星の輝き

 牢の前に、簡素だが丁寧に盛り付けられた食事が残されている。牢に入れられた娘は食事には手を付けず、牢の片隅に座ってぼんやりと夜空に浮かぶ月とその周りに散りばめられた星を眺めていた。判決が下されてから考え続けている長老の意図、自分が助かる方法、そのどちらもいまだ分からないまま、思慮することが好きな娘には珍しく考え疲れしてしまった。

 (今夜は満月か)

 牢の周りに篝火はたかれていないが、月明かりで近くのものはよく見えた。長老宅の勝手口から人が出て来る物音がした。日没前にこの食事を持ってきてくれた長老家の女老召使が皿を下げに出てきたのだろう。

 (まだ食欲がない。食事は下げて構わないと伝えよう)

 娘は立ち上がる気力がなく、四つん這いで皿の前へ移動しようとした。牢の奥に座ったまま伝えるのでは、この都市に来てからいつも世話を焼いてくれている老女に失礼と感じたからだ。食事を持ってきてくれた時にはそんなことを考える余裕もなかったが、今は老女の優しい眼差しを間近で見たかった。娘は下を向いたままゆっくり這い進む。しばらくして娘の視界に皿と老女のサンダルが見えた。老女はまだ皿を拾い上げていない。自分が老女と食事の方へ向かっているので、食事を下げて欲しくないと誤解されたかもしれない。力を振り絞り、なんとか老女の前まで来ると、顔を上げた。  

 しかし、そこに立っていたのは、老女ではなく、長老であった。娘が自分の存在に気付くと、長老は見張り役の兵士に一声かける。兵士は頷いて長老宅に入っていく。遅い夕食を取りに行ったのであろう。

 自らも驚いたことに、気が付くと娘は立ち上がっていた。長老の姿を見て希望が湧き、気力が戻ってきたのか。まっすぐ長老の顔を見据える。最初は娘の様子を見守っていた長老だが、娘の視線を感じると、それを避けるように空を見上げ、毎朝の講義のように語り始めた。

 「現在我々が眺めているあの星々の光は、数えきれないほど太古にその星々から放たれ、はるか彼方から今我々の目に届いているものだという」

 この宇宙観は娘が学んだドルイドの知識にはない。大地の周りを太陽と月と星が回っているというのがその教えである。長老の講義ではしばしばドルイドの教えに反する内容が提示されてきた。

 「たとえ月の明かりで星の輝きを弱め、消してしまったように見えようが、その事実は変わらない」 

 娘は長老から自分を救い出す計画が聞けるものと思い、講義の時以上に長老の言葉に集中した。

 「人生においても、目の前の状況は過去の出来事から連なって起きている」

 娘はこの都市に来てからの出来事をいくつか思い返した。しかし、長老は娘が生まれる前からのことを示唆していた。

 「月の明かりでそれを打ち消すことはできない。流れに任せてこそ進むべき道は見えてくる。無理にそれを変えようとすれば、その反動は大きい」

 長老は娘の境遇に責任を感じ、そこから救い出せる唯一の立場のはずだ。それにも関わらず、長老の言葉は、娘にこの状況を受け入れよ、ということになる。

 (長老は私を見捨てるの)

 娘は長老の言葉に絶望し、昼間の裁判を思い出した。長老の宣告した判決内容があまりにショックで、その時は気づかなかったが、長老は私を裏切ったのだ。素直に罪状を認めれば、悪いようにしないと仄めかしておきながら、まさか両目を失う罰を下すとは。その判決はあくまで王家や聴衆の前での便宜的なものであるというのが、考えに考えた末の娘の推測であった。そして、刑の執行責任者でもある長老であれば、刑の執行前に私を逃がすことだってできるはず。そう期待して耳を傾けた長老の言葉は、昼間の判決同様無情なものであった。娘は大きな目で長老を睨みつける。長老は娘の怒りを受け止め、今度は視線をそらさず、

 「これを」

 あの朝と同じように袖口から革袋を取り出し、二人を隔てる格子越しに娘に手渡そうとした。娘は長老の手を払いのけた。革袋が長老の足元に落ちる。長老は娘の反抗的な態度を咎めず、

 「食事をしっかりとっておきなさい。なかなか寝付けないかもしれないが、体を休めておきなさい。そうすれば、明日の刑も乗り越えられる」

 優しくそう言い残すと、家の中に帰っていった。しばらくして兵士が慌てて持ち場に戻って来た。娘は急に空腹を感じた。裁判の緊張から今朝の食事はのどを通らず、裁判から戻り、牢に入れられてから出された昼食は、その存在にも気付かないまま片づけられていた。長老が現れるまでは、考えることに集中し、疲れ果て、空腹を感じることはなかった。怒りで体の感覚が正常に戻ったのかもしれない。しゃがんで格子から外に手を伸ばし、食事が盛られた皿を引き寄せる。牢の中央まで戻り、皿を地面に置いた。そこで足をそろえて座り、姿勢よく食事をとり始めた。その様子を見ていた兵士は、こんな時でも育ちの良さが出るものかと感心した。

 娘はふと目を覚ました。食事の後いつしか眠りに落ちていたようだ。牢の前の兵士はその肩幅の違いからすると、いつの間にか深夜番の別の兵士に代わっている。背を向けて立っている兵士の頭が時々その大きな背の向こうに隠れ、しばらくするとまたむくりと起き上がってくる。居眠りをしているのだろう。横になっていた娘は上体を起こすと、時間を把握するために月の位置を確認しようと空を見上げた。とその時、何かが地面を這いずりながら近づいてくる気配がした。目を凝らして見る。どうやら小さな動物のようだ。

 (長老の講義中によく姿を見せる尾に白い筋が入ったリスに違いない)

 いつもはぴんと立てている尾を地に垂らし、背を向けてこちらに近づいてくる。

 (怪我でもしているのかしら)

 普段元気なリスの動きとは明らかに違う。娘は立ち上がり、心配そうにリスの前に回り込んだ。リスは自分の体の半分はありそうな塊を抱えていた。娘はなぜか、

 (私のところに運ぼうとしている)

 と確信した。何かと思い、屈みこんでその塊に手を伸ばす。リスは娘に手渡すように両腕でそれを抱え上げた。

 (あの革袋に似ている。長老は拾わずにそのままにしていたのかしら)

 革袋の外側から中身に触れてみる。予想通り、硬い角張った感触があった。口の紐を緩め、中身を取り出す。やはりあの琥珀が入っていた。月光に照らされ、森や部屋で見た時よりも輝きが増して見える。しばらくその美しさに見とれていると、突然琥珀を包む光が大きく広がり始めた。娘は一瞬そのまぶしさで目を閉じる。数秒後ゆっくり目を開けると、光の中に何か黒い影が浮いていた。

 「あなたは、もしかして妖精なの」

 相手に確かめるように娘が呟いた。

 『大して驚きもしないのね』

 妖精と呼んだものから声が聞こえた気がした。黒い影はよく見ると、掌に乗る程度の大きさの小人で、その背中に羽が生えている。顔と思しきところに目と鼻筋はあるが、口はないようだ。どのように声を出しているのだろうか。

 『あいかわらず、探求心が旺盛ね。そこがほかのドルイドとは違うところね』

 (あいかわらずって、前から知っているみたいな言い方)

 『そうよ。私の方が先にここに来ていたのよ。長老の講義を袖の中で聞いていたわ』

 娘が言葉に出さなくとも、心に思い浮かべるだけで、妖精には通じるようだ。その言葉は耳から聞こえてくるというより、頭の中に声が響いてくる感じだ。

 『私、北の海辺で掘り出されたこの琥珀が磨かれているうちに生まれたの』

 妖精や精霊が生まれる瞬間というのがあるのかと、娘は興味深く琥珀の精の言葉に耳を傾けた。

 『私って、放っておかれるのが嫌なの。あなたたち人間の感情や活力を感じる場所が好きなの』

 妖精や精霊は自然の中にいる方が落ち着くものと思っていた娘は、妖精の言葉を意外に感じた。

 『ほかのみんなはそうみたいね。でも、私こんな大きくきれいな琥珀に宿ったから普通と違うみたい』

 自らもほかの若い娘たち、いや世代を問わず、母親を含め他の女性とは考え方や価値観が一致しないことが多かった娘は、この琥珀の精に親近感を感じた。

 『それで、あなたにしばらく持っていてもらいたいの。その代わりにその間あなたを守ってあげるわ』

 そう言い終えると、光は小さくなり、妖精の姿も見えなくなった。娘は妖精の言葉に安心したのか再び眠りに落ちた。

 鳥のさえずりで娘は目を覚ました。まだ陽はそれほど高く昇っていないが、天気は良く、辺りは明るくなっていた。手に琥珀の入った革袋の感触がなく、辺りを捜した。しかし、いくら探しても見つからない。琥珀の精との会話はしっかり記憶に残っている。娘は夢をよく見るし、それをよく覚えていられるが、昨晩の出来事はとても夢とは思えない。はっきりと記憶に残っている。であれば、見張りの兵士が娘の寝ている間に取り上げたのか。

 「あの、革袋を」

 兵士が振り返った。昨晩夕食を取るまでいた兵士と別の兵士である。その体型は琥珀の精と会話する前に見た深夜番の兵士のものであった。

 「なんのことだい」

 兵士が意外にもやさしい口調で応じた。

 「これくらいの革袋を、取り、いや、拾ってないかしら」

 取り上げた、という表現を押しとどめた。この兵士を敵に回すべきではない。

 「ああ、なにか石みたいのが入っていたやつだな」

 (やはりこの兵士だ)

 「交代でここに来た時に牢の前に落ちていた。すぐに長老に届けたよ」

 交代のタイミングでということは、娘が夜中に目覚める前ということになる。

 (私が寝ぼけて革袋を牢の外に放り出してしまったとしても、それは兵士の交代より後のはず)

 娘は兵士の説明と自分の記憶の矛盾に困惑した。この兵士はなぜか、娘に同情的で、なにかれと親切にしてくれた。話をするうちに、兵士の祖母が娘と同じ部族出身であることが分かった。そのことからも、この兵士が琥珀の入った革袋のことで嘘をついているとは思えなかった。

 陽が上りきると、一人のドルイドが牢の前にやってきた。裁判で検察役をしていた中肉中背の中年男である。1か月の滞在で彼が長老からの信頼が厚いことが娘にも分かった。長老不在時はたいてい彼がその代理を務めている。

 (もしかして、長老は来ない) 

 娘は嫌な予感がした。見張りの兵士の言葉通りであれば、革袋は長老の手元にあるはず。刑の執行前にそれを受け取りたい。そうすれば、琥珀の精が私を守ってくれる。両目を失わずに済む。

 「長老は来ないのですが」

 娘はドルイドに聞かずにいられなかった。

 「刑の執行は私に任されている。長老が来られるかどうかは聞いていない」

 さらに半時ほどして、護送の兵士が二人到着した。昨日以上の緊張で食欲が一切湧かない娘は気づいていなかったが、今朝朝食が出されなかった。娘が牢から出る際、見張りの兵士が小さく呟いた。

 「幸運を祈るよ」

 長老の代理を務めるドルイドと兵士二人に付き添われ、娘は王族の館前の広場に到着した。広場にはすでに観衆が、昨日の裁判の時よりも多く集まっていた。刑の執行はいつでも最大の見世物である。何人かのドルイドがすでに広場で刑の執行の準備に勤しんでいる。しかし、そこに長老の姿はない。

 娘は広場中央に用意された椅子に座らされた。観衆の中に王子を含め王族の姿はない。王子以外の王族は判決が出てしまえばこの件に関心はなく、刑の執行はドルイドの管轄であり、長老に率いられたドルイドへの信頼から立ち会いの必要を感じていなかった。

 当事者でもある王子は、引き続き森の泉で治療を受けている。治療という名目とはいえ、何日も王の館から引き離しておくことはできず、今日昼過ぎには戻ってくることになっている。昼前に刑の執行を終えるよう厳命されているドルイドたちはそんな事情は知らず、慌ただしく準備を進めていた。

 いすに座った娘が目隠しと猿ぐつわをされた。どんな方法で両眼を奪われるのか。当然、観衆はより残虐な方法を期待していた。

 刑の執行を行うドルイドが広場の中央、娘に向かって歩を進めると、大きく歓声があがった。娘は両親より戦士の血を引いており、女性としては力が強く、俊敏だが、屈強な兵士に両脇から押さ付けられては身動きができない。娘の前に立ったドルイドが腰の革袋から何かを取り出す。どんな恐ろしい処刑用の器具が出てくるかと固唾を飲む観衆の視線がドルイドの右手に集まった。その手にはちょうど燕の卵大の茶色のものが握られていた。多くの人の目には掌にちょうど収まる石に映った。

 「女は小石で王子の目を潰したらしい」

 「それなら同じ凶器で娘の目を潰すはずだ」

 どこかの情報通が聞きかじった噂が観衆の間に広まり、観衆の興奮をさらに煽った。

 「これから、我が部族の王子の目を奪ったこの女に、その罰を与える」

 娘から数歩離れたところに立つドルイドがそう宣言し、一歩娘の方に歩み寄る。空いている左手を右手に添え、何かを抜き取る動作をする。おまじないかなにかなのか。さらに一歩進み、娘に手が届く位置まで来たところで、歓声に地響きが加わった。興奮した観衆の多くが足を鳴らし始めた。ドルイドが左手を伸ばし、娘の目を覆う目隠し荒々しく外す、と思いきや、その手が伸びた先は猿ぐつわの方であった。

 「口じゃないぞ。目だ。目をやれ」

 観衆から野次が飛ぶ。しかし、ドルイドは何も間違えていなかった。右手に握ったものを、娘の目ではなく、口に向かって押し付けた。

 「何やっているんだ、目を潰せ」

 ドルイドがひるんで目標を誤ったと思った観衆からさらに野次が飛ぶ。ドルイドに鼻をつままれた娘は口に入れられたものを飲み込むしかない。しばらくすると、娘が苦しみはじめた。観衆は何が起きているか分からず、野次が収まり、とまどいのざわめきが広がった。娘が呻き声をあげると、ドルイドは娘を押さえている兵士に娘を放すよう指示した。娘は地面に崩れ落ち、草むらの上でのたうち回った。当初期待していた刑の方法ではなかったが、美しく若い娘が呻きながら転げまわる様子は観衆を喜ばせた。ドルイドが刑の内容を説明する。

 「視力を失う毒薬を娘に飲ませた」

 娘は、喉、胸、胃の順に締め付けるような痛みを覚え、最後に頭が激しい痛みに襲われ、しばらく呼吸をするのもやっとであった。徐々にその痛みに慣れ、苦しさで閉じていた目をゆっくりと開けた。目に痛みはない。涙で視界がぼやけていたが、周りの様子は見えていた。自由になっていた手で涙を拭う。しかし、視界がぼやけたままだ。何度拭い、瞬きをしてもはっきりと見えない。それどころか、涙を拭う自分の手が徐々に色を失っていった。慌てて顔を上げ、周りを見回す。少し離れた場所に立っているドルイドと兵士、その後ろにいる観衆がすべて歪み、混ざって見えた。

 (このままでは視力を失ってしまう)

 娘は、琥珀の精を思い出し、自分の衣服をまさぐった。どこかに琥珀の入ったか革袋があればと。

 (ない。どこにもない。私は琥珀を持っていない。妖精もいない)

 そう思った刹那、娘は全くの暗闇に覆われた。代わりに観衆のざわめきがさらにはっきりと聞こえてきた。

 娘の動きが止まると、

 「女を立たせろ」

 ドルイドが兵士に命じた。娘は目と口を虚ろに開けたまま、無理やり立たされた。目からは涙、口からは戻した胃液とよだれが垂れていた。ドルイドが娘の顔の前で手を動かす。娘の眼球はその動きに全く反応しない。ドルイドは毒薬が効いたことを確認し、兵士に命じた。

 「長老宅へ連れていけ」 

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