4話 渚と彼

「結局さ、別れることになっちゃってほんと最悪」

 女友達と集まれば、大抵は恋愛話に収まっていく。大学の講義も一つ二つと終わっていく中で、私は友達に引っ付いて、そんな話を食堂の中で交わしていた。

「この時期に別れるとかさ、色々不安多くなりそうなのに支えいなくなる感じで最悪じゃん。ねえ、そうでしょ」

 別れた話を語り続けている友達の視線が、ふと私に向けられる。私も別れたことは、彼女達にぽろっと話していた。

「まあ、そうだよね」

「でしょー、ほんと最悪よね」

 友達は同意を得れたことに誇らしげになりながら、また話を続け出した。その姿はまるで、別れたという話題が自分を照らしてくれているように、何故が自慢げに思えた。彼女の繰り返す最悪という言葉が、まるでその意味をなしていないようで、私は不思議に思える。

 けれど、あれほどまでに嫌だと思っていた別れた事実を、付き合ったという事実だけで吹っ切れる私だって、彼女に劣らず薄情者なのかもしれない。

 一通り話終わった後、友達達は残り少ない講義の一つがあるからと足早に去っていった。私も家に帰ろうと食堂の椅子から立ち上がると、後ろから声が聞こえた。

「ちょっと、話し聞いてもらえないかな」

 振り返ると、さっき友達達と一緒に別れた、渚が一人立っていた。


 私達は講義もなく、とりあえず渚の提案で、大学の校舎を出て、駅の近くのカフェに向かった。カフェまでの道のり、私も彼女も一言も話すことなく、気持ち悪いほどに静かだったが、思えば彼女も私も、他の友達とは違って話を聞く立場の方が多かったから、仕方がないことなのだろう。だからそんな聞く側の私達二人が話すことなんて滅多になかった訳で、私はこの状況に少しの違和感と不思議な感覚を抱いていた。

 カフェに着くと、渚は慣れたようにレモンティーを頼んだ。私はメニュー表をじっくり見つめ、結局ブレンドコーヒーを注文した。彼女の話し出す雰囲気を察してなのか、カフェには静けさだけが漂っていた。コーヒーのカップを持ち上げながら、私は彼女と視線を合わせる。

「話って、何」

「私も、彼氏と別れたんだ。今年の初め」

 渚の思いもしない言葉に、私はそっとカップをテーブルへと戻した。彼女はいつも話さないで聞くばかりに徹する人だった。だから彼女が彼氏と別れていたなんてこと、ましてや彼氏がいたなんてことさえも、私は知らなかった。

「そんなこと、私知らなかったよ」

「そうだね。私、みんなの前で自分のことあまり話さないし。他の子にも、彼氏のことも別れたことだって、話してない」

「何で?」

「だって、あの子達とは恋愛の感覚だけが、本当に違うんだもの。あの子達は自分の恋愛ごとがどんなことであれ、まるでビックニュースのように話してるでしょ。何か、雰囲気とか、自分が恋愛に揉まれてる様に酔ってるような子たちに、自分のこと話したくないもの。きっと週刊誌みたいに騒ぎ立てるに決まってる」

 饒舌に語ると渚はこんな風になるのか、と変に感心をしていた。彼女の溜め込んでいたものが、まるで吐き出されるように言葉として放たれていく。そしてその一言一言が、多少なりとも私の抱いていた感情に近いことに、私は胸の内で驚いていた。

「そうだったんだ。でもなんで、急に私に話したの」

「それは……あなたが、私と似ていると思ったから。少なくとも、あなたは私の恋愛を持ち上げたり、干渉したりしないと、何となく思ったの」

 確かに、私は友達達の恋愛話を盛り上げたり深入りしたりはしなかったし、少なからず彼女と通じている部分はあると思った。

 多分、渚と私の考え方は似ていると。

「だから、ちょっと相談したいことがあるの」

「うん、何」

「私、その彼のことがまだ忘れられないの」

 渚の瞳は、一つの曇りもなく輝きを放ちながら私を見つめていた。確かに似ている。その感情も、私がついこの間まで抱いていたもので。でも、私は、彼女のように目を光らせていただろうか。

「そう、なんだ」

「別れ方も、なんか自然消滅みたいな感じで。就活が始まる焦りとか不安でお互い手一杯になって、結局連絡とらないまま気づいたら彼は新しい恋人を作ってた」

「そっか……」

 似ていると言った渚の境遇は、確かに私と瓜二つだった。私は思い起こすように圭太との出来事を頭に浮かべたけれど、ぼんやりとぼやけていて不鮮明だった。

「でも私、諦められないの。彼とのことを思い出すたびに胸が痛くなって、またあの日に戻りたいと思うし。二人で行った遊園地とかここのカフェだって、何度も訳もなく来ちゃって、もうどうしたらいいかわからなくて」

 衝動的に声を荒げる渚の目には、ぼんやりと涙が溜まっていた。違った。私と彼女は、似てなんかない。

「そこまで、忘れられないんだね」

「うん、何でだろうほんと」

「何か、そこまで想えるってすごいよ。私には出来なかった」

「そうなの? そんな風には見えなかったんだけど」

 渚は、不思議そうな顔を浮かべながら、私の方をまじまじと見つめている。私はその顔を見つめて、同じような感覚を共有していた。

「そうかな」

「そうだよ。彼氏と別れたって言ってた時、すごい悲しそうな顔してたもん。ああ、この子忘れられないんだな、って思った」

 思い出すように渚は話す。確かにあの時の私は、どこまでも彼と別れた後悔に溢れていて、彼女の言う通り、悲しみでいっぱいだったような気がする。しかし、今の私は、明らかにあの時とは違った。

「そうかもしれない。でも私は、今は、もう何とも思っていないんだよね」

「そうなんだ」

「うん……」

「ねえ、どうして」

 渚が前に乗り出して聞いてくる。からかっているわけじゃなくて、真剣に聞きたい様子がどこか伝わってきた。

「うーん、決定的だったのは、彼が最近別の子と付き合ったことかな。映画好きの子で、今思えば彼と別れたのも、映画のことだったのかなって。そう思ったら、何か」

「じゃあ結局、彼に新しく彼女ができたからってこと?」

「どうなんだろう。でも、後輩の子からそのこと聞いた時に、すっと吹っ切れたのは確かだと思う」

 あの日のことを思い出しながら話す私の顔を、渚は食い入るように見つめていた。なんとなく気づかないふりをして、私はぼんやりと外の風景を見つめる。青い空、ではなくて、真っ白な雲に覆われた風景が広がっていた。

「そっか、そんなものなのかな」

「どうなんだろう、よくわからない」

「あはは、そうだよね。相手に彼女出来て諦められちゃう恋もあるし、出来てても馬鹿みたいに諦められない恋だってあるし」

 渚が呟く言葉は、どうしてか嫌味なんて一切ないように聞こえた。

「渚はすごいよ。そこまで想えて」

「別に、そんなことないよ。私きっと、彼に依存してるだけなんじゃないかな」

 違う、渚は依存しているんじゃない。彼の色に染まったんだ。

 彼女と話すと、改めて痛感した。結局、私は圭太との恋でも、真っ赤に染まることなんて出来なかったんだ。

 ふわふわと彼の後ろ姿に憧れ、真似をしようと被さってみても、結局は彼に染まることなど出来ていなくて。だから私はあの日の圭太の言葉に、映画を続けるということに、どうしても返事ができなかったのだから。

 どこまでも中途半端だった私の色は、きっと、染まってなんていなかったのだと、渚と話してふと気づいた。彼女はちゃんと、彼色に染まっているんだ。けれど私は、被さって透かして、その気になっていても、白にすら染まることができない。何にもなれない透明な、無色透明なままだったのだ。


「話聞いてくれてありがとう。なんか、いろいろすっきりした」

 渚は笑顔でそう言いながら、レモンティーを飲む。ぬるっ、と言って笑う彼女の清々しい表情にほっとしながら、私もコーヒーを飲む。飲み込んだコーヒーは、想像していた何倍もぬるく、そして苦かった。

「私も、ちょっと話せて良かったよ」

「そっか、良かった」

 笑顔で渚は呟く。私と渚はコーヒー店を境に別の帰り道だったので、そこで別れることにした。私はそのまま手を振って彼女に背を向ける。歩き出したその瞬間、渚の声がした。

「ねえ」

「何?」

「あのさ、もしかして、好きな人出来た?」

「え、何で」

 笑いながら答える私に、渚は何でもないと呟いて帰っていった。

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