あれも、これも
サトウは今、目の前の女性と共にデートを楽しんでいる。
絶世の美女、といっても過言ではない彼女は、サトウをじっくりと見つめるとうっとりした様子を示す。
「好きよ」
彼女のそんな何気ない一言、しかし、サトウにとっては大きい一言が、彼を余計に彼女へ夢中にさせた。
「ああ、僕もさ」
サトウの言葉に、嬉しい、と彼女は抱きついた。その温かさに、ほんのりと頬を赤くしながら、サトウは店の門をくぐる。
店は、有名なイタリアンレストランだ。
「おめでとうございます。お客様は当店オープンから記念すべき百万人目のお客様です。本日は我々どもの腕によりをかけたフルコースをご堪能ください。もちろんお代は頂きません」
店に入ると唐突に、レストラン長らしき男からそう言われた。そしてそのまま、二人は店一番であろう景色の見える特等席に案内され、その後席にシャンパンが届けられた。
「嬉しいわ、こんなに素敵なディナーになるなんて」
目の前の彼女はにこやかに笑ってそう言った。
サトウとしては、少しにぎやかすぎる気もしたのだが、彼女が喜んでくれていることが嬉しくてたまらなかった。なにより、こんな風に素敵な一日が過ごせることに、彼自身もまんざらではないのだ。
「ならよかったよ。僕も君とのディナーが素敵なものになって嬉しいさ」
サトウはそう言うと、シャンパングラスを持ち上げ、乾杯した。彼女も微笑みながら乾杯と言う。
フルコースは想像をはるかに超える代物だった。一つ一つの盛り付けも豪華で、周りの客のメニューとは比較するのもためらわれるほどだった。それに何より、すごく美味しい。今までに味わったことのないようなものだった。
「すごく美味しい」
思わずそう言葉を漏らすほど、サトウにとっては衝撃的なものであった。
「本当ね。これもあなたのおかげだわ」
彼女がそんな風に口にした。どこまでも謙虚で、自分を立ててくれる人柄。サトウはどんどん彼女のことを好きになっていた。
店を出たころには、午後九時をまわる頃合いで、人々の姿も段々と見なくなっていた。
サトウは、そのまま彼女の手を繋いで、語りかけた。
「もうちょっと、付き合ってくれるかい」
「いいわよ、まだ一緒にいたいもの」
彼女の了承をいただき、サトウはそのまま彼女をエスコートした。
目の前の光景は、都会の神々しい雰囲気からどんどんとかけ離れていき、歩を進めていくうちに、視界はどんどん暗くなっていく。
「ねえ、段々と暗くなってきたわ。あなたの顔もよく見えなくなってきた」
彼女の不安そうな言葉に、照れながら、もう少しだから、とサトウは言った。
サトウの顔はとっくに真っ赤になっており、彼としてはその暗がりは好都合のようにも思えていた。彼女の顔をじっくり見つめることが出来ないことも名残惜しいが、自分の顔を見られることもサトウは嫌だった。
「さあ、着いたよ」
サトウはそう言って、目の前を指さした。
周りは生い茂る草木で埋め尽くされており、しかし目の前の風景は見下ろすがごとく都会のライトアップを一望できる眺めであった。
「すごい。素敵な場所だわ。ウキウキしちゃう」
彼女ははしゃいで体を動かしながら、そんなことを言う。
サトウはその姿を見て、決心をするように彼女の手を取った。
「僕は、この場所がお気に入りなんだ。一番大事な人が出来たら、教えようと思っていた」
「それが私なのね。すごく嬉しい」
彼女は手を取り、微笑む。
今しかない、そんな風にサトウは思った。
「僕と、結婚してくれ」
サトウはそう言って、彼女の薬指にダイヤの指輪をはめた。サイズはピッタリで、すっとその指輪は彼女の指に吸い込まれる。
「こんな嬉しいこと、初めてよ……喜んで」
彼女は涙を浮かべて、それでも笑顔で、サトウを見つめた。
そして、二人はそのまま、感慨に浸るように、抱き合いキスをしたのだ。
ギギギ……ギギ……
「うーん、これでおしまいか」
サトウは小気味良い機械音と共に、目覚めを迎えた。時刻は午前九時過ぎ。彼は欠伸を垂らしながらベッドから起き上がる。
ベッドの中には愛しの彼女が……いることなどなく、代わりに大きいタブレット端末と、それに繋がったヘルメットがあった。先程、サトウの頭から外れてしまったものだ。
「ったく、もうちょっと浸らせてくれてもいいのによ」
そう言って、サトウはヘルメットを一瞥した。
「にしても、こんな体験ができるとは、バーチャルプレイソフトも悪くないな。現実世界で痛い目を見るよりも、こっちの方がよっぽど合理的なもんだ」
サトウはそう言って冷蔵庫から取り出したミネラルウオーターを飲み干す。
彼がこの一式を購入したのは、つい一か月前のことだった。
世界で待望されたバーチャルプレイソフト。プレイヤーはその主人公に身も心もなりきって、思い描く理想の体験をする。そんなコンセプトだ。
サトウの人生はそれまでつまらないもので、友人も僅か、彼女など出来たことなく、会社でもこきを使われっぱなしだった。
しかし、そんな人生ともおさらばしたのだ。このソフトさえあれば、彼の人生は思うがまま、有意義に暮らすことができる。
「まあ、ピークまでいけたし、こんなもんか。よし、今度は会社で成り上がってやる。あんな俺をクビにするような会社よりも、もっとでけえ会社でな」
サトウはそう言って、しきりにタブレットをいじりだし、そっとヘルメットをかぶるのだった。
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