夜の訪い

 長老が王との会談を終え、自宅に戻ると、すでに荷物の搬入は完了し、商隊は少し前に引き上げたとのことであった。孫娘たちの部屋をのぞくと、今回届けられたインド産の香料の入った小ぶりの革袋をふざけて奪い合っていた。

 「こらこら、あまり騒ぐでない。病人が寝ているのだから」

 「あら、ごめんなさい。おじいさま。お昼前までは苦しそうなうめき声が聞こえてみんなで心配してたのよね。でも、今は静かだから、昨日のように治療に出かけていると思ったの。よく見ると、布にくるまって寝ているのね」

 年長の娘が答えると、それを機に娘たちは連れだって中庭の方で出ていった。長老は、頭まで布で覆っている病人の寝床を少し整えてやり、いつもより遅い午睡をとるために部屋に戻った。


 陽が完全に沈む頃、王子が長老宅の勝手口に現れた。夕食の片付けも終わり、台所はひっそりとしている。玄関側の門には常時兵士が立っているが、勝手口の方には主に裏庭の倉を見張っている兵士が時々巡回にくるだけである。王子は少し待って、兵士が勝手口へやってきたところを見計らってその姿を現した。

 「王子ではないですか。どうされたのですか」

 「目が痛み出したので、長老に見てもらいたい。玄関からでは目立って大事になるので、こちらに回ってきた」

 「では、少々お待ちください」

 兵士は建物脇を小走りで正面玄関に向かった。少しして、勝手口が内側から開いた。兵士から言われたのであろう召使の老女が戸口の脇に立って、王子を迎え入れてくれた。長老の家とはいえ、屋内の通路には夜間でも灯はない。しかし、間取りが頭に入っている王子は、まっすぐに娘たちの部屋へ向かった。

 部屋の灯はすでに消えており、娘たちがひそひそと話す声だけが聞こえてくる。王子は躊躇なく部屋の中に入っていき、目当ての娘の枕元に立った。その気配に気づき、孫娘たちが半身を起こす。

 「私だ」

 その一言で、孫娘たちには王子であることが分かり、王子が何のために部屋に入ってきたのかも察した。

 「目はどうだ。痛むのか」

 王子が片膝立ちになり、寝床の上で布にくるまっている娘に向かって話しかけた。しばしの沈黙後、沈黙に耐えかねた孫娘の一人が代わりに答えた。

 「食事もとらず、ずっと寝ているみたいです。痛み止めの薬草でも飲んでぐっすり眠っているのかも」

 王子はもうしばらく様子を見ていたが、布の中からは一切反応がない。王子が屈みこんで、布に包まった娘の頭部と思われる位置に耳を近づけてみる。寝息は聞こえず、そこに人の気配はない。王子は心配になり、慌てて布をめくりあげた。

「どういうことだ」

 寝床の上に寝ていたのは王子が探す娘ではない。暗がりに目が馴れた王子の目に映ったのは、人の背丈ほどの藁の束であった。

 長老の孫娘たちも言葉を失っている。その様子からすると、彼女らは何も知らないに違いない。王子は怒りを抑え、答えを知っているはず人のもとへ向かった。その部屋には燭台に小さな灯が点っていた。

 「あの娘はどこですか、長老」

 寝床の上で壁にもたれながら、巻物を繰っていた長老がゆっくりと顔を上げる。

 「王子こそ、こんな時間にどうしたのか」

 「娘に会いに来ました」

 炎の揺らぎのせいか、一瞬長老の表情が歪んだように見えた。長老は再び巻物に目を落とした。長老が自分の問いに答える気がないとわかり、王子は思わず大きな声が出そうになった。とっさに深く息を吐くことで、なんとか怒りを抑え込む。

(それなら、自力で娘の居場所を見つけ出してやる)

 長老を睨んだまま、考えに集中する。

「自分の村に帰ったと考えるのが普通だが、それならこっそり送り出す必要はない」

 王子はわざと自分の考えを口に出し、わずかな灯の中で見える長老の様子を伺った。

 「この都市の中で娘にとって長老の家より安全な場所はないだろう」

 そうは言っても、娘はここにいないのは確かで、別の場所へ連れ出されたことは間違いがない。しかし、どこへ、だれが目の見えない娘を運んだのか。

 「昼に父と話している時は、娘はまだ回復をしてないと話されていましたが、すでに追放刑を受けられるほどには回復していたのですね」

 王子の皮肉にも長老は表情を変えず、巻物を読み続けている。

 「とはいえ、目が見えない娘が一人のはずはなく、連れ出した者がいるはず」

 王子は長老の反応の薄さで、かえって自分の推測が核心に近づいている手応えがあった。

 「ドルイドたちであれば、せいぜい周辺の部族の街や村までしか連れていけまい。軍を率いた者であれば、遠くまで行けるが、父の許可なくそれを引き受ける者は思い当たらない」

 王子の探りには無反応で応じながらも、長老は内心王子の推測の鋭さに感心していた。考えることや覚えることが苦手ではなかったが、関心がないことには真剣さを欠き、長老の教え子としては決して優等生ではなかった。一方、戦士や将軍としての技量や素質については、この若さながら王族内でも一目置かれ、父王の期待も大きい。その王子が今恋焦がれる娘の居場所を探すために、本気になっていた。

 「王子は、娘を妃にするつもりか」

 無言を貫いていた長老が突然王子に問いかけた。

 「それは、娘の父も期待、いや強く求めていたことです」

 「しかし、今や王にそれを受ける気はあるまい」

 「父には正妻にすると言わなければ、館以外の別宅に住まわせておくことに反対されぬ自信があります」

 長老も王に愛人がいることは知っている。

 「では、一緒に王に確認に行こう。娘もこの都市に残ることができれば、うれしかろう」

 昼間は自分を蔑ろにして、父と二人で娘の今後の処遇を決めようとした長老が、その態度を急変させたことに不信感を抱かないでもなかった。しかし、先ほど父の許しを得られると言ったのは単なる強がりで、実際には全く自信がない。長老が父の説得に協力してくれるのであれば、ありがたい。

 「私以上に、長老が娘に残ってほしいのではないですか」

 「そうよの。まだまだあの娘には伝えたいことがある」

 王子はたびたび覗きに行った長老と娘の講義の様子を思い出した。長老が味方してくれるのであれば、娘の居所についてこれ以上詮索の必要はない。

 長老は王子の声色の変化で、その気持ちの移り変わりが手に取るように分かった。この部屋に入って来た時にもっていた自分への不信感と怒りは今やほとんど残っておらず、不安の思いが強まっているようだ。

 (さて、もう一仕事だ)

 長老は住み込みのドルイド見習いを呼び、外出の準備を命じた。王子にはずいぶんと悠長に見えた準備が整うと、ドルイド見習いを護衛役として引き連れ、王子とともに今日二度目の王族の館に向かった。

 

 「こんな時間にどうされた、長老」

 夜間の訪問に驚いた王はその隣に立っている王子に向かって

 「部屋にいないようだと聞いたが、長老のところに行っていたのか」

 「目が少し痛んだので。そこで例の娘の話題になりまして」

 王のしかめ面に王子の不安が高まる。その様子を察して、長老が話を切り出したのをきっかけに、三人による話し合いが始まった。今日の昼には自分の考えに同意してくれたはずの長老がなぜ急に王子のわがままに理解を示しているのか王にはわからなかった。しかし、王は娘がこの街に残ること、王子が今後娘と関わりを持つことのどちらにも改めて断固とした拒否を表明した。王子が愛人を持つことを否定したのではない。王家の者を傷つけた人間を適切に処置すべしというのが王の変わらぬ根拠であった。

 長老の後押しがあっても、父の説得は無理と悟った王子は、仕方なく部屋に戻っていった。

 「長老にしては珍しいですな。一度出した判断を変更しようとは」

 「罰の主たる部分は、公の場で娘が両目を失ったことで済んでいる。追放はあくまで副次的なものでしょう」

 「いや、王家にとっては、追放することにも大きな意味がある」

 長老は王の意図は十分に分かっていた。娘の姿を見れば、人々の記憶を呼び起こし、いらぬ噂も立ちかねない。片目で追った王子の後姿に不満の色がありありと見えた

 (あの様子では大人しく部屋には戻るまい。王子一人ではこれ以上のことは無理であろうから、そろそろほかに助けを求める頃だろう。とはいえ、ここまで時間を稼げれば十分か)

 長老は王の前を辞した。

 「王子への配慮は感謝する。しかし、そろそろ本人にも次の王としての自覚を持ってもらわなければ困る。甘やかすわけにはいかない」 

 王は長老の背に向かって言葉をかける。長老は振り返らず、杖を持っていない方の手を軽く上げて応えた。先ほどまでは快活に話していた長老だが、王はその背中から老いと疲れを感じずにはいられなかった。


 長老が予想したように、王子は部屋には戻らず、そのまま裏口から館を出た。自分の右腕である同世代の戦士の家に向かい、夜分に関わらず、激しく扉を叩いた。不機嫌に扉を開けた召使を押しのけ、王子は中に入っていく。幼い時から共に学び、武術の鍛錬に励んできた幼馴染の部屋は、王子とその取り巻きたちの溜まり場の一つだ。

 「王子、こんな時間に夜行性の獣でも狩りに行く誘いか」

 仲間内の会話では堅苦しい言葉は使わない。

 「そうなるかもしれない。聞いてくれ、俺の頭と体だけでは追いつかない」

 幼馴染は王子の娘への気持ちをよく知っており、不在の王子の代わりに娘の裁判にも、刑の執行にも立ち会っていた。それに加え今日の顛末を聞けば、十分に状況はつかめた。王子はこの幼馴染を自分のエウメネスと呼んでいた。アレクサンダー大王の名の知れた幕僚の中でも文武両面で信任厚かったエウメネスと比すほどに、武ばった仲間が多い中、知力でも王子が頼れる数少ない存在である。この若者は、彼が考え事をする時の癖で部屋の中を行ったり来たり歩き続けた後、王子の求める答を見つけた。

 「わかったぞ。ギリシアの商人だ。今日昼過ぎに東門から商隊の一部が出ていったのを思い出した」

 王子の”エウメネス”宅は東門近くに位置する。昼食後に二階の窓から通りを見ながら思索に耽るのが日課であった。

 「長老が娘を売ったということか」

 「お前の目を傷つけた罪人とはいえ、奴隷に落とす判決は出ていない。売ることはできないだろう」

 「ではどういうことだ」

 「おそらく、お前が追って来られない遠くの国へ娘を逃がす気だろう。あのギリシア商人は長老とも懇意でなかったか」

 「長老も娘がここに残ることを欲していたが」

 「それは間違いないと思うが、王がそれを望まなければ、いくら長老でも覆せない」

 「生まれ育った村に返すのでよいではないか」

 「お前が村まで追いかけ、その娘を殺す気なら、王もそれを許したかもしれないが」

 「殺すなんてとんでもない。娘の目を奪ったことで父や長老を恨んでいるというのに」

 「だからだよ」

 「そこがまだよくわからないが、いずれにしろ、長老は初めから娘を遠くに逃がすつもりだったということか」

 「恐らくな。長老が同じ日に二度も王家の館に行くなんて不自然だ。昼間は娘を連れ出す現場におまえを来させないためであり、先ほどの来訪は、おまえの推測を邪魔して、さらに逃げる時間を稼ぐためということではないか」

 それを聞いた王子は長老への怒りよりも、長老からの提案を真に受け、期待した自分の愚かさに悔しさを覚えた。

 「兵を連れて、追うぞ」

 王子は即断した。

 「今からか。間に合うか。やつらも距離を稼ぐために本隊は残して少数で出発したんだぞ」 

 「あと何人か騎馬に自信がある仲間だけ連れていこう」

 「商隊も最低限の武装をしているから、ある程度人数がいないと、止めるのは難しいぞ」

 「俺とお前がいる。商隊の傭兵ごとき何人いても敵ではない」

 殺すか敗走させるのが目的の敵が相手であれば、少ない人数で強襲するのも有効である。しかし、今回の相手は、自部族と取引をしている商人である。あからさまに危害を加えるわけにはいかい。さらに、そこに匿われている娘を奪うとなると、武力で解決できるだろうか。しかし、今王子を止める方がもっと難しい。そう判断した王子の参謀は、

 「では急ごう。大きな街に逃げ込まれると、やっかいだ」

 そう言って、王子の出した条件に合う仲間の家々へ召使たちを伝令として送り出した。同時に王家の館に戻っては引き留められかねない王子と自らの出撃の準備にとりかかった。

 王子を含め四騎の騎馬が明日の陽出までは開かないはずの東門から飛び出していった。

 長老は王家の館を出た後、少し夜風に当たりたいとまっすぐは自宅に戻らず、東門の近くまで来たところで、疲れたと、護衛のドルイド見習いとともに物陰で休んでいた。王子を先頭に数騎の騎馬が駆け出してのいくのを確認して

 (やはり気づいたかな。あとは任せたぞ)

 イベリア半島東部にある港町サグントゥムに向かって急いでいるギリシア商人にその幸運を願う念を送った。

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