5話 友樹と映画
恋も愛も分からなくなったあの日から、私は未だに答えらしきものが見つけられずにいた。
渚からは、彼にもう一度好きだと伝え、それ以降はきっぱりと吹っ切れることができたと大学で聞かされた。あの日バーで会った先輩からは、彼女だった七海さんとは別れ、地方へ転勤すると連絡が来ていた。圭太も未だに新しい彼女とうまくいっているというのを風の噂で耳にする。
みんなそれぞれ自分の中で答えを見つけ出し、新しい道へと進んでいく。その中で取り残されたままでいるのは、私だけだ。
恋とは何だろう。愛とは何だろう。ここ数日で嫌というほど自分に問いかけている。ふとしたすれ違いで脆く壊れるもの。息が苦しくて離れるほどに忘れられないもの。たった数分の出来事だけで消え去るほどにすっきりと忘れ去れるもの。その時その場所その人によって、姿はまるで違う。そんな事実が余計に私を苦しめて、心の内を苦い笑いで満たしていく。
だから、私は映画に逃げた。
自分が別れた原因でもあるものなのに、社会人になったらやれっこないって言葉まで言っていたのに、私は結局映画のことが好きだった。
映画を好きになったきっかけは、中学三年生の時に街の会館で見たタイタニックだった。英語はさっぱりだったけれど、食い入るように字幕を見つめて、ストーリーを真剣に追っていたのを覚えている。ヒロインが身分差の恋に落ち、乗った豪華客船は海へと沈没していく。ベタな展開なのに、熱い。客船が沈みゆく最中に流れる豪華な曲とともに二人が船首で身体を触れ合いキスをするシーンは、今でも鮮明に焼きついていて、三時間がここまで短く感じられたのは、初めての経験だった。
それから手当たり次第に名作と呼ばれる映画を見るようになり、高校生になってからは映画部にも入った。
私の青春の大半は、やっぱり映画だったんだ。だから、どんな形であれ、全てを捨てることなんて出来はしなかった。
冬休みが明けてからは、私は部室のテレビを使って映画を見るようになった。幸い圭太は彼女との映画製作で大学に来ることはなかったし、私自身妙にサークルへの未練がどこか残っていて、そこで部室にこもるようになった。
「先輩、どうしたんです」
私が通い始めて三日目の時、不意に部室へと訪れたのは、友樹だった。
「なんか、映画見たくて。友樹こそどうして来たの、こんな時期なのに」
サークルは冬休み後になると、ほとんど活動はなくなり、部室に来る人も滅多にいなくなる。だからこうして現役が来ることなんて、予想もしていなかった。
「いや、実は僕も、この時期狙ってるんですよ」
そういうと、友樹はカバンからツタヤの小さいバッグを取り出した。中にはレミゼラブルが一枚入っていた。
「部室のテレビって大きくて映画見るのにいいじゃないですか。だから、たまにこうして見てるんです」
確かに、部室のテレビは製作映画をみんなで見ることを考えて、部費で大きめのものを購入していた。
「そんな映画に熱心なの、君くらいじゃない?」
「卒業間近なのに、部室来て映画見てる先輩に言われたくありませんよ」
そう話していると、私が見ていた映画がラストシーンへと差し掛かった。友樹は私の座るソファーに距離を取りながら腰掛けると、映画を邪魔しないくらいの声で、次はレミゼですよ、と言った。
友樹と映画を見てから三日ほど経ち、また部室で映画を見ていると、また以前のように友樹が部室に入ってきた。
「あ、また先輩来てたんですね」
「またって何よ」
「いや、別に」
友樹は笑いながら誤魔化すと、机の上に一つのDVDを置いた。ディスクには「桐島部活やめるってよ」とタイトルが刻まれている。昔映画館で見た映画だと、つい懐かしく感じた。
「もうエンドロールですね。見ませんか」
「だねー、見よっか」
それから、私と友樹は部室で頻繁に映画を一緒に見るようになった。狙っているわけでも、連絡を取り合ってるわけでもないのに、何故か友樹と鉢合わせして、その度に彼が持ち寄った映画を見ていた。
友樹は邦画が好きなのか、タイトルはそちらの方に偏っていた。サマーウォーズ、世界の中心で愛を叫ぶ、時をかける少女、重力ピエロ、と聞いたことが必ずある作品を持ってきては、懐かしいと思いながら一緒に見ていた。
そうしていく内に、いつの間にか彼と映画を見る時間が当たり前のように感じられていた。
友樹と映画を見るようになって二週間が過ぎた日、私が部室を訪れると、先に友樹が映画を見ていた。流れているのは、秒速五センチメートルで、いつものように私の見たことのある映画だった。
「あれ、先に来てたんだ。珍しい」
「ああ、先輩。ちょっと急に見たくなって」
「また、映画研究会なのにアニメ映画ばっかり見てるのね」
「いいじゃないですか、アニメからも僕たちが盗める表現とか描写って沢山ありますし。何より、名作です」
「たしかに、そうかも」
私も高校の時に一度見て以来、思い返しては何度も見ている作品でもあった。アニメ映画で胸を掴まれるような悲しみと虚無感にここまで襲われたのは、後にも先にもこれだけだろう。
映画は一話のラストシーン、ヒロインと主人公との電車での別れが流れている。
「恋愛映画って、いいですよね。自分の出来ない素敵な体験を、出来るみたいで」
「確かに、そうかもしれないね」
友樹は微かに目を輝かせている。彼の持ってきた映画達をふと思い出した。彼のものは、恋愛色があるものが多かったような気がする。
「僕、こんなような恋愛映画を撮りたいんです。胸を突き刺すような、何か人生の価値観を、少しでもくすぐるようなものを」
「恋愛映画か……。友樹なら出来るよ。面白そう」
「そうですか……なんか、嬉しいです」
照れ臭いように笑う友樹の横顔を、私はじっくりと見つめる。情熱的な赤、爽やかな青。けれど、どれも薄っすらと、白みがかっているような、そんな雰囲気を彼から感じていた。
二話に差し掛かる。ヒロインは変わり、主人公は高校生へと成長した。私は映画の映像を見つめながら、彼の話す言葉に耳を澄ませていた。
「僕、今まで恋愛経験がないんです」
「え、そうなの。意外かも」
「よく言われます。でも、こういうの見てると、不思議と懐かしいような感覚もあったりして」
「恋はしてたってことか」
「そういうことですかね」
くしゃっと笑う友樹の表情が、声の様子から伝わる。私は安心感を抱きながら、映画の方を見つめていた。ヒロインがコンビニで飲み物を買っている。どこもかしこも、微笑ましい。
そこから、二人での会話は暫く途切れた。流れ行く映画のシーンに私達は目と耳を研ぎ澄ませていた。自然と空いていたソファーの距離が、なんだか近いようにも、遠いようにも感じられる。
そして不意に、友樹は私の方を見ることなく、映画に視線を向けながら、ぼそっと呟いた。
「僕、今まで恋が実ったことがなかったから。好きな人には振られるし、逆にあっちに好きな人とか、恋人がいることだってあるんです。でも、恋愛映画見てると、そういうの隣で眺めてる主人公の親友とかでも、幸せなのかなって、思えるんですよね。友達でも、幸せならそれでいいって。そんな風に、どこか良い方向に人の恋愛の価値観を映画で変えたいんです」
「そっか……」
「先輩も、きっと素敵な恋ができますよ」
話す友樹の表情は、どこか寂しそうだけれど、後悔など感じさせない姿だった。
二話のラストシーンが流れる。ヒロインと友樹の面影がそっと重なって見えて、私は主人公の姿を食い入るように見つめていた。
私は、彼に何と言葉を投げかければ良いのだろう。
私はもう、気づいていた。彼の恋心も。私の感情の正体さえも。
帰り道、私は友樹と共に夕暮れの道のりを歩いていた。新入生製作で撮った道を後輩と二人で歩いていることに不思議な感覚を抱いていると、渚と話したカフェの看板を潜り抜けていた。
きっと、私は友樹のことが好きなんだ。こんな平凡な風景を見ながら、込み上げる確かな思いに胸を悩ませていた。
こんな私でいいのだろうか、こんな漠然とした恋愛感情でまた突き進んでも、同じ道を辿るんじゃないか、結局私は彼色にも染まらず、私色にも染められず、何も残さないまま終わらせてしまうんじゃないか。私は自分にそう問いかけていた。
「夕日、綺麗ですね……。今度のシーンに使えるかな」
でも違うんだ。この気持ちが全てなんだ。理屈とか理由づけとか、そんなことに縛られる必要なんてない。この感情だけ、それだけを信じて始まっていくのも、私にとって恋なのだから。
だから、だからこそ。
「友樹……」
あなたが、私に。
無色透明な私に色をつけて。
掃き溜め【曇り空と晴れない心】 七氏野(nanashino) @writernanasi
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