第3話「阿蘭 住吉」

「こんなテープは存在しないっ!」

 田原は口角泡こうかくあわを飛ばして激昂げっこうした。怒りに燃える田原の手によって、試写室で流れていたテープ――『天皇論』は停止させられていた。阿蘭あらんは肩をすくめる。


「僕が新宿のコマ劇でおこなった討論会、『のんすとっぷ24時間』がのちの『朝生』の原型になったのは確かだ。そのテープを東京12チャンネルに売ったのは覚えている。だが初めて天皇論を扱ったのは『朝生』だ」

 昭和天皇が体調を崩された1988年。これは昭和天皇・崩御ほうぎょの前年となる。この年、田原は放送開始二年目となる『朝まで生テレビ!』のなかで天皇論を放送することを決意したのだ。

「この機会をのがしては、天皇論は永遠にテレビのタブーになってしまう。そう感じて天皇の戦争責任にまつわる討論を流した」

「ええ、知ってますよ。カクヨムのインタビューで読みましたから」

「なに?」

「天皇論や差別問題を『朝生』で扱ったことに関する記述は、カクヨムに連載されていた田原さんの第3回インタビューで触れられています。もっともプロデューサーから難色を示されたことや、当時の田原さんが編み出した機転――事前説明ではオリンピックの討論ということにして、生放送中に議題を天皇論に移すことで放送を強行したくだりはでしたが」

 阿蘭あらんの雰囲気が変わった。

「お前は……誰だ?」

「名前ですか? 阿蘭あらん 住吉すみよしです。もっとも、私は誰でもありませんが」

 あらんすみよし。アラン・スミシー。それはアメリカの映画業界で、監督無記名のまま映画が上映される際につけられる便宜上べんぎじょうの名義――パブリック・ドメインのもじりであることに田原は気づいた。


「結論から言えば田原さんの意見は正しい。このテープはまったくの作り物。実在しない番組です。ディープフェイク、という言葉は聞いたことがありますか」

「な、なんだと? もう一度言ってくれ」

「ディープフェイクです。AI技術による深層学習――ディープラーニングの応用の一つ。既存の映像にことなる映像を重ね合わせる人物合成。と言えば昔ながらの技術ですが。AIにもとづく深層学習により、一見して本人そのものにしか見えないフェイク映像をつくりあげることができるんです」

「あのテープに映っていた論客や聴衆、それに昭和天皇は……すべて合成でつくられた映像ということか」

「そういうことです。私なりに田原さんへの尊敬の念を表現させていただきました」

 きひひひひひ、と耳障みみざわりな笑い声をあげる。


「私は映像作家としての田原さんを天才だと思っています。人間は演技をする生き物だ、カメラの前では被写体はかならず演技をしてしまう――そういった習性を利用して、あえて被写体が演技をする場を整えて、カメラの前で対象を好きに躍らせて、それを撮影する。そういった人間のナマを表現するのが田原ドキュメンタリーです! それに対して凡百ぼんぴゃくのドキュメンタリーはどうでしょう? 現実から切り取った映像素材を編集して、監督の思想の元に現実そのものを編集してしまう。それではドキュメンタリーの意味がないっ! これは現実である、という欺瞞ぎまんだけを武器にした劣化した物語映像でしかない!」

「ふざけるな! それがあの、人を馬鹿にしたテープとどう繋がるんだ!」

ですよ。ドキュメンタリーにかぎらず、田原さんの番組の最大の武器はそこにある。テレビが持ついかがわしさ、ツクリモノ感、茶番をあえて隠さずに前面に押し出す」

「僕は土俵は用意する。自分がこう思われたい、と感じている自分を演じるように場を整える。そのためにカメラを向ける。たしかにやらせかもしれない。だがお前のつくった映像は違うだろう! 映像に映っているのは本人に見えても、誰か別の人間が書いた脚本の通りに演じて、台詞を話す。それこそ欺瞞ぎまんだけを武器にした、劣化した物語だ! お前の言うくだらない映像だ!」

「脚本ですって? きひひ」

「なにがおかしい。なんで笑うんだ、言ってみろ!」


「あの映像に脚本なんてありませんよ。AI技術によって偽造できるのは映像だけではありません。すでに『個性のディープフェイク』さえも行われているのですから」

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