財布、貸します

 ある日青年は路地を歩いていた。

 人通りの少ないところで、その青年と、前を歩くスーツの男以外に人はいなかった。

 しばらく歩いていると、前の男のポケットから、財布が落ちた。

 青年はそれを拾うと、一瞬固まってから男に声をかけた。

「あの、財布落としましたよ」

「おお、ありがとうございます」

 男はそう言って、青年に千円札を渡した。

「あなたが交番に持って行ってたら、こうなっていたでしょう」

 青年はその千円札を受け取ったが、表情は晴れやかなものではなかったのだ。これだけかよ、と青年は思っていたのだ。

「おや、もしや金にお困りかな」

 男は青年に問いかける。表情に出てしまったか、と青年は渋り顔をする。

「あなたは恩人ですから。この財布を貸しましょう」

 青年は驚いた。まさかそんなことを言われるとは思わなかったのだ。

「交番に届けられてたら、こんなすぐには返ってこなかったでしょう。だから、三日間この財布を貸してあげます。このお金を資金にでもして、お金を稼いではいかがでしょう。なに、三日後にお金が戻ってくれば、私は何も言いません」

 男はそのまま青年に財布を渡し、そして去っていった。

「もしかして、俺ははめられてるのか」

 青年は周囲を警戒した。財布の金を使ったとたん、何かされるのではないかと思ったのだ。

 しかし、いくら警戒しても、周りには誰も人はいなかった。

「何なんだ……」

 青年は人のいないことを確認してから、そっと財布の中身を見た。

「何だこれ」

 財布の中には、なんと三十万も入っていたのだ。

「すっげ、こんだけありゃ金返せるな」

 青年は喜んだ。青年は友達に二十万の借金をしていたのだ。


 青年は財布の金を使い、友達にお金を返した。

「でも、どうしようかな。金、元に戻さないと」

 青年は悩んだ。男には元通り三十万を返さなくてはならない。

「そうだ、競馬で一儲けしよう」

 競馬場へ行き、十万を使って勝負をした。

 しかし、結果は惨敗、十万は塵となって消えた。

「くっそ、まじでどうしよう」

 青年はそう言いながら、競馬場を後にした。


 次の日になって、青年はお金の工面をどうしようと考えながら、財布を開いた。

「これ、どういうことなんだ」

 青年が開いた財布の中には、きっちり前のように、三十万入っていたのだ。

「あれ、でも確かに使ったのに」

 青年には訳が分からなかった。けれど、そうやって増えていたお金を見ると、不思議と使っていいように感じたのだ。

「まあ、六十万にして返せばいいってことだよな」

 青年はそう解釈をして、またその三十万を元手に、今度はカジノでギャンブルをした。

 すると、運が味方をしたのか、見事に一日にして使った分を取り戻した。

「よし、これで問題ない」

 そう言ってカジノを出た青年は、立ち止まって考えだした。

「待て、やはりおかしい。財布に最初入っていたのは三十万だ。俺が六十万返す必要はあるのか」

 青年は考え込んだ。だが、青年の中では、結論はすでに出ていた。

「大体、あの男は俺の家も、というか俺が誰だかかも知らないんだ。取り返しに来れるわけもない」

 青年は、財布に入った六十万を手に、街に繰り出した。




 財布を拾ってから三日間が経った。青年のもとに男は訪れず、そのまま夜を迎えていた。

 深夜の道すがら、青年は上機嫌で闊歩していた。

「この財布があれば、人生薔薇色だ」

 青年はやけに嬉しそうに歩いていた。そんな青年のもとに、ある男が近づいてきた。

「おや、ずいぶん上機嫌でらっしゃる」

「お前は?」

「あの時財布を拾っていただいたものです」

 男は微笑んでそう答えた。

「三日が経ったので、財布をお返ししていただこうと」

「そうか、ほれ」

 青年はそう言って、一度はためらいつつも男に財布を放り投げた。

 男は財布を開き中身を確認しだす。財布にはきっちり三十万入っていた。

「ほう」

「どうだ、ちゃんと三十万入っているだろ」

 青年は自慢げにそう言った。だが男は訝しげな顔をしていた。

「おかしいですね。もっとたくさんのお金を使ったはずでしょう」

 男はそう言った。

「何言ってる。お前は財布を貸した時、確かに三十万しか入れていなかっただろ」

 青年の言葉に、男はやれやれと首を振る。

「増えていったでしょうお金が。この財布は、ちょっとしたカラクリのある、借金財布なのです。使われれば、その都度同じ分のお金が注ぎ足される。そんな仕組みなのです」

 そう言って、男は札を取り出して、札入れの中を青年に覗かせた。

「これが、あなたの使い尽くしたお金です」

 そこには、しっかりと青年が散々豪遊し使い尽くした金額が電子的に記されていた。

「では、お支払いしていただけますか」

 男は、青年に問いかけた。

「冗談じゃない。こんなの詐欺だ。悪徳だ」

 散々と青年はわめきつくしたが、男には何一つ響いていなかった。

「私はしっかり言いました。三日後にお金が戻ってくれば、何も言いませんと。戻ってこないのなら、仕方ないですね」

 男は青年に詰め寄り、そっとナイフを取り出した。

「待ってくれ、命だけは」

「命だなんて。そんなことしても私には何の得もありません。あなたが使ってしまった分の額を、寿命から頂くだけです」

 男の言葉に、青年は驚き膝を震わせた。悪魔のような言葉だ。青年は逃げようにも逃げられないでいた。

「大丈夫。寿命って高いんです」

 男はそう言い、ナイフを突き刺した。

 青年が使ってしまった額は全てで六百三十万。一体どれくらいの寿命を、青年はとられてしまうのか。それを知っているのは、ただ一人、男だけだった。

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