僕の帰る場所

紗音。

子どもの心親知らず

 空からお日様が少しずつ顔を隠し始めている。

 いつもなら、まだいち姉が来る時間では無いので教室で俺・荒巻あらまき完史かんじはおこちゃまどもと遊んだり、まゆみを口説いたりしている。


 だが、今日は違う。

 今日は金曜日だ。俺はいつもとは違う大きなリュックを背負って幼稚園の玄関に座っていた。足をパタパタとさせながら、もうじき来る人を待っていた。

「かんじくーん。お母さん、来たよ」

 まゆみの声に俺は顔を上げた。

 目の前に笑顔のまゆみがいる。その先には笑顔で微笑んでいる母ちゃんがいた。

 まゆみに頭を下げる母ちゃんに合わせて、俺もまゆみに頭を下げた。

「まゆみせんせい、またね」


 家に帰る間、母ちゃんは俺の手をギュッと繋いで歩いている。俺が顔を上げると、優しい笑顔を向けてくれる。


「おじゃましまーす」

 そう言って、俺は洗面所へ行って手を洗う。背の小さい俺のために買ってくれた踏み台のおかげで、俺は一人で手が洗える。


 ばんごはんはなにがいい??


「うん。……ぼく、かあちゃんがつくるハンバーグがいい」

 俺がそう答えると、母ちゃんを両手をギュッとこぶしを作って任せろと言うような表情で俺にピースサインを向けた。


 夜食の頃には、父ちゃんが帰ってくる。

 俺は頭を下げて、そのまま席に着いた。机の上には大きなハンバーグが置かれていた。

「いただきまーす」

 俺はそう言うと、静かにご飯を食べ始めた。

 ご飯中、母ちゃんと父ちゃんは手をせわしなく動かして笑っている。

 きっと俺にはわからない、二人だけの合図なのだろうと思いながら、俺は黙々とご飯を食べた。


 ご飯を食べ終えたら、キッチンまでお皿を持っていく。そうすると、母ちゃんが受け取ってくれるのだ。


 おいしかった??


「うん!!ごちそうさまでした」

 そう言って俺が深々と頭を下げると、母ちゃんは手をいてから俺の頭をでてくれるのだ。


 それから俺は一人でお風呂に入る。

 父ちゃんが、男ならもう一人で何でもやらなければいけないと言ってたからだ。

 そして、夜の寝るときも一人だ。


 おやすみなさい。


「おやすみなさい」

 母ちゃんは俺が部屋に入るまで、ずっと見ているのだ。俺が振り返ると、嬉しそうに手を振ってくるのだ。

 俺は扉を閉める直前まで、母ちゃんを見つめながら手を振るのだ。


 俺は真っ暗な世界が嫌いだ。

 お外は真っ暗で、誰もいない。

 真っ暗な世界にいると、俺はこの世界で一人ぼっちな気がしてしまう。

 布団に丸まりながら、早く明日になることを願う。早く明後日になることを願う。


 ……


 日曜の夕方、俺はリュックの準備をして玄関に座って待っていた。母ちゃんが居間で待とうと言ってたけど、父ちゃんと母ちゃんの楽しいひと時を邪魔するのは良くないと思う。


 ピンポーン


 インターホンの音に俺は反応し、すぐに扉を開けた。そこには、バイト帰りのいち姉がいた。

「おっお出迎えですかー。いち姉が恋しかったかな??」

「ちげぇよ。いちねえがおれをこいしがってたんだろ??」

 そう言うと、いち姉は大笑いしながらその通りだと言いながら、俺の頭をガシガシと乱暴に撫でた。


 またらいしゅう、たのしみにしてるね


「おせわになりました。またね」

 俺はそう言って母ちゃんに手を振った。母ちゃんは少し寂しそうな顔をしていた。

 母ちゃんと違っていち姉は乱暴だ。帰り道は自転車で歩いた道を戻っていくのだ。

 一瞬で通り過ぎる世界は、俺のいる世界と別の世界のようだ。


「たっだいまー!!」

 いち姉は元気よく玄関の扉を開けた。

「お帰り。扉が壊れるから、もう少し丁寧ていねいに開けてくれる??」

 リビングからにい姉が顔を出して、いち姉に怒っている。

 ワーワー騒ぎながらも、二人はとても仲が良さそうだ。

「……完史??」

 いち姉が俺の方に振り返った。俺は驚いて、目をパチクリさせていた。

「あんた、玄関で突っ立ってないで、ちゃっちゃとおいで、ほら」

 そう言って、いち姉はしゃがみ込んで俺に向けて両手を広げた。

「……たっだいま!!」

 俺はそう言うと、急いで靴を脱いで、いち姉目掛めがけて突進をした。

「うぉっ!?いったいなーもぅ」

 そう言いながら、いち姉は俺をギュッと抱えてくれた。

「おかえり、完史」

 にい姉の声が聞こえてきたので、俺はにい姉の方に向き直した。

「にい姉、ただいま!!」

 騒がしかったのか、リビングからさん姉が顔を出した。

「あっ、さん姉ただいま!!」

 そう言うと、さん姉はニコッと笑って何かを言っていた。

「完史、おかえりなさいって言ったのよ」

 にい姉がそう言って、メガネをくいっと上げた。その姿は、幼馴染みのゆたを思いだす仕草だ。

 俺はヘラヘラと笑いながら、いつものようにみんなでご飯を食べて、さん姉と一緒にお風呂に入った。


「んっ??完史……どうした??」

 部屋の電気を消して寝るときに、俺はいち姉のベットの前に立っていた。

「ねぇ、きょうはおててつないでねてくれる??」

 俺がそう言うと、いち姉は布団を広げておいでと言ってくれた。俺は持っていた枕とともにいち姉にダイブする。

「きゃー完史ったら夜這よばいは駄目よー」

 俺をギュッと抱きしめながら、いち姉は楽しそうに言った。

「よばいってなに??」

 俺が質問すると、いち姉は目を閉じて寝たフリをする。

「ねぇねぇ??それってまゆみにいったらどーなるの??」

「ちょっ、真由美先生にめっちゃ怒られるからやめて」

 いち姉は真顔で俺を見つめてきた。俺は何かわからないのに、まゆみに披露ひろうなんてできるわけがない。

「よっし!!完史には特別に良いものを見せてあげよう」

 そう言うと、いち姉は俺を抱えながら立ち上がりベランダへ出た。


「わぁっ」

 真っ暗で怖いお外、まるで自分は一人ぼっちなのだと感じるようなお空が、今日はキラキラと輝いているのだ。

「今日はここら一帯が停電するって言ってたからね。いつも以上にお星さまが見えるのよ」


 俺はこの日、初めて真夜中まで起きていた。

 子どもは寝る時間だと言われていたが、今日だけは特別だといち姉は言ってくれた。

 いつも真っ暗で怖いお空も、お星様やお月様を輝かせるスパイスのようなものだといち姉は言っていた。

 今日みたいな日があるのだとわかったら、少しだけ真っ暗な世界も悪くないかもと思った。

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僕の帰る場所 紗音。 @Shaon_Saboh

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