猫のいる部屋

 夜、部屋で一人静かにハイボールを飲んでいると、ミャーと近寄ってくる。

「あー、君はいつだって私の味方なのね」

 そうやってすり寄って頭を撫でると、うざったいような顔をしてしっぽを振ってきた。口臭だろうか。ちょっとだけ、傷つく。

 今日は何があったって? いつものことでしょ。そんな風に猫に問いかけてる私が、たまらなく虚しい。

「またさー、別れちゃったんだよねー」

 そう、別れた。今回は、二か月も持たなかった。

「でもさ、結構頑張ったんだよ、私。我慢して、我慢して、もう駄目になっちゃったの」

 駄目になった。緊張の糸がぷつんと切れて、彼のことを、もう今までのような目で見ることが出来なくなっていた。こんなこと初めてで、自分でも戸惑っている。かつての恋、私は一辺倒に男の子に夢中になって、彼と一緒にいる瞬間が一番愛おしい、こんな時間二度と訪れはしない、そんな風に、思っていた私なのに。

「私、変わっちゃったのかも」

 私の言葉に、ミャーとだけ言って、首を傾げている。何を考えているのだろう。私のこと、可哀想とか思ってるのかな。まあ確かに、その通りなんだけど。

 私が求めていた恋って何だろう。大切な人と一緒にいられる時間、笑っている彼、強く握る手、なんだか小学生みたいだ。またへこんでしまいそう。

「あー、もうやだ」

 誰もいないのに、叫ぶのは心地良い。誰にも見られず、自分の恥をさらすことが出来るのは、なんだか開放感がある。それに呆れる猫にだって、酔っぱらってるからだと言い訳がたつしね。

 時折、くだらないことを考えたりする。呆れるくらい、くだらないこと。私の周りの友達、家族、恋人、同僚とか、その人と、私との、思いの差? みたいなこと。

 私が十だとして、その人が七だったら、私の方がその人に依存している。逆もあると思う。人間、考えていなくたって優先順位をつけてしまうと私は思っている、好意の優先順位だ。

 私には、中学、いや小学校からだ、それくらい長い付き合いの友達がいて、その子たちは、きっと一番の友達なんだろうと、思う。別に出会いの早い遅いだけではないと思うけど、結果的に、私はそう思っている。友達は誰も大切だけれど、やっぱり人間だから、勝手だから、物差しで測らずにはいられない。そして私は、友情よりも恋愛を優先するタイプの人間で、それこそ男の子たちの言う「あいつ彼女出来てから付き合い悪くなったよな」ってのを平気でしちゃうタイプだと、思う。

「君が魚を手に入れて、それを分け与えたいなって思う猫は、一体誰? 思い浮かんだその子がきっと、一番大切なんだよ、ねえ」

 難しすぎたようかな。私の問いかけにしっぽを振って部屋の奥に逃げていった。カーテンの閉め切ったその端っこで、くるりくるりと遊び始めた。

「はー、君には、そんなこと悩む必要もないのかもね」

 私にとって、魚を与えたいと思えるのは、彼だったのかもしれない。きっと、そうだったはずだ。きっと。

 私はそんな人間だから、いつも別れを告げられる側の人間だった。飽きられて捨てられる側の人間だった。だから泣くのは、いつだって私の方。

「彼、泣かなかったな……」

 彼は泣かなかった。彼の優先順位に、私は到底入ってはいなかったのだろうか。それとも別れ際の意地?

 そんなこと、あるわけないよね。

「だったら別れませんっつーの」

 カーテンにくるまってるのを強引に引きはがして、手元に引き寄せる。ちょっと嫌そうで、顔を掻く仕草が、かわいい。

「彼も、君も、私に愛されてばっかだよ」

 猫には伝わらない。だからなんでも口にできる。思ったことを口にできる。だから私は、この部屋にたまらなく帰ってきたくなる。

 恋愛関係って何だろう。私が彼のことを想って、それと同じくらい彼が私のことを想う、そんな相思相愛が、本来の形なのだろうか。

 けれど、人間は優先順位をつける。比べる。お互いがお互いを一番に想い合えるって、そう簡単じゃないんだって、最近になって理解した。友人関係だってそう。比べて、比較して、そうやってる自覚はなくたって、いつの間にか物差しで測っている。私も、きっとほかの誰も、こんな醜い考えを、持っているはず。そうじゃなきゃ、私は今悲しくない。

「もう、思い出したくないのにな……」

 なんで振った私が、悲しんでいるのだろうか。心のどこかに、彼に未練があったんだろうか。彼は、今悲しんでくれているのだろうか。

 想われない人生は疲れた。報われたいわけじゃないけれど、私だけが浮ついてるみたいで、悲しい。実際その通りかもしれないけど。

「私も、猫みたいに、のびのび暮らしたい」

 くだらない言葉に、反応すら示さない。寝てしまったように、動きが止まった。

 浮かれた恋愛はもうやめた。私は、私のために、彼を振ったのだ。そう暗示すると、不思議と穏やかな気持ちになって、もう一杯飲みたくなった。

 猫の声さえ聞こえなくなったこの部屋に、ボトルを置く音だけが、響いた。

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