長老の思惑

 娘の刑の執行中、長老は自宅に一人の男を招き入れた。とはいえ、人目を憚るやましい相手ではない。この部族に出入りしているギリシア系商人である。王家やドルイドが必要とする貴重品から部族では自給できない塩などの必需品まで広く手掛けている。ギリシアからはるばる地中海を横断してスペインまで来ているのではない。地中海沿岸各地にはギリシア人が住み着いたり、切り開いた都市が数十は存在する。その中の一つ、イベリア半島東海岸の中ほどにある都市を、親の代から根拠地にしている商人であった。

 「あれほど人出がある刑の執行に長老が立ち会われないのも珍しいですね」

 「少しずつ任していっておる。わしもそろそろ無理が利かぬし、ゆっくりもしたい」

 「そういうことですか。それで、今日は何をご所望でしょうか。わざわざお呼びいただいたのであれば、何か特別なご要望と期待しております」

 「先日預かった琥珀だが」

 話し始めた長老の、いつも穏やかな表情に心なしか苦悶の色が浮かび、商人は心の中で少し身構えた。

 「初見の印象通り、非常に質のよいものだ。ドルイドの技も高めてくれる。そして何より美しい」

 普段は毛皮の取引をしている北方の商人からその琥珀を見せられた時、不思議な魅力を感じ、宝石好きの王家の奥方や娘たちではなく、このケルトの大族、ドルイドの長老に献上すべしと思い浮かんだ。長老は大変気に入って、しかるべき代金を払うと言い張ったが、商人にとって大口の顧客であるケルトの大族の長老には大変な恩があり、預かっていただくという体で無償での提供を申し出た。

 (気に入ってもらえたようでよかった。同じような琥珀をもう一つ欲しいという無心かな。物欲のない長老にしては珍しい)

 琥珀を購入するのに払った金額は決して安くはないが、この部族との商売が安泰となるのであれば、十分元が取れる。たとえ、もう一つ購入しても十分お釣りがくる。

 「しかし、我が部族とは少しばかり相性がよくないようだ」

 琥珀を扱う北方の商人と次に会えるのはいつ頃かと考えていた商人は、不意打ちを食らったように目を見開いた。

 「相性とは。あの琥珀が何か不吉なことでも招いたのでしょうか」

 今度はあからさまに長老の顔に哀しみの表情が表れた。付き合いの長い商人でも初めて見るものだ。長老は昨日の裁判と今執行されている刑について商人に語った。商人は父の代からこの部族の奥向きの案件を数多く手助けし、秘密裏に必要な品や情報を入手してきた実績で、王家と長老からは絶大な信頼を得ている。

 「なんと」

 経緯を聞き終えた商人はそう絞り出すのがやっとであった。

 「そこで、そなたに頼みたいのだが」

 二人のやりとりに聞き耳を立てている人間がいるとは思えないが、長老は商人を膝元まで招き寄せると、囁き声で商人にその内容を伝えた。

 「もしもの場合は、どうすればよいですか」

 「いや、何としてもやり遂げてもらわなければならない」

 長老は断固とした口調で伝え、椅子に深く座りなおした。もうこれ以上伝えることはないという合図であった。

 「かしこまりました。必ずお届けします」

 商人はそれほど困難な依頼とは感じなかった。部族内のトラブルに関わってしまうのは危険であるが、それはこれまでも何度も経験している。特に今回は長老からのたっての願いである。多少のリスクがあれど、応える義理も、利もある。商人は大得意先の注文にいかに応えるか算段を立てながら宿に戻り、さっそく仕込みにかかった。

 その翌日、商人は長老宅に荷物を運び入れた。いつもは、この都市に到着後すぐに王家とドルイドの長老宅へ注文の品を納めるのだが、今回はちょうど裁判と刑の執行に重なってしまったため、納品する日をずらしていた。裁判の日はともかく、刑の執行日に長老は家におり、荷物を届け、あいさつをするのに問題はなかったが、なぜか長老からは荷物の運び入れはさらに翌日まで待ち、先に商人だけ来るよう伝言が届いたからだ。

 武具や装飾用の貴金属が中心の王家と異なり、長老宅ではドルイドの儀式や修行に必要な様々な物品が納められる。ほとんどの荷物が長老宅の裏庭に立つ蔵へ運び込まれたが、いくつかのものは、直接家の中に持ち込まれた。その荷物の中に大きな甕が含まれていた。酒を嗜まない長老に倣い、長老宅では日常的に飲酒をする習慣はない。祭事時以外でも夕食には舶来のワインを楽しむ王家とは大きく異なる。それでも、酒類以外のなにか特別な液体が納められることも間々あり、この甕を見ても不思議に思う者はいなかった。ただ目立つものだけに、最初に置かれた場所にその甕が見当たらないことに気がつくドルイドや召使が何人かいた。

 

 長老は荷物の搬入には立ち会わず、久しぶりに王家を訪れていた。昨日すでに商人との打ち合わせを済ませており、長老自ら確認が必要となる特別な品がなければ、その不在はさして問題にならない。

 王家の客間で王子の目を害した娘の今後の処遇について、王と長老の間で話し合いが持たれている。娘の裁判前に二人に往来があっては何かと目立つため、判決の内容は書簡でやりとりして調整された。

 「長老にわざわざ出向いてもらわなくても、直接お話しをということであれば、久しぶりに私がそちらに行くつもりでしたが」

 王はドルイドの長老が珍しく王家に足を運んでくれたことに驚きつつ、悪い気はしなかった。

 「あの娘は私が預かっていたので、監督責任がある。王子の片目を失うようなことになって本当に申し訳なかった。王子にはその場で詫びたのだが、王にも直接詫びを伝えたかったのだ。となれば、詫びる方が訪うものよ」

 「息子は娘に対してぐずぐずしており、見かねて私から発破をかけていたのだ。それが少し乱暴な接し方になったのかもしれない。よく知る母親とは外見はよく似ているが、娘の性格の激しさは想定外であった」

 娘の性格も価値観もよく把握していた長老は、王の言葉で罪悪感がぶり返したが、それはここでは言葉にせず、王の話に相槌を打つ。

 「片目を失うことは我ら戦士には勲章のようなものだが、いかんせんその相手が敵の部族や猛獣ではなく、やんちゃな小娘となると、さすがに誇るわけにはいかない」

 そう言いながらも、王の機嫌はそれほど悪くなく、長老はほっとした。王とドルイドの長老の関係は、部族によってある程度の違いこそあれ、ケルト部族内では権威と権力をほぼ同じ程度に持つ立場にある。役割の分担ははっきりしているが、両者の関係に明確な序列があるわけではない。お互いを尊重することで、二人は長年このケルトの大族を無難に治めてきた。親子ほどの年の差があるので、王が長老に敬意を示すことが多いが、長老も王を尊重することを忘れず、良好な関係を築いてきた。その信頼関係があるので、この重要な裁判の打ち合わせも書簡で済ますことができた。 

 とはいえ、裁判の判決を両者で決める際、王がどれほどの刑罰を求めるかドルイドの長はやや不安であった。娘は他部族の出身とはいえ、その母親は王自身の従妹であり、身内のようなものであることに長老は賭けていた。幸い、その血縁関係もあり、王はそれほど事を荒立てることはないという考えと知り、長老はほっとした。もし王子への加害者が身内と呼べる間柄ではない他部族の者であれば、王子の負傷は十分に戦争を始める理由になる。被告個人への処罰だけでなく、その出身部族への報復も十分あり得たことを考えれば、両眼を奪われる刑は娘には残酷な事態だが、政治的には穏便な判決にまとめられたと長老は自負している。

 「追放刑の方は、実家に戻ることになるのですかな」

 「そうなる可能性が高いだろうが、娘の方はまだ飲まされた毒の後遺症で臥せっており、しばらく様子を見たうえで決めようと思う」

 「戻す前に娘の両親には今回の顛末を伝えたものかどうか」

 「その点に関しては、すでに使者を向こうのドルイドの長に送り出した。ところで、王子、目の具合はどうかな」

 長老が誰もいないはずの窓の方を見て問いかけた。王が窓辺に行き、外をのぞくと、王子が窓の脇の外壁を背にして立っていた。

 「そんなところで何をしている。ちゃんと部屋に入って、長老に挨拶しなさい」

 王子は王の言葉に素直に従い、館の表玄関に回って、部屋に入ってくると、長老に挨拶をし、質問に答えた。

 「泉の水でなんども洗ったので、傷はふさがり、痛みはもうあまりありません。すでに片目にはだいぶ慣れました」

 「それは良かった。だが、もうしばらくは安静にしておくのがよい」

 長老は王子の目を覗き込み、傷跡を確認しながら、何度か頷いた。

 「下がってよいぞ。元気になったら、もう少し大人しい娘を他の部族から見繕ってやろう」

 王子はまだ二人の話を聞いていたかったが、そう父に言われては、自分の部屋に戻らざるえない。自分の不在中に娘が裁判を受け、両目を奪われる刑を受けていたのは心外であった。もし、自分が裁判の場にいれば、娘の潔白を主張し、あの活き活きとした魅力的な瞳をこの世から消し去るような暴挙を絶対に許しはしなかった。

 父はもうあの娘のことに大して関心はなく、王家の体面だけを気にしている。娘の出身部族との関係も、大族の王である父の方で気に病むことではない。それよりも次代の王たる自分の王妃を早く決めたがっている。

 娘が目を失ってしまったことはもう取り返しはつかない。だが、自分が娘を失うことは何としても避けたい。娘の魅力の一つであったその輝く瞳を失ったことぐらいで、王子の娘への恋慕は消えていない。その点は王と長老の、王子に対する見込みは甘かった。王子は無性に娘に会いたかった。あの晩からその顔を見ていない。 

 (よし、今夜娘に会いに行く)

 王子はそう決心し、どうやって娘のいる長老宅に忍び込むか考え始めた。先ほどの長老の様子では玄関の扉を叩いても、娘には会わせてもらえないであろう。

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