第1話その3
放課後、Aに理科準備室まで呼び出された。
Aは、この高校では珍しい若い教員だ。
ものすごい美形というわけではないが、整った顔立ちをしていて、すれ違うと香水とは違う、花のようないい香りがすると話題になったことがある。
授業中もふくめ、ほとんどプライベートを明かさず、仮にきかれたとしても話を逸らして誤魔化してしまう。
そして、滅多に生徒を呼び出さず、生徒と個人的な関わりを持たない、ミステリアスな教師という認識だった。
だから、私が呼び出されたことについては、クラスのほとんどの生徒が過剰な反応を示していた。
一体何をしたら呼び出されるのだ、と、ちょっと羨望的なものも入っていたと思う。
自分は何故呼び出されたのか、大体検討がついていた。
昨日の件だろう。
第一理科準備室は、北校舎の3階、西の端に位置している小さな部屋だ。
中庭で活動している吹奏楽部のトロンボーンの音を聴きながら、柔らかいオレンジ色に包まれた廊下を突き当たりまで進むと、Aが廊下の壁にポスターを貼っていた。
「先生、来ました」
「あ、ごめんごめんちょっと待ってて」
床には丸まったポスターが数個落ちていた。
「手伝います」
「ありがとう」
二人で並んでポスターを貼っていると、Aは話し出した。
「わかってると思うんだけど、呼び出したのは昨日のことを話したかったからだよ」
「そうだと思ってました」
Aは作業の手を止めず、淡々と質問を始めた。
昨日のいつ、どこで、どんな様子の彼女を見たのか、一人だったか、他に人はいなかったのか……。
凡そ想定内の話だった。
ただ、「クリーム色の傘」の話をした時だけ、反応が少し違った。
「傘を持ってたの?」
「はい。こう、手首の辺りにぶら下げていて。それか握っていたかも。少し揺れていたから、印象に残っていて」
「そう……」
Aは壁に貼られたポスターをじっと見つめていた。
会話が途切れたところで、話は終わった。
帰り際に、後ろを向いた瞬間、フワリと花の香りがした。
あ、と思ってAの方を振り返ると、目が合った。
「先生、何か香水とか付けてます?」
「いや、何も。それ前にも誰かに訊かれたけど、何なんだろうね」
「何か、花のような香りがするんですよ」
「そうか。それは悪くないけど……」
不思議そうな顔をしていた。
それ以上その香りを嗅いでいたら、自分もAのことが好きになってしまうんじゃないかと錯覚してしまうような気がした。
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