ冷ましながら味わう時の多幸感がクラムチャウダーの魅力だろう。


 魚料理はます

 清流ゆたかな川で育った大ぶりの鱒は、今や釣れたその日の内に遠く離れた都会の店頭にも並ぶ。

 切り身にしたそれに軽く塩胡椒をし、小麦粉をまぶし、バターでソテーする。

 そう。鱒のムニエルだ。

 白いその身は熱を帯びてふくらみ、微かな焼き目が食欲を刺激する。

 添えてあるレモンの切り身を絞って食べる。

 家庭料理らしいシンプルな一品だが、それだけに素材の旨味が引き立つ。新鮮なだけに、川魚にありがちな癖や生臭さが全く無い。

 老人は余程この料理が好きなのだろう。


「おお、トラウトかい。ふぉっふぉっ」


 などと、揉み手をせんばかりに喜びながら、年齢に似合わぬ健啖さを見せる。


 そしてパエリア。

 サフランライスの黄色、上に乗せた薄切りのパプリカの赤と緑、それに海老やソーセージ、輪切りのイカやパセリ、トマトなどの具材の色が複雑に映えて鮮やかだ。

 オリーブオイルとサフランの香りに具材の匂いが混じり合った、何とも言えずいい匂いが漂う。

 味も上出来なのだろう。一口食べてみるなり母親の笑顔が増した。

 コメは長粒種だが、オリーブオイルやサフランとの相性も絶妙。ふわっと軽くぱらぱらで、しかもほんの僅かに芯を残して炊き上げたアルデンテ。

 トマトやソーセージや魚介の味がコメに沁み込んで、海老の頭から出たミソの風味もかすかにあり、イカやタマネギなどの具材はそれぞれが違う旨味や食感を楽しませてくれる。

 仕上げに10~20秒ほど強火にかけて、わざと作った少々の「おこげ」もぱりぱりと香ばしい。


 メインのローストビーフはステーキ風の厚切り。つまりプライム・リブ。

 岩塩で包みオーブンで数時間もかけてじっくりと焼き上げたサーロインのかたまりを、更に少し寝かせておき、食べる直前に切り分ける。

 肉汁が全体に十分に回り、身がほんのり綺麗なピンク色だ。

 濃厚なソースと、すり下ろしたピリリと辛いホースラディッシュ、そしてサワークリームをつけて食べる。

 割合は各人のお好み次第。

 父親はホースラディッシュが多め。少年はというと逆に全く無しで、ソースにサワークリームをたっぷりと。

 ステーキとはまた違う見た目の美しさと柔らかさ。岩塩で旨味を増した肉の味わい。野菜と肉の味が溶けたソースはもちろん、爽やかな酸味を与えてくれるサワークリームは外せない。

 やはり肉料理の王様と言うに相応ふさわしい重厚、華麗な美味しさだ。


 軽く焼いてスライスしたバケットは、それだけで食べてもいいし、バターを塗ったり、オリーブオイルと岩塩でも、炒めた刻みニンニクを少し乗せて「ガーリック・トースト」でも、それらの上にパセリを振ってもいいだろう。

 横には小さな鉄鍋で熱して溶かしたチーズが添えてある。これに浸して、チーズ・フォンデュ風にして食べれば、また別の味わい。


 老人は思う。

 これらも皆、勇者と呼ばれたあの少女と仲間が古代のレシピを復活させて今に残してくれた料理なのだ。

 今日、孫に話してやったように、彼もまた幼き日に祖父から聞いた遥か昔の物語。


 食後のデザートは今日はいちごのタルトらしい。

 ばりぱりとしたパイ生地の食感と、季節も終わりかけの苺の甘味、酸味を楽しみながら会話を弾ませる息子と妻、そして孫。

 老人はしかし席を立ち、窓辺に置いてある椅子に腰掛けて外を見る。


 

 そう。ここは数千万の人々が住む大都市。


 どの建物も窓のほとんどには灯りがともり、眼下はるか彼方は昼のように明るい。

 魅力的な人々が行き交い、様々な交通機関が走り、無数の店舗や施設がある。

 街全体が刺激的な生活、娯楽、利便に溢れている。

 この繁栄は全て遠い昔、かの勇者と仲間たち、我々の祖が勝ち取ってくれた自由と平和の上に築き上げられたものだ。

 そして繁栄は大陸全体に及び、今や魔導大戦で荒廃を極めた他の大陸までもが復興しつつあると聞く。


「だからこそ、もしかすると」


 老人は思いをめぐらす。

 この繁栄の中、人類の文明はまた、どこかで破滅の道を歩み始めているのではあるまいか。

 物語の冒頭にあるように。

 もしかすると、破滅に向かうのは人類だけではなく生物の習性、この世の全ての逃れ得ぬことわりなのか。

 そう、あらゆる人が生まれた瞬間から例外なく死に向かっているように。


 だが、それは考えないようにしよう。

 大切なのは、明日への不安にとらわれず今日の幸福に感謝することだ。

 そうすれば、きっと明日はもっと幸福を感じられるだろう。

 日々、何かの失敗をすれば修復を試み、全てが駄目になったら無からやり直せば良い。常に今この瞬間の最善を考えて生きよう。


 人類の文明もそうだ。

 一人ひとりが今の幸福を目指して生きるからこそ文明は進歩する。

 そして、明日は自らと子供たちは、更に幸福になれるだろう。

 進化の方向を誤って再び破滅を迎えるとしたら、それは仕方のないことだ。


「それでも」


 生き残った者たちは再びたくましく未来を切り開くと信じたい。

 そう信じなければ、誰も今日を生きられまい。


「お祖父ちゃん」

「おおっ!?」


 孫の大声に老人は思わず振り向いた。


「何じゃ?」

「はい。苺のタルト」


 老人は顔をしかめる。

 家族にはあまり言わないが、先祖の習性が色濃く残っているのか、実は野菜や果物があまり好きではないのだ。

 先程のサラダも、頑張ってやっと食べたばかりなのに。


「それはお前が食べなさい」

「えーっ。せっかくお母さんが作ったんだよ」


 困った。

 なんとか孫をなだめすかしてテーブルへと戻す。

 これはやはり、明日はまた物語の続きを話してやらねばなるまい。

 ヒト族と魔族だけではなく、亜人や魔獣の話もたっぷりと。

 そしていずれは、最後の戦いの後に姿を消し再び冒険の旅に出た勇者が、実は何者であったかも。

 今も当時と変わらぬ少女の姿で世界のどこかを旅している、と戦っているとも聞くが、それはさすがに伝説の類であろう。


「ふふふ。だが、そうだとしたら凄いのう」


 と、独り言を言う老人の名は

 何代目であろうか。それとも偶然に同じ名前を持つだけか。

 まさか前世の記憶を宿した転生体か。

 その耳は鋭く尖り、尻尾の漆黒に艶光つやびかりする毛並みは鮮やかだ。


「吾輩も久し振りに元の姿に戻って御一緒したいものである。さぞや楽しいだろう」


 この姿をかの少女が見れば


「あはは~っ! バベル君、老けたーっ、エラソーっ。笑えるぅ」


 などと言うのであろうか。



 遥かな未来、人々は語り伝える。

 昔々あるところに一人の運命の少女が…………

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