日参り

碓氷果実

日参り

「真夜中に変な音がするんですよ、決まって深夜の二時に」

 不穏な言葉とは裏腹に、Sさんはうっすらと笑みを浮かべて言った。

「そこは廃墟っていうか、所有者はいるのかも知れないんだけど、もうボロッボロになってる一軒家なの。庭もよくわからない木が生い茂って昼間でも薄暗くて、外壁にもつたがびっしりでさ。窓ガラスも割れてて内側から新聞が貼ってあるんだけどそれも破れてて、ベランダに放置してあるプラスチックの洗濯ハンガーはほとんど朽ちたみたいになってて……そういう家、見たことあるでしょ?」

「はあ……」

 いきなりべらべらと喋り始めたSさんの勢いに押されて、僕は間抜けな相槌あいづちを打つことしかできなかった。

 行きつけので、少し前に知り合ったYさんと最近仕入れた怖い話についてなごやかに語っていたら、「私も怖い話あるんですよ」と急に割り込んできたのがSさんだった。

「たしかに、都心でも小道を一本入ったところなんかに急にそんなボロ屋が現れて、驚くことありますよね」

 Yさんが適切なコメントで場の空気を取り持ってくれたので、僕は内心感謝した。

「まあそこは左右にも家がなくてポツンと建ってるんですけどね。その家の中から、毎晩、夜中の二時に変な音がするんですよ」

 そう言うやSさんはチッと舌打ちをした――と思ったのだが、同じような音を何度も出している。


 ちっ、ちゃ……ちぃーーーくちゃっ


 口からそんなあまり気持ちの良くない音をしばらく出して、納得いかないように首をかしげた。

「違うな……うまく再現できないけど、とにかく、べちゃ、とかグチャ、とかそういう水っぽいような……なにか硬いものがつぶれて水っぽいものがこぼれたような音がするんですよ。それも一回じゃない。一晩に何個も何個も潰してる音がする。でもそこはさっきも言ったとおり、窓もなくて吹きさらしで、人なんかいるわけないんですよ。実際誰かがそこに出入りしているところも見たことないし」

 そこまで話すとSさんはまた、ぢゅっと口を鳴らして違うなあとひとりごちた。

 僕はYさんと顔を見合わせる。

「ああ、それでね」

 Sさんは意味ありげに目を眇めた。

「それ、赤ん坊の頭を潰してる音だと思うんですよ」

「……え?」

 思わず聞き返すと、「だからね、赤ん坊の頭を潰してる音なんですよ、そのグチャって音は」と何故か楽しそうに言う。

 ――悪趣味だ。

 僕は怖い話が大好きだが、怖い話というジャンルこそ、倫理観を大事にすべきだと思っている。ただ凄惨せいさんなことや生理的嫌悪を呼び起こすことを言えばいいってもんじゃないというのが持論だ。

「なんでそう思うんですか?」

 僕がムスッとしていると再びYさんが助け舟を出してくれた。まあ、たしかに何か言い伝えやいわく因縁があるんだったら、ただの悪趣味とは決めつけられないかもしれない。

 だがSさんは口の端を下げて笑いながら、

「いやぁ、だって、あの音はそうだもん。聞けばわかるんだけどなあ」

 と言って、またもぺちゃぺちゃと口を鳴らした。

 かなり不愉快になっていた僕はYさんに視線を送った。席を変えるか、今日はもう解散したかった。

 だがYさんは一本指を立て、「ちょっとだけ待って」というように視線を返してきた。

「あの……ひとつだけ聞いていいですか?」

「ん? なんですか?」

 汚い音が止んだので、僕は少しだけほっとする。

「その廃墟、周りに家もないんですよね?」

「そうですよ」

「じゃあ、Sさんのお家の隣でも、当然ないわけですよね」

「ええ、もちろん」


「じゃあ……なんでその家から、毎晩二時に、変な音がするって知ってるんですか……?」


 あっ、と声を出しそうになった。

 Sさんはというと――ニヤニヤと笑みを浮かべて、その質問には答えなかった。



 終電が、とかなんとか言って、僕らはすぐにバーを出た。時間は午前零時を回ったところだったから、あながち嘘でもなかった。

 駅に向かう道すがら、Yさんとぽつりぽつりと話した。

「嫌な感じでしたね……」

「そうだね」

「まあ、きっと全部創作ですよ。ああいう不謹慎な創作怪談するやつ、僕一番嫌いなんですよね」

 バーでの鬱憤うっぷんを晴らすように僕は語気を荒げたが、Yさんは腑に落ちていないような顔をしていた。

「そうかもしれないけど……でも創作だったら、逆にあんな穴だらけの設定にするかなってちょっと思っちゃったんだよね」

「それは……たしかに……」

 別に、マンションの隣の部屋でも、肝試しに行った先でも、実体験に基づくような設定はいくらでもある。

 でも、もしそうだとするとSさんは毎晩――。

「……今夜もこのあと行くのかな、その廃墟に、音を聞きに」

 そこから駅に着くまで、Yさんも僕も一言も喋らなかったが、多分同じ光景を思い浮かべていた。

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