ヴ=ナロード

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ヴ=ナロード


 例えば。

 あなたはそこに向かえば歓迎されると聞いていた。指導者を失った市民が、あなたたちを見て喜びに涙すると。新たな指導者の使徒であるあなたの手を握って、感謝の言葉を述べると。しかしあなたを待っていたのは歓声ではなく罵声だった。出ていけ、と言われた。市民はあなたの乗る装甲車の下に身を投げ出して、あなたたちを通さないようにする。  

 あなたを、ファシストと呼んでいる。

 あなたはそうして戦争が起きていることを悟る。それと同時に何発もの銃弾があなたの身体を貫く。死ぬ間際のあなたが見るのは、あなたの死に歓喜する市民たちの顔。世界があなたの死を喜ばしいことだと感じ、そのニュースに祝杯を上げている。悲しむ人はあなたの家族くらいだろうか。

 これはそういう話。



 激しい雨。ぬかるんだ地面の上を何両もの車体が通過したから、そこにはくっきりと轍が残っている。雨水がその溝に沿って流れていく。子どもの頃、そんなミニチュアの川を見つけると無条件でワクワクして、草船を作っては浮かべて遊んでいた。

 手のひらで一粒の錠剤を転がす。名称も正確な効能も知らないそれを、僕らは言われるがままに飲んでいる。

「ジザ、何をそんなボーっとしているんだ? さっさと薬を飲んじまえよ」

 パヴロフがティーグルから身を乗り出して、僕を不思議そうに観察している。彼とは士官学校時代からの長い付き合いだが、別段仲がいいわけではない。アメリカ出身だという彼のその独特な発音と会話のノリに、どうにも馴染めないのだ。

「おい無視するなよ」

「なぁ、パヴロフ。なぜ、兵士は人を殺せるのだろうか」

 僕の唐突な質問にパヴロフは肩をすくめてため息をつく。そんな仕草もアメリカらしいと不意に思った。

「相変わらず意味のないことを考えるもんだな、うちの隊長サマは」

 確かに無意味だと自分でも思う。しかし考えてしまうのだから仕方がない。

「そんなモン仕事だからに決まってる」

「仕事だから……」

 ナチスドイツはユダヤ人を根絶しようとした。大日本帝国は南京で虐殺を起こした。ミャンマー軍は国民を車でひき殺した。そして、僕たちは兄弟を殺しに行ける。

 本当にそんな単純なことなのだろうか。僕は『仕事だから』人を殺している?

「大丈夫か?」

「何が」

 反射で答えた。パヴロフはいつの間にか僕のすぐ近くまで来ていた。

「いや……、まぁあんまり思い詰めるなよ。いつもみたいにお袋さんのことでも考えとけ。この作戦が終わったらまた面会できるんだろ?」

 そういえば、軍に入ったのも母さんに誇れると思ったからだ。女手一つで僕を育ててくれた母さんに、少しでも立派に成長した姿を見せたかった。

 入隊したと初めて母さんに告げたとき、彼女はなんて言ったっけ。病院の一室、彼女はベッドに横たわり、僕はすぐそばのパイプ椅子に腰掛けていた。

 僕の言葉を、穏やかな顔つきで静かに聞いていた。僕が話を終えると、大人になったね、と小さな声で呟いた。それっきり、彼女は窓から見える外の景色ばかりに目を遣っていた。

 きっと、母としての役目を終えたと感じたのだ。母さんはそのとき、軍人として人々を守るヒーローのような僕の姿を想像したのだろうか。

 けれど今、僕は一国の首都を攻め落とすための車列の中にいる。ここから南東に少し行けば、もう街は目の前だ。そこには多くの民間人がいるが、僕らはそれらをも巻き込もうとしている。大勢の人が死ぬ。僕らに殺される。 

 ヒーローどころか、世界中から嫌われるヴィランに僕はなってしまった。

 パヴロフは腰に付けたポーチから携帯を取り出して、僕の方へとその画面を向ける。そういやさぁ、と幸せそうに破顔した。

「見てくれよ。昨日の夜、妻から連絡があってさ、生まれたんだと。女の子だったらしい。俺はもうさっさと帰って子どもの顔を見てぇんだよな。もちろん愛する妻もだが」

 おめでとう、と機械のように僕は言った。ヴィランにも家族はいる。ヒーローにだっている。考えてみれば当たり前のことで、なぜならこの世界はフィクションでも何でもない、ただの現実だからだ。ヴィランは誰かから見たヴィランでしかなく、ヒーローもまた誰かから見たヒーローであって、そこに本質的な違いはない。

「俺の話聞いてるか? というか、ホントにどうしたんだよ。もうすぐ作戦開始だぞ」

 問題ない、と答えようとしたところで、ティーグルから若い男が出てきて、僕とパヴロフに駆け寄ってくる。確か名前はアレンスキーだったか。この作戦の数日前に配属された新兵だ。どこか幼さの残る顔でアレンスキーは僕らに向かって敬礼する。僕らも慣れた手つきでそれを返す。

「ジザ少尉、報告します。本部から通達、『本隊列は現在時刻より三〇分後に進行を開始する』とのことです」

「わかった、ありがとう」

 短く返すと、未熟な新兵は怪訝そうな顔で僕の手のひらを一瞥した。正確には、その上に乗る小さな白い粒を気にしたのだろう。

「あの、恐れながら……。少尉はそれをお飲みにならないのですか」

「あぁ、心配しないでくれ、わかっているから」

僕がそれだけ言うとその徴集兵は、失礼しました、とティーグルに引き返そうとした。

「ところで」

 アレンスキーは振り返って僕を見る。

「君は、この薬にはどんな効果があると言われたんだ?」

「先日まで通っていた訓練校では、痛み止めと教わりました」

「痛み止め? 俺はてっきりドーピング的なヤツかと思ってた。実際、これを飲んだ後は体が躊躇なく動くようになるし」

 パヴロフがそうぼやきながら頭を掻いた。

 これまで幾度となく使用してきた薬だが、僕を含めた現地の人間に、はっきりとその効能を知る者はいない。痛覚を麻痺させたり、身体能力を向上させたりするものだ、と人によって意見が異なる。ただのビタミン剤だと言い張る変わり者もいる。

 そして僕は、僕たちの『良心』に作用する錠剤だと考えている。使用者の『良心』に蓋をして、誰もが少なからず持っている、人を殺すことへの抵抗心を一時的に解きほぐしてしまう薬だと、僕は思っている。もちろん普通のビタミン剤かもしれない。本当のところは分からない。仕事だから、というそれだけの理由で人を殺せるナチスドイツや大日本帝国の兵士たちを、そしてなによりも自分自身のことを、受け入れることができずに生まれた妄想かもしれない。

 ただ、一つだけ明確なことがある。


 僕はこれから人を殺しに行く。

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ヴ=ナロード rei @sentatyo-

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